【小説】つまらない◯◯◯◯ 23
ふたりで飲むたびに毎回そんなふうに時間が過ぎていった。聡美を帰りの電車の改札に送っていきながら、今日も言えなかったなと毎回のように思っていた。そして、そんなことを思いながら並んで歩いていたって、そういう雰囲気はみじんもなくて、言おうという体勢にもなれないまま、聡美が改札に入っていくのを見送っていた。結局、自分の口から直接かわいいと言えたのは、ふたりで飲み始めて一ヶ月半くらいが過ぎてからだった。その日も、飲んでいるあいだは楽しく話しているばかりで何も言えないままで、言ったのは聡美が帰りの電車に乗る直前だった。店を出てから地下鉄のホームへと送りながら、今日こそは何か言わないとなと思っていた。何も言えないままの解散が続いて、頑張って頭の中に何か言おうという意識をキープしていた。けれど、歩きながら違う話をしてしまっていて、ふたりのあいだの空気もあっけらかんとしていたから、それを切り出そうとするのも気持ち悪い感じだった。電車が来るという案内が流れて、会話が途切れて目が合ったときに、無理やり「かわいいよ」と言った。けれど、それはメッセージで「かわいい」「かわいくない」というやりとりをしていたことを話題にしたような感じにしかならなくて、聡美も何それというくらいの反応だけで電車に乗っていった。そして、それ以降のふたりのあいだの空気が変わったということもなかった。
そういう感じが続いているあいだ、自分の中に焦りのようなものはなかったんだろうかと思う。無理にでも俺からそういう雰囲気を作ろうとするなり、ふたりの関係についての話を切り出すなりしないといけないのかなとは思っていたはずなのだ。聡美に好きだと言う自分を想像してみたりもしていたのだと思う。けれど、そうしたほうがいいんだろうなというくらいの気持ちで、どうすればいいかを真面目に考えていたわけでもなかったのだと思う。指一本触れない関係で聡美と楽しく過ごすことに慣れてしまって、聡美と近付くということがぴんとこなくなっていたのかもしれないし、自分から聡美に近付く想像は、していたとしてもほんの少しだったのだと思う。そして、その想像の中でも自分が「付き合おう」と言う姿は想像してはいなかったのだと思う。
実際、付き合いたいというわけではなかったのだろうなと思う。その頃、友達と会って話していたときに、今自分は好きな人がいると話していて、どういう感じかと聞かれて、一緒に飲んでると楽しいし、いい感じだけれど、この先どうなのかはわからない、自分としてもどうしたいのかわからない、この感じだと付き合うことになるのかもしれないけれど、そうなったらそうなったでいいのかなとは思う、というようなことを言っていたように思う。きっと、そう聞かれたときには、どうなのだろうと少し真面目に考えてみたのだと思う。そうしたときに、そんな言い方になってしまうような気持ちだったのだ。好きだし、セックスしてみたいし、なんとなく付き合う流れにはなっている。けれど、どうもそういう感じにならない。自分としても、そこまで気持ちが盛り上がっているわけでもない。お互いに近付きたいという気持ちがある感じだったら、とりあえず近付けるんだろうけれど、そういうものもないから、自分としてもどうしていいのかわからない。とりあえず、話していて楽しいから、今はそれで満足しておこう。そんなふうに思っていたのだと思う。
もしも、聡美とセックスしたい気持ちがもっと強かったなら、そのために話を切り出せたのかもしれないとは思う。ひとりでいるときに、セックスがしたいなと漠然と思うことはあったし、そのときに聡美のことを考えることはあったはずだった。その時点で、セックスできるとして可能性が高いのは聡美だったのだ。けれど、それにしたって、それほどいろいろと妄想していたわけでもなかった。二人で会うようになってからは、むしろ聡美とのセックスのことは考える頻度が下がったようにも思う。だんだん聡美のことを知っていって、好き勝手に妄想できる対象ではなくなっていったのもあるのだろう。そして、ごくたまにそういうことを想像してみても、次こそどうにかしようと強く思ったりするわけでもなかった。メッセージを打ち込んでいるときも、一緒に話しているときも、何も切り出せないまま聡美を見送っているときも、次に会ったときにセックスしたいと思っていたわけでもなかったように思う。どちらかというのなら、もちろんセックスしてみたかったけれど、してみたいというだけで、どうしてもしたいというわけではなかったのだろう。特に空腹を感じていないときに、美味しそうなものを見て、食べてみたいなと思うくらいの感じで、据え膳されてしまえば食べるけれど、そうでもないのなら、今じゃなくても、そのうち機会があったときに食べられればいいかと思って素通りするというくらいの感じだったのだと思う。
けれど、聡美に対してセックスしたい気持ちが弱かったのが問題だったわけではないのだろう。今まで誰にセックスしてみたいと思っていたときも、同じような程度にしか思っていなかったようにも思う。ひとりでいるときにはいろいろ思っても、相手と面と向かってしまえば、自分のしたいことや言いたいことは切り出せなかったのだ。
俺は昔から、相手と向かい合って話していると、話している内容で頭がいっぱいになってしまって、会う前に会ったら話したいと思っていたことが思い浮かばなくなってしまうことがよくあった。むしろ、ほとんどいつでもそうだったのだろう。仕事の話をするときも、面談とか面接で話すことを事前に考えていても、その場になると、事前に準備したものは頭の中から消えてしまって、そのときの話の流れで、自分が何を言うのかもよくわからないまま口から出てくることをそのまま喋っていた。それはセックスがらみでも同じで、してみたいなと思っている女の人を誘って飲んでいるときでも、話し始めてしまうと話の流れに沿ったことしか頭に浮かばなくて、会う前にはあったはずのセックスしたい気持ちは自分の中からすっかりなくなってしまっていた。もちろん、身体をくっつけて話していたり、お互いについてどう思うかというような、駆け引きに近いような話になってくれば、距離が近付いていくのを感じながら、そういう方向に流れていく緊張感に浸りながら話していた。けれど、近付くことが自然であるような雰囲気がないときは、二人きりだとしても、相手が間近で楽しそうに話してくれていても、何度目のデートだとしても、目の前の相手に軽くでも欲情することもなく、もっと近付くためにどうしたらいいだろうと考えることすらできなかった。
実際、相手との関係を変化させられるように自分から話を誘導したことなんて、今までにあったのか思い出せない。いつもただその場の流れに合わせていただけだったように思う。俺にとって誰かとセックスをする関係になるのは、する流れに相手を誘いかけていってそうなるものではなく、なんとなくそういう流れになったらそうなったというパターンばかりだった。
聡美とそうなったように、二人で会って飲むということを何度か繰り返しているのに、流れがないからとそのつど楽しく話しただけで何もしないままになるというのは、今までにも何度かあった。聡美とはずっとメッセージのやり取りが続いていて、一緒に飲みに行く頻度も高くて、親密さはどんどんと増していっていたし、自然消滅していく流れではなかったから、放っておいてもそのうち何かしら進展はあるのだろうと思っていた。けれど、飲むたびに、切り出さないとなと思いながら、切り出せないまま別れていたのは、今までの何事もないままになってしまった人たちと似たような感覚ではあったのだと思う。
(続き)
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この作品よりあとに書いたものなので、こちらのほうが面白いです
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