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「道徳」教育とあの教団の教義

元総理の暗殺をきっかけに、旧統一教会の問題が大きく取りざたされています。

当該教団自体の過剰なお布施などに関しては、被害にあった方やその家族などとの民事的な問題を抱えていることは間違いありません。

また、政治の世界に影響力を持っていたというのも事実でしょう。

ただし、その影響力が他の圧力団体やロビイストと比較して大きいものだったかどうかは現時点では不明です。

今回は非常にデリケートでもある宗教問題と教育について私見を述べたいと思います。

道徳の教科化と旧統一教会の教義

道徳の教科化に対しては当初から、教員側の強い抵抗がありました。

そもそも教員という職業が過去の反省からリベラル側に寄った教育の継承者であり、教員養成系学部の教官も極端な左翼主義者が多いなどの特徴があるため、家族主義や伝統的価値観を重視する現在の道徳教育に対し思想的に相反するということもあるようです。

今回の旧統一教会の一件を契機に、自身の違和感の正体を「カルト教団の教えが教育に入り込んでいたのだ!」と感じた人も少なからずいるようです。

では、本当に教団の教えが道徳教育に入り込んでいたのでしょうか。

反共産主義と父権主義

旧統一教会の成立には諸説あるようですが、日本をサタンの国家として信じる反日思想が源流にあります。

しかし、そうした思想を隠した上で拡大期にKCIAの意向と結びつき反共産主義を標榜して、日本国内で政治的運動を行っていたようです。

また、文鮮明というカリスマを頂点とするピラミッド構造は父権主義的な思想と自然と結びついていました。

一方、自民党を中心とする保守系政治家や論壇もまた同様に、反共産主義と父権主義をベースにしています。

冷戦構造の中で、日韓の保守主義が対共産圏という名目で結びついたのは自然な流れでしょう。特に、その根底を流れる父権主義的な思想は一致していたからです。

保守主義の揺り戻しと道徳の教科化

小泉政権以降、北朝鮮拉致の問題が明るみになり、国内の保守主義が勢いを取り戻しその政治思想が政策に入りこむことになりました。

そうした保守主義者の代表が故安倍晋三元総理であり、彼の政治思想もまた保守、父権主義的なもので、その教育への影響力が表出したのが道徳の教科化でしょう。

道徳の教科内容にはそうした保守的な思想が入っています。そもそもが日本の保守思想には儒教的な三綱五常、仁義礼智信といった考えが根底にあり、それらの思想的な共通点が旧統一教会にもあると考えるべきでしょう。(宗教的な圧力で一政治家の思想が現実的な政策の微に入り細に入り反映されることは現実的ではない)

悪の秘密結社を探す行為の愚かさ

すでに書いたように、教員(特に公立)はどちらかと言えばリベラル寄りの思想の人が多い印象です。

そうした人たちが現在の「道徳」教科に対して違和感を持つこと自体は自然です。

しかし、それを悪の結社が仕掛けた罠だと考えるのあまりにも幼稚な考えです。

逆に言えば、リベラルな政権が誕生し、道徳をリベラル寄りの内容に切り替えた場合はどうでしょうか。それらをもって革マル派、中核派の陰謀だと考えるのもあまりに浅慮です。
(実際、戦後の学校教育は極めてリベラル寄りであったように思います)

教員として宗教にどう向き合うか

宗教に対して教員としてどう向き合うべきか、非常に難しい問題です。

教室の中には様々な宗教を信じる家庭の生徒がいます。学校という存在が国民国家を維持する人材の矯正機関である以上、思想的なものに触れずに教育活動を行うことは不可能です。

多くの教員はその善良さから「自分は中立な立場で話をしている」という人たちの集まりだと思います。

しかし、その中立だと信じる立場も日本的な宗教観や伝統を強制した前提での視点でしかありません。手を合わせる、起立や礼、様々な活動や道徳心や倫理観など中立であるはずがないのです。

イスラム教徒は1日5回の礼拝があります。シーク教徒は髭を剃ることができません。ジャイナ教徒ならば虫を殺すことも禁忌です。こうした生徒に校則やルールを強いることは信教の自由を脅かす行為です。

だからこそ、中立であることは前提としつつも、それ以上に宗教に関して知識を持ち、きちんと向き合う必要が教員にはあるのではないかと思います。

個別の宗教に関する知識もそうですが、それ以上に宗教の存在とそれを信じる自由を認めること、カルトであってもその存在や信教の自由を尊重する姿勢こそが教員には必要だと思うのです。
(犯罪やそれに類する行為を許容しろというわけではありません)

そして、安直な陰謀論と一方的な思い込みで、自分と異なる思想信条の人を批判したり、他者の自由を侵害することは絶対にあってはならない、と私は考えます。


私自身は旧統一教会を擁護するつもりもありませんし、信徒でもありません。洗脳まがいの手法でお布施を集める集金システムは批判を受けてしかるべきと思いますし、改善する必要もあるでしょう。

と同時に、法的根拠もなく怪しげで胡散臭いから解散すべき、法人の名称変更という行政の認証業務を恣意的に妨害するようなことは絶対に許すべきではない、という基本スタンスです。

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