学習塾には苦い思い出がある。

オレは勉強が好きではなかった。

時は小学四年生。
宿題などをそっちのけで直帰後その足で友人の家でゲームなんかをさせてもらっていた。
あまりにもテストの点数が悪く、遊びに行った友人の母親に宿題をやってからこいと窘められた。あれは効いた。

何も能動的にサボっていたわけではない。
嫌だ嫌だと逃げていた結果登校日になっていたという種類の怠け方だった。
なまじそこに後ろめたさを感じており、勉強と自己嫌悪を加速させていき、ますます手が遠のいた。

そんな調子で月日は流れ中学生になった。

能動的な学習の最たる部分である受験が数年後に控える。
結果両親がとったのが学習塾へ放り込むという選択肢だった。

塾。

その中ではマンツーマンの方針の塾だった。
両親も本気だったのだろう。
しかし蓋をあけるとマンツーマンと称しつつも講師1対10名程度でテキストを渡して生徒がそれを黙々と解いていき、わからないことを質問するという放任の限りを尽くした方針の塾であった。

寝た。力の限り寝た。

部活帰りの疲労に放任の高原である。
最初は寝ることに後ろめたさもあったが、何を聞けばいいのかすらわからなかった。

わからないところがわからない。

当時はそんな自分と見ず知らずの大人に人見知りを発揮していた。
寝ることで相手に気づいてもらおうなどという幼稚な言い訳の結果、怠惰の限りを尽くしていたわけだ。
今思えばこんな方針の時点で塾側懐事情が窺える。
まして当時は受験対策でもない。
講師もそこまで強く言うまい。

結果として寝ている自分がしんどくなってやめた。
周りは粛々とテキストをこなしている。
どこの誰ともわからない生徒にどう思われているのか、そういうことが気になって仕方なかった。
寝るならば金を払って固い机で眠るよりも、家の布団で寝た方がより効率的だろう。

わからないことを誤魔化さず
「わからないので教えてください」
とひと言言えていたら、きっと何かが変わっていたのだろうか。

最後の授業のテキストの内容はもはやどう頭を捻ろうと追いつけないところまで進んでおり、無言で机を眺め90分の1コマを終えた。

最後の10分。
何もできないでいることが苦痛で手紙を書いた。
内容は覚えていない。
せめて純な生徒だと思われたかったのはよく覚えている。

塾のスライドドアを開けて、冬の寒空の下自転車で家まで帰った。
苦痛から解放されて非常に爽快だったのをよく覚えている。

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