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文学フリマ東京35の特別編:藍を売る者。

 ここでは、弱者は食われるしかねぇ。
 むかつくぐらい湿度の高いこの街に、長年いりゃあ分かる。
 カルト教団の信者、人身売買の商品、風俗への強制労働……。今まで何度だって見てきた。強い者が己の欲を満たす為、汚い金を生み出す為、弱者を道具にしている光景を。弱者が人ではなくなっていく姿を。
 人が闇に喰われていく惨劇を見ても、何も思わねぇのかって? 安心しろ。心までは鬼にはなっていない。可哀想だとは思う。可哀想だとは思うが、それだけだ。
 両手で握った金棒を振り上げる。
「や、止めてくれぇよぉ!」
 泥濘んだ地面に、両手と両膝をついた全身黒タイツ姿のデブ男が泣いて懇願する。
「ん? 無理」
 躊躇なんかしない。金棒を勢いよく振り下ろす。どごっ、という鈍い音を立てて、黒タイツの男はうつ伏せで地面に倒れた。
「んん……」
 後頭部から血がたらたらと流れているが、まだ息はある。
 こいつはあるカルト教団の教祖だった。信者全員に黒タイツを着せて、神へ敬意を示させていたそうだ。その実態は、黒タイツを着た女を食い物にするただの性癖歪み男だった。彼の元信者から殺害の依頼があった。
「死ね!」
 もう2発、血塗れの後頭部に金棒を打ち込んだら、黒タイツの男は無様に絶命した。
「乙女に金棒」
 ほら、見ろ。ここでは弱者が食われる。

*

 私は「金棒乙女」。ここ、「湿気の街」で殺人請負・護衛等を行ない、金を稼いでいる。金棒を肩にかけ、赤いワンピースを着た乙女を見付けたら気を付けろ。下手に手を出すと、ただでは済まない。私は、弱者を食う側なのだから。
 死体掃除屋に死体処理の依頼をし、次の仕事先へ向かう。ふと、左手に付けている腕時計を見て、脳が一瞬フリーズした。
 次の仕事の開始時間まで、後5分だ。まずい。かなりまずい。街路灯が右側に並ぶ、夜の湿った路地裏を足早で進む。どぶの臭いで鼻が曲がりそうになりながらも、珍しく焦っていた。
 ちゃっ、ちゅっ、ちぃっ、ちょっ、ちゅっ……。
 靴が湿った地面を踏む音を不快に感じ、泥濘んだ地面にいちいち足を取られることに苛立ちを覚えた。
 街路灯、配管、室外機、街路灯、電飾看板、街路灯、配管、室外機、街路灯、電飾看板……。廃れた景色が視界から素早く消え、廃れた景色がやって来る。
「黒タイツの教祖」殺害に時間をかけ過ぎた。久し振りに、背中に冷たい汗を掻いていた。
 あぁ、後2分。急げ急げ急げ。急がなくてはならない。生きて、金棒を振り回す殺し屋を続けたいのなら。
「死んでしまいましたな」
「死んでしまいましたよ」
 切れかかった街路灯の下、街路灯に括り付けた縄で首を吊った男の死体がゆらゆらと揺れている。その周りを、羊のお面を被った男女が歌うように嗤いながら、踊るように回っていた。
「糞! 邪魔だ!」
 羊のお面の男を押し退けた。それでも、羊のお面の男女は縊死体の周りを回り続ける。
「糞が!」
 ちょこまか動き回る彼等の合間を縫って、夜道を駆ける。
 後1分。走れ。全速力で。
 街路灯、配管、室外機、街路灯、電飾看板、街路灯、配管、室外機、街路灯、電飾看板……。
 闇夜に、藍色の光が見えた。光へ向かって走る。もう、あそこへ行けば……。
「遅刻だねぇ」
 甘く柔らかい女の声が聞こえ、藍色の光を放つ街路灯の下で立ち止まった。思わず、顔を下げる。大量の空の注射器が地面に転がっているのが目に入る。身体が動かなくなる。
「何で突っ立ってるのぉ」
 もう1本先にもある、藍色の光を放つ街路灯。その下から発せられる、緩い色気のある声。突然鳴き出す、紫色の蛙。
「言ったよねぇ。遅刻したら怖いことになるよぉ、ってぇ」
 拳を握る。息が荒くなる。蛙の鳴き声が徐々に激しくなっていく。藍色の光が逃さないように私を包み込む。
「ねぇ。言ったよねぇ。金棒乙女さん」
 蛙の鳴き声が耳を劈く程のボリュームになる。鼓膜が震える。鼓膜が震える。鼓膜が震える。鼓膜が震える鼓膜が震える鼓膜が震える鼓膜が震える鼓膜が破……。
「今度から気を付けてねぇ」
「……え」
 救いのような言葉に、思わず顔を上げた。
 1つ先にある藍色の街路灯の下、ツインテールの女が可愛らしい笑みを浮かべてこちらを見ていた。彼女の左目の下にある黒子からは、目を奪われるような妖しい色気が放たれている。
「ほらぁ、早く私のこと守ってねぇ」
 同性でも性的な欲望を駆り立てられてしまう魔性の笑みを浮かべたツインテールの女の瞳は、善意なんて感じないぐらい真っ黒だった。
「あ、あぁ……」
 私は肩にかけた金棒を握り締めながら、小さく数回頷くことしか出来なかった。
「ここではね、弱者は食われるしかないんだよ」
 私を藍色の光で照らす街路灯に立てかけられたマネキン人形が、冷たくそう言った気がした。
 パイプ椅子に座る、ツインテールの女の横に立った。彼女の正面には、大量の注射器が綺麗に並べられている。注射器に入った液体は、街路灯の光に負けないぐらい妖しい藍色をしていた。
「じゃあぁ、始めようかぁ」
 ツインテールの女は、可愛らしい笑みを浮かべたまま正面を向いた。
「いらっしゃいませぇ」
 私は完全に、ツインテールの女に食われるだけの弱者だった。護衛として、彼女に関わったことを少し後悔した。
「いらっしゃいませぇ」
 たかが売人だと舐めていた。彼女は、藍を売る者。
「いらっしゃいませぇ」
 どぶ臭い路地裏。藍色の光を放つ街路灯の下から、女の甘えるような声が響く。私達以外、誰もいない。配管と室外機と街路灯と泥濘んだ地面が、そこに存在するだけの夜。



【登場した湿気の街の住人】

・金棒乙女
・黒タイツの教祖
・羊のお面の男
・羊のお面の女
・藍の売人

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