見出し画像

特別編:肉切り屋、「赫」。

 調理台の上に寝かせた、裸の男の死体を見下ろす。
 彼の頭頂部は分かり易いぐらい凹んでおり、一目でもう生きていないということが分かる。
 男の死体の周りを、ぶぉんぶぉんと元気に飛び回る紫色の蝿を左手で払う。自分の首を左右に傾け、両耳に付けた白色の百足のピアスを、ゆろりゆろりと揺らす。
「湿気の街」の居酒屋やスナックが立ち並ぶエリア、居酒屋区域。その中にある元居酒屋の廃墟。ホールの奥にある、得体の知れない蟲が這う厨房が、俺の仕事場だ。
 俺は右手に持った牛刀を振り上げ、男の死体の首元へ勢いよく振り下ろす。
 だごぉんっ。
 牛刀と俎板の当たる音が、厨房に反響する。
 闇市区域で買った人肉切断用(生死問わず)の牛刀なだけある。首と胴体は綺麗に別れていた。
「ちっ、糞」
 舐めやがって。
 再び、牛肉を振り上げて、怒りに任せて死体の右肩と右腕の付け根に振り下ろす。
 この死体は、死体掃除屋、「掻」から切断の依頼で引き受けた。元々は、掻が殺し屋から受けた死体処理の依頼だ。しかし、面倒臭かった為、殺し屋からの依頼料の3割の値段で俺に死体の処理を頼んできた。
 だごぉぉぉんっ。
 牛刀と俎板の当たる音が先程よりも大きく厨房に反響し、右肩と右腕が切り離された。
 どいつもこいつもそうだ。俺を馬鹿にしやがる。最近、俺は肉切り屋、「赫」を始めた。意味分からないぐらい、年中湿度の高いこの街で。新人だからって、この街の人間は俺を下っ端のように扱う。
「赫くぅーん。この仕事怠いからさ、これぐらいの値段で仕事引き受けてくれるよねぇ?」
 殆どの奴等が、自分が依頼された仕事を俺に渡す。それだけではなく、さも自分で完遂したような顔をする。何も知らない周りの人間は、彼等を評価する。そうやって、人気の死体掃除屋や殺し屋、肉屋等になっていく。皆、自分の仕事に真摯に向き合っていないのに。適当に生きているのに。
 再び、牛刀を振り上げ、左肩と左腕の付け根に振り下ろす。
 もしかしたら、新人というステータスだけではなく、肉切り屋という仕事が舐められる要因の1つになっているのかもしれない。
 肉切り屋は、名前の通り、肉を切ることを生業としている。死肉を切る、生者の肉を切る。肉の切断、という行為をするのであれば、どんな仕事でも引き受ける。死体掃除、殺人、肉屋での精肉カット……。謂わば、肉切り界隈の何でも屋だ。肉を切る仕事なら、内容は問わない。だから、都合のいいように扱われるのかも。
「糞っ!」
 今度は、胴と右太腿の付け根へ牛刀を振り下ろす。
 俺も正当な評価をされたい。そして、誰かの依頼の依頼ではなく、最初から俺に依頼が来るようなビックな人間になりたい。「肉を切らすなら、赫だよな」と言われたい。色んな人に、認められたい。
 胴と左太腿の付け根へ、牛刀を振り下ろす。
 ふと、昼に食ったラーメンを思い出した。ラーメン屋、「腎」の看板メニュー、「肉ラーメン」。あれは美味かった。癖になる臭さと、暴力と言っていいぐらいの脂が、俺の身体を不健康にさせた。明らかにカロリーの高い味がしたが、後悔より、もっと食べたいという思いでいっぱいになった。
 そうだ。俺、腎の店主みたいになりたいんだ。「また食べたい」、「あいつのラーメンじゃなきゃ嫌だ」と、半ば相手に依存させてしまうような存在になりたい。他人にとって、なくてはならない存在に。
 あぁ、あの「人肉チャーシュー」、美味かったなぁ。ご飯にも乗せて食べたい。あれ、確か、こんな大きさだったよな……。
 牛刀を握る右手が、自然と動き出していた。

*

 すすすすす……。
 水槽の中に置かれた人骨の上を、1メートル程の真っ白な百足が静かに歩いている。
 ここは、元居酒屋である廃墟の2階。1階は先程いた仕事場で、2階は生活部屋として使っている。
 6畳程の古びた部屋に設置した長机の上に、長さ3メートルの巨大な水槽が置いてある。水槽の床には人骨が積み重なっており、その上を大きな白色の雌百足が静かに動き回っている。
 彼女は、湿気の街の環境でしか棲息出来ない種類の百足らしい。俺が住む前から、この水槽に入れられていた。出会った当初、彼女は衰弱し切っていた。が、餌(切断した人肉)をあげ続けたら、すっかり元気になった。「皎」という名前を付けて、今では友達以上恋人未満な関係になれたと感じている。
「皎ちゃん、飯だよ。頭から食うか?」
 俺は足元に置いた赤色の塵袋の中から、先程切断した頭頂部が凹んだ男の首を取り出し、水槽の真ん中辺りに入れた。
 すすすすす……。
 皎ちゃんは長い胴をくねくねと動かして、血塗れの男の首に近付いた。そして、顔面を長い脚でいやらしく這い、艶かしく絡み付いた。
 がりががっ、がりががっ、がりががっ……。
 皎ちゃんから放たれる、凹んだ頭頂部を噛み砕く音が、耳に心地いい。そして、若干の嫉妬をする。餌なら誰でもいいのか。見知らぬ男の頭でも、そんなに美味そうな音を立てて食べられるのか。彼女にとって、俺は餌を用意するだけの男なのか。1番食べたくて仕方がない人間ではないのか。
 この街の住人だけでなく、百足にさえ依存してもらえるような人間でもないんだ、俺。
 悲しくなって、自棄糞になって、残りの死肉が入っている塵袋を水槽の上でひっくり返した。
 ずどだどだっ。
 男の頭を喰らう皎ちゃんの身体に、切断した人肉が当たった。
 そこで、我に返った。
 大事な大事な皎ちゃんを、痛め付けてしまった。百足に痛覚はないと思うが、俺の心がずきずきと痛んだ。
「ごめん。ごめんな……。俺……ごめん。酷いことをした」
 水槽越しに、皎ちゃんの頭を撫でた。
 彼女は相変わらず、男の凹んだ頭頂部を美味しそうに食べている。皎ちゃんの心の広さに、余計自分の心の醜さが憎らしくなった。
 俺は駄目な男だ。努力が足りないことを棚に上げて、自分の心が傷付かないように誰かの所為にしている。
 そんなこと何度も感じているし、そう思う度に、頑張ろう、前へ進もうと意気込むが、数日経てば、再び他人の所為にしてきた。
 だから、駄目なんだ。反省をしないから、他責にするから、責任ある仕事を任せてもらえないんだ。
 水槽が置いてある長机の下からパイプ椅子を引き、溜め息を吐きながら座った。
 誰かに頼られる前に、まずは自分自身が自分としっかり向き合わないと。
 思うことは簡単だが、具体的に何をすればいいのかさっぱり分からなかった。そして何より、今まで自分が頑張ってきたことは、努力にもなっていたなかったのだとショックを受けた。
「ほら、あの子だねぇ」
 部屋のドア辺りから、聞き覚えのある男の声が聞こえた。
「よお、赫くぅーん」
 いつも人を馬鹿にしているような、ねっとりとした話し方。
「……掻、何しに来た」
 死体掃除屋、掻が部屋の前に立っていた。
 身長160センチ程の男。年齢は30代後半らしいが、顔が童顔なので、学生に見える。常に黒色の帽子を被り、小汚いカーキ色のコートを着ている。コートの下には、白色の半袖Tシャツとカーキ色の半ズボン。また、ぼろぼろの白色のサンダルを履いている。
「お、食ってるねぇ、百足ちゃん」
 掻が意地悪そうに微笑んだ。
 今、皎ちゃんが食べている頭頂部が凹んだ男の死体掃除を依頼してきた男だ。元々は、掻が殺し屋に依頼され、それを面倒臭いからと言う理由で、俺に掃除の依頼をした。
「仕事をサボってないかの確認か? どんだけ信用してねぇの?」
 俺は掻が苦手だ。いつも俺を見下して、隙があればねちねちと馬鹿にする。終いには、家にまで来て、仕事の状況を確認だと? どれだけのプライドを持って、俺が肉を切っているのか分かっているのか?
「馬鹿にするのもいい加減に」
「君が赫さんかい?」
 掻の背後から、黒色のレインコートを着た男が現れて、部屋に入ってきた。フードを被っていて、顔を見ることは出来ない。
「確認と言うかねぇ」
 掻は水槽に両手をついて、にやぁと微笑んだ。
「紹介と言うかねぇ」
「どういう意味だ」
 俺を馬鹿にする人間を増やして、もっと見下してやろうっていう作戦か?
 俺は壁に立てかけている牛刀の柄に、右手を伸ばした。
 俺は肉切り屋だ。肉の生死は問わない。これ以上、俺を馬鹿にするなら、お前も皎ちゃんのペットに……。
「これを切断したのは、君かい?」
 レインコートの男は、水槽を指差して尋ねた。彼の右手の人差し指の先には、細く切断した右脚があった。そう、ラーメン屋、腎の看板メニュー、肉ラーメンに乗っている人肉チャーシューを模して切った。
「……そうですけど」
 どうせ馬鹿にされるのだろうと思って、レインコートの男を睨み付けながら頷いた。
「完璧だ」
 そう言うと、彼はフードを取った。
「あ」
 白髪混じりの猫っ毛をオールバックにした、彫りの深い顔。きりっとした眉毛、目力の強い目と高い鼻、痩けた頬、薄い唇が、彼に色気を与えている。
 癖になる臭いを放つラーメン屋の店主、腎さんだった。
「ラーメンに乗せる人肉を探していたら、掻さんに会ってね。腕のいい肉切り屋さんがいるからって、連れてきてもらったんだよ」
 皎ちゃんが捕食する姿を楽しそうに眺めながら、掻は意地悪そうに微笑んだ。
「だって、腎さんが肉を切るのが大変だ大変だ、ってうるさかったもんだからねぇ。あんなに美味いラーメン屋が、そんな理由で閉店になられても困るからねぇ。俺が知ってる中で1番信用出来て、腕のいい人間を紹介してやろうってねぇ。なぁ、腎さん。期待通りだろうねぇ?」
 腎さんは、右側の口角を吊り上げた。
「いや、期待以上だ」
 がりぐぎぎっ。
 凹んだ頭頂部に身体を突っ込んだ皎ちゃんが、首の断面から可愛らしい顔を出した。

*

「ご馳走様でした」
 眠そうな顔をした男が席から立ち上がると、獏のお面を被った。その隣で、ツインテールの少女がプラスチックのコップに入った水を飲み干す。
「今日の肉、最高でした」
 俺の目を見てそう言うと、獏のお面の男はツインテールの少女と共に、店の外へと出ていった。
「あ……あ……ありがとうございました……」
 やっと絞り出した言葉は、きっと彼等には届いていない。
 ここは、癖になる臭いが充満するラーメン屋、腎。俺は厨房にいる。既に加工された人肉を牛刀で切断している。理由は他でもない。当店の看板メニュー、肉ラーメンに乗せる為だ。


 掻と腎さんが、俺の家へ来た夜のこと。
「赫さん、俺の店で人肉チャーシューを切ってくれないかい?」
 腎さんが俺を誘った。彼の店の肉切り係として。
「俺の切った肉に、客は依存してくれますかね? 俺の切った肉じゃなきゃ嫌だって」
 誘われて嬉しかった。お相手は最愛のラーメン屋、腎の店主だ。すぐにでも頷きたかった。でも、その前に確認したかった。本当はもう、俺は人に依存されるような人間になれていたのかどうかを。
 腎さんは煙草を咥えて火を点けると、右側の口角を吊り上げた。


「へい、お待ち!」
 腎さんのはきはきした声が店内に響き、どんっとカウンターに丼を置く音が食欲を刺激する。
「んんー、これだねぇ」
 カウンター席に座る掻が目の前に置かれた人肉ラーメンを眺めて、両手を擦り合わせた。
「頂きますねぇ」
 ずずずっ、と彼が美味そうに麺を啜っている姿を見ながら、あの夜の腎さんの言葉を思い出した。
「目的と結果を、一緒にしないことだね。お前さんは肉切り屋さんとして、何をしたいんだい?」
 腎さんが吐き出した煙草の煙をこっそりと吸い込んだことは、かなりキモいから墓場まで持っていく。
 俺の、肉切り屋としての目的は何だ?
「今日の肉、最高でした」
 ふと、先程、店から出て行く前に獏のお面の男が放った言葉を思い出した。
「んんー、いいねぇ、この肉」
 掻が人肉チャーシューに齧り付きながら、いつものねちっこい喋り方で言った。
 ……あぁ、これか。
 とんでもなく単純なことに、今更気が付いた。人が誰かに依存するのは、その誰かに嬉しい思いを味わわせてもらったことがあるからだ。
 俺は、自分の切った肉で人を喜ばせたい。その先に、「肉を切らすなら、赫だよな」という結果が付いてくるから。
「……だろ?」
 俺は右側の口角を吊り上げ、牛刀を振り上げた。



【登場した湿気の街の住人】

・肉切り屋、「赫」
・死体掃除屋、「掻」
・ラーメン屋、「腎」の店主
・獏のお面の男
・催眠少女

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?