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25歳、備忘録

「今朝、おじいちゃんが亡くなった。」

その言葉を父親から聞かされた時の私の咄嗟な反応は、

「え、早く!早くなんとかしないと間に合わないよ!」

だった。 涙なんて、出なかった。理解が追い付かなかった。

人は本当に悲しいときは涙が出ないという。私は、2021年の12月、24年間私の精神的支柱、DNAの一部であった祖父を、亡くした。

24歳にして初めて身内の死を体験した私の「死」に対するイメージは、24年間自分が触れてきたものを通じての「死」に対するイメージと、あまりにも乖離していた。あまりにも、想像力が現実を理解するプロセスを凌駕しすぎていた。

私が初めて「死」について重く考えるきっかけとなったのは、小学生の時に読んだ、アレックス・シアラーの「青空のむこう」だった。生前のお姉ちゃんに言い放った言葉が忘れられず、会いにいく少年の現実と理想の乖離を描いた感動モノの児童書であったが、いまだに、「死ぬことは取り返しのつかない唯一のこと」だと実感したのをはっきりと覚えている。

あれから、15年の間、私は、幾度となく、自然災害や人災、殺人、理不尽に命を奪われたり、自ら命をたったりした方達のニュースを耳目に入れ、「死」というイメージが「実体のない重み」として、私の中に定着してしまっていた。

昨今の「命」のメディアを通じての発信について考える。連日報道が続く世界的パンデミックの感染者数、戦争のニュース、登場人物の死が当たり前のように描かれる「デスゲームもの」「感動もの」のアニメや映画、FPSやRPGの「対象物を倒すことが目的」のゲーム、発信者の意図や発信の方法によってその「命の重み」の語り口は、さまざまだ。そして、受け取る側の反応も様々だ。

だが、本当に身内が死んだとき。祖父が死んだとき。
その「重み」は、「理解不能」であるという事実は、何をどうやっても「取り返しのつかない」という喪失感は、インターネットによってデータが瞬時にやり取りが交わされ「消される」時代において、現実となって感じるにはあまりに辛すぎる事実だった。

祖父の死は、私の現実への見方を変えた。人間は、「今がすべて」なのだ、と強く実感した。YOLO、今を生きる、余命など、人間の生の儚さを感じさせる言葉たちが、今となっては、自分事になった。

ああ、なぜ今更私は「生」や「病」や「老」や「死」について考えているのだろう。私の友人も知り合いも、皆通ってきた道なのに。立ち止まっている暇はないのに。いまだに、「死」がわからない。生きている意味が、たまに分からなくなる。そうだ、私は、実は、まだ祖父の死を受けいられていないのかもしれない。本当に、変だ。

「生きていることに意味はない、ただの暇つぶしだ、生かされているだけだ」という人たちもいるなかで、寿命が決まっている中で、世界を変える人もいるし、多くの人を苦しめる人もいるし、人に感動と勇気、精神的支柱、経済的サポートを与え続ける人も大勢いる。それらは、すべて「死を前提として」生まれてきた、生きるという努力を積み重ねてきた人たちのみが行える特権だ。

「生きて、死ぬ」ことがたとえ生物学的には生命の連鎖が途絶えただけだとしても、それでも、時に「死」があまりに受け入れがたい。たとえ、「生きて、死ぬ」ことに意味がないとしても、「個人」には少なからず意味と影響が発生していて、自分が誰かの「死」を実感した時点で、自分に意味と影響が与えられているはずだった。悲しみのメカニズム。愛する人と別れ、「死ぬほど」辛い思いをする。大切な人の死や別れが悲しいのは、自分が与え続けることができなくなるからだ、と私は失恋に苦しむときに知った。

これだけ、祖父が亡くなって4か月考え続けても、答えや納得に至るわけではなく、おそらく、これからも永遠に考え続けると思う。だが、もっと近しい人が亡くなったら?その場合にも、私は同じことを感じるのだろうか。両親や兄弟や親友が亡くなったら、私は、今と同じように俯瞰できるのだろうか。できるはずがない。このnoteも、あまりに脆い感情の障壁に介入してくる絶望と喪失感へ連れていかれないための予防線のために、自己救済のために書いている。

死という断定的な事実は、今すぐに明らかに真になりうる、虚でもある事実だ。明日にはもう大事な人はこの世にいないかもしれない。生きていく中で唯一、「まったく予想が不可能であるのに、取り返しがつかない」この苛立ちと恐怖が、25歳の私にとっての、「死」への感じ方だ。

だが、現実の「死」以外の死は、「フラグ、敵襲、病気、設定」などでいくらでも予想がつくように設定できる。現実が、そんな筋書きを描けたら、さぞ生きることへの重みが変わってくるに違いない。だが、現実は、そうではない。朝起きたら、おじいちゃんが死んでいる。それが現実だった。

私自身、死を意識する瞬間はこれまでに何度もあった。一か月ほど前の夜、何の気なしにシャワーを浴びていた際にも、その時震度5度の地震が発生し、いきなりお湯が止まった。めまいのような揺れが私の足を滑らせた。その時、「1秒後には死ぬかもしれない」と強く実感した。

1秒後でなくても、1分、1時間、1日、1年・・後には、「自分」以外の要素は無惨なほどに「関係がなく」、一人で死んでしまうかもしれない。

それほど、現実において、「死」は全く持って予想ができない。祖父が亡くなった時、入院をしていた祖父のことは、なかなかコロナでお見舞いができない中、いつか会いに行こう、いつか会いに行こう、とずっと思っていたのにも関わらず、結局最後

イーロン・マスクはいう。現実世界は未来の世代のシミュレーションゲーム。「ゲーム」だと。ああ、そういうとらえ方もできるだろうよ。そう考えることで、救われる人もいるかもしれない。また、「寿命の無い世界」もSFで何度も描かれてきた。今は、意識を脳内データとして保存して、生物個体としての死を迎えた後も、人間として生き続ける方法の研究も進んでおり、注目を集めている。そういう意味では、「死」など存在しなくなる日が、いつかは来るのかもしれない。

人類の誕生から現在における死への考え方は、全世界で宗教や生育環境の違いはあれど、「生まれてくる」と「死んでいく」という前提条件が全人類一緒である中で、とらえ方は人類の数だけあるのだと思う。いや、そう信じないと、私は全くもってやっていけない。だから、きっと思想家や哲学者、科学者、国の創設者、、いかなる人も、それぞれ自論をもって今でも世の中に影響を与えつづえ、共感を得ているのだ。きっと、死への救済は人類が誕生してから存在し続けるのにもかかわらず、結局、自分が選び取るのは、自分の中の思考パターンの中でしか生まれないのだ。

そう思ったとき、私は、死へ答えを見出すのはやめようと思った。今感じているすべてが、答えであり、真なのだ。

本当のことを言えば、すべてから救済をされたい。仕事をして、物を書いて、発信する。もっと単純に、生きて、考えて、食べて、寝る。もっと単純に言えば、生命活動を維持する。そんなこと、「死」へ向かっている私は、「死」を迎えるまで永遠にし続けなければならない。その過程で、新たな大事な人の「死」に直面し、悲しいニュースに心を痛め、心を揺さぶられ続けなければならない。

だが、私はこうも思うのだ。ゲームほど「死」が軽い世界はない。いとも簡単に、人を殺せてしまう。すべてが、他人事。

その分、筋書きはすべて決まっている。ストーリーの落ちも、人の死ぬ条件も全てクリエイターの手中にある。私たちが関与できるのは、その一部だけだ。筋書き通りに、人を動かしているだけだ。だから、こんなにも、軽い。

現実の死は重くて、苦しくて、本当に嫌で仕方がない。できることなら、私を構成する全てである、周りの存在は、永遠に生き続けてほしい。非常に矛盾しているが、「生」命に、死なんてなければよい、と何度となく叫んだ。だが、予想が全くつかなくて、死を迎えるまではどうすることだってできて、筋書きを自分で作ることができる、現実という世界なのではないか。

そこに、もしかしたら、生命のかがやきといったら大変陳腐で嫌気がさすのだが、そういったものが、初めて見出せるのかもしれない。

25歳の私は、今、こう誓う。

ゲームなんかで終わらせねえ。ゲームの何万倍も複雑で苦しくて、それでもたまに救われて、、そんなことができるのが、現実で。

これはゲームじゃないんだ。ゲームなんかで終わらせてたまるものか。


最後になるが、くじけそうになったら、私は、これらの言葉を頼りに、生きている。

FLIPFLOPS 「ダーウィンズゲーム」

「動脈が一本切れたら、(中略)、人は簡単に死ぬ。人は死ぬようにできている。」「死ぬのが嫌なら生まれてこなきゃよかったんじゃない。」

これらは、私が「今すぐにでも死ぬ可能性がある」ことを何度も思い出させてくれる。


湯本香樹実「夏の庭 」

「僕たちがおじいさんに生きてほしいと思うのは、僕たちの勝手だ。おじいさんは精一杯生きたのだ。」(うろ覚えだが)

これ以上の言葉はないと思う。人の死を受け入れる、、それは、他人を思うことなのかもしれないと、涙ながらに何度もこの言葉に支えられてきた。


高橋優 「素晴らしき世界」

 「僕らが生まれたことに訳なんてあってもなくてもいい 何にしたって呼吸し脈打ってる」

生きている、今を実感する言葉で、辛いときに、皆生きているときに発生している体内のメカニズムが一緒なのだと、実感させられる。


ミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」

「子供を作ることは一夜にしてできてしまうのに、生まれてきた赤ん坊にどうして命の重みを感じることができるだろうか」(うろ覚えだが)

命の重み、について気づきの多いこの本のこの言葉が、命について考えすぎたときに、教えてくれるものは多い。

生きることに意味を見出そうと見出さまいと、人の勝手なのかもしれない。こんなことを、25歳の分際で書くにはあまりに生意気で、浅はかなのかもしれない。それでも、考え続けることで、もしかしたら、素晴らしいものにこの先々で会えるのかもしれない。そんなきっかけを、87年生きた祖父が、教えてくれた。


おじいちゃんへ

おじいちゃん、本当に大好きです。おじいちゃんの絵が好きなところとか、好奇心が旺盛だったり、あまのじゃくだったり、甘いものが好きなところ、、それは、全部今の私の一部だよ。

ずっと、私を、見守っていてね。


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