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自己紹介(両親とも毒親でした…)

現在は妻と共稼ぎで2人の子供を育てています。

裕福ではありませんが、家族4人すこやかに過ごしています。

ですが僕には人に言えない暗い過去があります。

過去の事は妻や近しい人しか知らず、子供たちにも話していません。



父は僕が小1の頃、弟を連れて元婚約者のところへ出ていきました。

母は小2の終わり頃から、パトロン(愛人)と暮らすようになりました。



小5で児童相談所に保護されるまでは、母から郵送で送られてくる現金で独りで生活していました。

お金があったので衣食住は何とかなりましたが、心に深い傷を残すような完全なネグレクト(育児放棄)でした。

もし保護されるまでに病気か何かで倒れていたら、そのまま放置死に至っていたかもしれません。



児童相談所に保護された後、母方の祖父母宅で暮らしました。

隣の県に住んでいるのに、会った事がない祖父母や親戚達。

孫が、甥が、大変な苦労をしていたのに見ないふりをしていた事に不信感を抱きながらも、行く当てがないので居候しました。


まもなく母は雇われていたラウンジのオーナー(パトロンの弟)の援助で店を持つ事になりました。

かなり羽振りがよかったようで、祖父母や親戚達は何かにつけて養育費をせがんだり、ついには親戚達も店で働くようになりました。

親戚達の旦那さんは皆、大手企業で働いていて、何も奥さんに水商売を手伝わせる必要などないはずなのですが…

子供ながらに金銭欲というものは怖いものだと感じました。



僕が高校生になる頃には、僕自身もラウンジの手伝いをするように言われました。

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地元の私立大学に合格しましたが、ラウンジを継がなきゃいけないのに行く必要がないと進学させてもらえませんでした。


高校卒業後、男の僕は店の裏方だと言われ、主に帳票管理をさせられました。

労働に見合った対価だと大した給料も貰えず、空き時間にアルバイトをしていました。


20歳になる頃、居候先の祖父母から叔父夫婦と二世帯住宅を建てるけどどうする?と聞かれました。

どうするも何も祖父母に叔父夫婦に従妹2人、そこに僕の居場所などありません。

あまりに急だったので引っ越し先や引っ越し費用もなく、泣く泣く母のマンションに転がり込みました。


ラウンジの仕事以外は何もしない母…

店の帳票整理と家事、空き時間のアルバイトという日々が続きました。


幼少期から誰からも愛されず大人になっても奴隷のような日々が続き、母のいう事に無抵抗に従うような洗脳状態になっていました。


いずれはアンタが継ぐのだからと言われ、ラウンジの運転資金の連帯保証人になり…

男は身持ちが固いほうがいいと、母の住むマンションの別の一室をローンで買ったり…

さらに買ったマンションの一室は、母の衣裳部屋になり、倉庫のような状態になりました。

散々でした。


そんな生活が続いたのち、ラウンジに多額のツケをしていた客が倒産や自己破産をしツケを回収できなくなったり…

母や親戚・店の従業員が足替わりにタクシーを使って交通費が膨大に膨らんだり…

衣装や貴金属、客との旅行費に散財したり…

ラウンジは破綻してしまいました。


僕は高卒でロクな職務経験もないままに、そんな経歴でも雇ってもらえるブラック企業を転々としました。


自暴自棄になり、その場さえ楽しければ明日どうなっていてもいいと飲み会サークルを立ち上げ、ブラック企業の仕事とサークル活動との両立という無茶な生活をしていました。


そこで偶然、妻と知り合いました。

付き合っている時に、アナタの生き方は間違っている、逃げればいい、放り出せばいいと言われました。

長年続いた、親の間違った教育による洗脳状態が段々とけていきました。


結婚後、親の言いなりで買ったマンションの売却損や連帯保証人債務を整理するのに妻には随分迷惑を掛けました。


妻の存在がなければ、僕はたぶんこの世を去っていたことでしょう。


走り書きになりましたが、その時々の辛かった事や逆境を乗り越えてきた事を時間が許す限り、これからも書き続けていこうと思います。

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