ひとりよがりのポンコツ野郎
それは
「ちゃんとしなくちゃ」といった、ごく当たり前のような自覚がキッカケでした
結婚して父親になり、子育てをしていく上でどう生きて行くべきか?
家族のために、そして社会のために、どういった振る舞いをするべきなのか?
自分にとっての大した正義も見つからず、また今までの"体たらく"とも言える生活の反動で僕は「正しいこと」、もとい「正しいであろう事」を心がけるようになります
よし、そのついでに自分の悪いところも修正しよう!
家族にとって正しいこと、
社会にとって正しいこと、
それが自分にとって正しいこと。
今まで堕落した生活を続け、親に迷惑ばかりかけ、これからはちゃんとしなくちゃいけない
なにも聖人君子になろうというわけじゃない、いまさらお手本のような親になれるはずもない。
もちろん自分がそうしているだけで、怒ったり、責めたりする訳じゃない。
ウチの中では、ひょうきんな父ちゃんでもいる。
せめてどこに行っても堂々していられる、子どものためにも、自分のためにも、そんな親がいいんじゃないか
そんな考えを抱くようになったのです。
けど2・3年が過ぎ、それは間違いだったことに気がつきました。
・・どういうことか?
社会が味方するような、間違ったことをしない人はとてもずるいということを知りました。
だから僕は、正しいことばかりしようとする事をやめました。
正しさは誰かを追い詰める
世のため人のためと言う大義名分を武器に、社会的モラルを味方につけ、たたずむ。
それだけで周りにいる人にとっては大きなプレッシャーとなるのです。
ただ、それでも葛藤はあります
なぜ一生懸命正しいことをしようとしている人が居心地悪くならなきゃいけないんだ
なぜ気を遣っている人が、気を遣っていない人に合わせなきゃいけないんだ
実は"そのこと"を理解するための布石のようなものだったのです。
社会とか、常識とか、ルールを味方につけた独りよがりの優越感は、まるで虚栄心と相違ないのだと。
それよりも大切なこと、それは、欠陥だらけの人間を、あたたかく見守る。
自分の、他人の、良いところも悪いところも、表と裏、光も闇も、まずは受け入れることが大切なんだと。
それが唯一の道かもしれない 。
ひと様に聞かせるようなほどの事ではありませんが、、
今は、まぁそんなところです。
最後までお付き合い
ありがとうございました。
ハルヤギ
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