【短編小説】ヤツは、あなたの大切なものを【書くのに2時間半くらいかかった】
【今夜、あなた方の大切なものをいただきます
怪盗X】
「大切なものって何でしょうねぇ」
後輩刑事の須藤が緊張感のない口調で言う。
「正直、全く見当がつかない。今まで、怪盗Xが盗みのターゲットを明らかにしなかったことはないんだが……」
江崎警部が怪盗Xからの犯行声明文、いわゆる予告状を受け取ったのは、これが初めてのことではなかった。数年前、その頃既に正体不明の大怪盗として名をはせていた怪盗Xの事件を担当した際、彼を逮捕するには至らなかったものの、江崎の活躍で犯行を阻止することができた。以来、怪盗X対策本部などというみょうちきりんな部署の本部長に据え置かれ、怪盗X関連の情報は一つの取りこぼしもなく全て、彼のもとへ集まるようになっている。
そんな江崎からしても、今回の予告状は異質なものであった。まず、犯行時刻。今夜、というあやふやな書き方は、これまで見たことがない。午後七時とか今夜九時とか、時間を明確に記述し、その時間から一分も遅れることなく姿を現す。その時間に向けて捕まえる準備をしておいてください、とでも言わんばかりの手口は、警察を舐め腐った奴らしいものだ。
次に、盗難対象。大切なもの、などと曖昧な言い方を、怪盗Xが予告状に使用したことは、これまで一度もない。○○美術館が所有している××という絵、□□宝石店で取り扱っている、一番高価な宝石。予告状を読んだ人間が彼の狙っている代物を誤解なく認識し、対策できる状態を作る。そのうえで颯爽と対象物を盗み出すのが、普段の怪盗Xのやり口だった。
「やっぱり偽物なんじゃないですか、この予告状」
「話を聞いていなかったのか、お前。予告状の表に毎回描かれているイラスト、この情報はマスコミにも公表されていない。このバラのイラストが今回も描かれている以上、予告状を書いたのは怪盗X本人で間違いないんだよ」
江崎の言葉に、ああそうでしたねぇ、と気の抜けた声で応じる須藤。
「それじゃあやっぱり、今夜も来るんですかねぇ。怪盗Xが予告を破ったことは今までありませんし。……でも、いったい何を盗っていくつもりなんでしょう」
最初の話に戻ってきてしまった。
「それが分からないことには対策もできませんし……」
「泣き言を言っても仕方ないだろう。可能性のある物を手あたり次第に集めて、まとめて警備するしかないだろうな……」
「可能性のあるものったって、あんな曖昧な書き方じゃ見当すらつきませんよぉ……」
「いや、そうでもない。予告状には、あなた方の大切なものを盗みに来るとあった。怪盗Xが言う「あなた方」の範囲がどこまでかは分からないが、状況的に俺たち警察、もっと言うと、怪盗X対策本部に所属する人間たちのことを指していると考えるのが自然だろう」
「俺たち全員に共通する、大切なものを考えればいいってことですか?」
「そういうことだ」
なるほどぉ、と須藤は顎に手を当てて考える。
「ここの部、結構いろんなところからいろんな人が集まっちゃってますから、誰の価値観にとっても大切なものってあるのかなぁ。とりあえず、お金はみんな大切でしょう? あと……あ、スマホとか」
「まあ基本的にはそうだろうな」
「ってことは、部全員から財布とスマホを預かって、見張ってればいいんですかねぇ」
「……そうなるのだろうか」
そう聞くと、なんだか間抜けな対策だ。
「他には……うーん……」
「……いきなり全員のことを考えようとするから、出てこないんじゃないか? まずは身近で考えやすいところ……須藤、お前自身にとって大切なものから考えてみたらどうだ?」
「なるほど。俺、俺の大切なものですか……」
須藤は一度大きく瞬きをした後、えへへぇ、と間の抜けた、どこか嬉しそうな表情で言った。
「俺は、最近できた彼女が一番大切ですねぇ。白いワンピースが似合う、笑顔の可愛い子。あ、写真見ます?」
「……必要ない」
何のためにこの話題になったのか、彼はもう忘れてしまったのだろうか。少なくとも、彼の惚気話を聞くためではない!
「とにかく、警察の威信にかけて、今回こそ怪盗Xを逮捕しなくてはならないんだ。真面目に考えてくれ」
「そんなこと、言われなくても分かってますよぉ。だから今日だって、彼女とのデートをキャンセルしてまで警備に協力するんですから」
「そうだったのか、すまない」
頭脳はともかく、怪盗X逮捕に掛ける熱意は須藤も負けていなかった。
「……あ、それじゃないっすか? 俺たちの「大切なもの」」
「それ?」
「さっき江崎さんが言ったじゃないですか、警察の威信にかけて~って。怪盗Xが今夜盗むのは、俺たち警察の威信だったんすよ」
須藤は目をらんらんと輝かせ、自信に満ちた表情で言う。
「……その威信なら、怪盗Xを五回連続で取り逃がしたあたりで無くなってるんじゃないか?」
「あ……」
マスコミ連中が怪盗Xを持ち上げる一方で、我々警察の警備体制に問題があるのではと囃し立てるような記事が最近増えてきているのは知っている。須藤が気勢を削がれたようにしゅんと俯く。
「怪盗Xを捕まえたら、戻ってきますかねぇ」
「戻ってきたとしても、無傷ではないだろうな……」
犯行時刻が、刻々と近づいていた。
―――
――
―
「何というか、壮観っすねぇ……」
――その夜。須藤が呆けた顔で呟く。警備員が一定間隔で配備された室内の中央には、警備員たちから集めた財布や貴金属、スマートフォン、その他各々が大切だと思ったものが、強化ガラスでできたショーケースの中に収められていた。江崎も財布とスマホに加え、自分にとって大切なものである、妻とのツーショットを提出していた。怪盗Xがそんなものを狙うかは分からないが、念のためだ。
ショーケースの中央に配置された机の上には、我が署のマスコットキャラであるナワワくんのぬいぐるみが、在庫処分のような量並べられていた。大切に思っている人がいるかはともかく、署の人間が共通して認識している存在だ。ぬいぐるみ特有の黒くてつやつやした無機質な瞳に、我が署のマスコットながら不気味だ、と江崎は思った。
「……しかしこれ、全部怪盗Xに取られたら被害甚大っすねぇ」
「馬鹿、そうならないための警備だ。なんとしても今日、奴をお縄にかけるんだ」
「まあそうなんですけど……。結局、怪盗Xの言う「大切なもの」の正体は判明しませんでしたね」
「なに、牢にぶち込んでから聞き出せばいいさ。今は警備に集中しろ」
そうは言うものの、江崎は不安でたまらなかった。もし、怪盗Xの目当てのものがこの部屋になくて、彼がこことは全く違う場所に出没したら。あるいは、この厳重な警備をすり抜けて、我々が集めた貴重品をご苦労と掠め取っていったら。
チッ、チッ……。誰かが提出した腕時計の音だろうか。江崎にはその間隔が、平常時の二倍はあるんじゃないかと思った。ああなんで怪盗Xは、もっと詳細に時刻を書いてくれなかったんだ!
夜が更けていく。怪盗Xは現れない。今にでも奴がひょっこり姿を現したらどうしよう、と思うと言いようのない不安に襲われる。が、来なかったら来なかったで別の不安が江崎を襲う。もしや、別の場所に現れたのでは。しかしそのような情報は入ってきていない。
「夜の定義って、何時から何時までなんでしょうねぇ……」
こんな時でもブレない須藤の態度が、今は心強かった。
―――
――
―
チッ、チッ……。
夜が明けていく。須藤の言っていた夜の定義とやらは知らないが、日が山脈の間から顔を出せば、さすがに朝が来たと言っていいはずだ。
「怪盗Xが来てない……?」
「怖気づいたのか?」
「ってことは、俺たち警察の勝利?」
「ばんざい!」
「なんだよ、怪盗Xも案外小心者だな」
「小心者っていうか、小物?」
一言も喋るまい、隙間風の音すら聞き漏らすまいと張りつめていた空気が、一気に緩む。お疲れ、と肩を組むもの、その場にへたり込むもの、立ったままいびきをかくもの。徹夜で警備し続けた彼らの間には妙な達成感や高揚感、そして疲労感に包まれていた。
……立ったままいびきをかいていたのは、須藤だった。こいつ、いつから寝てたんだ。まさか警備中もこの調子だったのではないだろうな。
「須藤……おい須藤、起きろ」
「んん……ゴメン玲奈!」
江崎の言葉に目を開けたのはいいが、まだ寝ぼけているようだ。
「す・ど・う!」
「わあ江崎さん!」
「そうだ、江崎だ。いったい誰と間違えてたんだ? まったく……」
「玲奈って俺の彼女です」
「聞いてない。なんだ、その玲奈さんと夢の中でデートでもしていたのか?」
夜が明けるまで不安に支配されていた江崎だが、今は軽口を叩く余裕があった。怪盗Xは、来なかった。別の場所に出没したという情報も、入ってきていない。奴は、我々警察に恐れをなしたのだ。
「そんなんじゃないですよぉ! 俺、玲奈に怒られてたんすよ」
「デリカシーがない、って?」
「違います! いつまで怪盗Xなんかに時間を取られてるんだ、そのたびにデートをすっぽかされる私の身にもなれ、って……」
「それは、耳が痛い話だな」
「でしょう? まあ現実の玲奈はそんなこと言わないんですが」
なんで俺は、徹夜明けに後輩の惚気話を聞かされているのだろう……。重い瞼をこすった江崎の頭に、何かが引っかかるような感覚があった。
「……なあ須藤、お前さっきなんて言った?」
「へ? まあ現実の玲奈は……」
「違う! お前が夢で玲奈さんに言われた言葉だ!」
「ええー?」
居眠りをしておいてまだ眠たいのか、モソモソと右の袖で目元を拭った須藤が言う。
「いつまで怪盗Xなんかに時間を取られてるんだ、そのたびにデートを……」
「おい、まさかとは思うが……」
須藤の言葉を遮り呟く。時間。万人に共通する、大切なもの。怪盗Xのために消費され、なくなったもの。江崎の脳内で、点と点が急速に繋がっていく。
「江崎さん、どこ行くんすか?」
他の警備員たちは、既に警戒の解かれたショーケースの中から各々が預けた貴重品を取り出し始めていた。江崎もその集団に混ざり、自分のスマートフォンを手に取る。
メッセージアプリに通知がひとつ。妻からだ。怪盗Xにかまけて結婚記念日をすっぽかした愚かな旦那への、短い労いの言葉が届いていた。
もうちょっと短くまとめられなかったものか。
宣伝、新曲。限界オタクちゃんの歌。自信作です、珍しく。
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