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会社で隣の席だった子が大切な友達になった話

人生の偶然により関係性が発生した、私の大好きな友達についての話です。出会いは不意に現れて、それが宝物であるということが徐々に明らかになってきます。


友達ができるって宝くじに当たるみたいだ

私の大切な友達である、Aちゃんの話を書きます。

Aちゃんは私が以前勤めていた会社で、たまたまずっと隣の席だった子です。私より4つ年下ですが、会社に入った時期としては少し先輩です。最初は席が隣でも別々の仕事をしていましたが、私が入社してしばらくしてから、担当する案件も一緒になりました。このときの仕事内容は、工場の生産ライン向けのニッチな分野の機器の開発で、私はソフトウェアの設計とプログラムを書くということをやっていて、Aちゃんはハードウェアの選定と管理などをやっていました。今ではお互いに転職してこのときの会社を離れていますが、彼女は今も技術系の仕事をしています。たぶん女性はやや少数派の世界です。

Aちゃんはボーイッシュな感じの美人です。いかにも女の子っぽい格好をすることがないのに、常にかわいいからすごいと思っています。とはいえ、キツめな美人という感じでは全然なく、親切で親しみやすいタイプです。普段はコンタクトをしていますが、メガネをかけるとかわいさが増します。寒がりで、冬になるとモコモコになります。基本的には真面目な人ですが、会社で回覧する書類の隅っこに猫の落書きを残していくような茶目っ気もありました。

私がAちゃんに対して以前から感じていたのは、「こやつ、心が綺麗か…?」という感覚です。人間や人間関係の複雑な部分に、いい意味で頓着していないような感じがするんです。ここには詳しく書きませんが、Aちゃんはあるマイノリティの属性を持っています。私は会社で一緒に働いていた頃からAちゃんのことを好ましく感じていましたが、こういうことを知ったのは、仲良くなってもう少し時間が経ってからのことです。

私がAちゃんと仲良くなったきっかけは、私が大変な仕事が続くことでメンタルを病んでしまって、そのまま仕事を放り出して退職することになったという事件でした。それまでは携帯で個人的にやりとりするようなことはなかったのですが、たまたま会社の緊急連絡網として私の連絡先を知っていたAちゃんは、私のことを心配して、体調を気遣うメールを送ってくれました。当時のメールは今も私のスマホの中に残っていて、これは2017年の終わり頃のことです。

その後、私たちはぽつぽつとやりとりするようになって、個人的な話もするようになりました。私がだんだん元気になってきてからは、ときどき会ってランチでもしようよ〜ということになって、この頃から会社のかつての同僚というより、だんだん友達という感じになってきた気がします。そうしている間に、Aちゃんもかつて私たちが隣同士に座っていた会社を離れて、何回か転職しました。今は2023年で、ということは私がAちゃんと仲良くなり始めてから6年くらいが経過していて、今では春夏秋冬の各シーズンごとに1回は遊ぼうね〜という感じになっています。

今にして思えば、会社で席が隣だったのはたまたまだし、同じ案件を担当することになったのもたまたまだし、突然退職することになった私の携帯の番号を知っていたのもたまたまです。そもそも私がこの会社に入ったのは、私の技術者としての専門分野と会社の事業内容が近かったというのもありますが、この会社の所在地がたまたま私の住んでいる区と同じ区で、求人を見て「おっ、この会社すぐ近くじゃん」ということが目についたのがきっかけです。この会社は実は、もし道路の一本向こう側に存在していたら別の区になっていたという場所にあって、これもまた偶然です。

人の人生航路や出会いがかなり偶然に左右されるということは知っていたとはいえ、私がAちゃんと仲良くなれたことは、本当に奇跡的な贈り物だったのだなと思います。

延々喋ってるだけで嘘みたいに幸せだった

先週の木曜日は祝日で、午後からAちゃんと遊びました。

本当はひとつ前の週末に遊ぶ予定だったのですが、Aちゃんがたまたま体調を崩していて、この日に変更になりました。私はAちゃんに対してはめちゃくちゃ甘いので、ドタキャンされても遅刻されても特に気になりません。ちなみにAちゃんは、この日も普段どおり待ち合わせに遅刻してきました。

Aちゃんは漫画が好きなので、最近読んだ作品で何か面白かったのある? という話を毎回している気がします。この漫画好きというのがけっこうしっかりしていて、現在進行形で連載していたり話題になっている作品だけでなく、昭和の少年漫画の話もできるというのがAちゃんの面白いところです。彼女は、たとえば手塚治虫の話をするときには「手塚先生は…」という呼び方をします。これは業界的な敬称で、編集者が漫画家を呼ぶときだけでなく、読者が作家をリスペクトするときの呼び方としても使われるんですね。こうされると私も呼び捨てにすることが憚られるので、つられて「水木先生って…」みたいな言い方になります。

漫画だけでなく、Aちゃんはサブカルチャー全般にも比較的詳しいようです。私より若いわりに、SNSやスマホの登場以前の「昔のインターネット」の話が普通に通じます。最近は観賞魚を飼っているそうで、私の近所にたまたま専門のショップがあったので、この間の夏に遊んだときにはそこに一緒に行ったりもしました。

さて、今回の待ち合わせは、私の家の近所にある喫茶店です。お昼過ぎの軽食をつまみながらお喋りをしました。Aちゃんは私が音楽オタクだということも当然知っています。ちょうど少し前に、ビートルズのベスト盤である赤盤と青盤が再発されていたので、「ああいう過去の名盤って一体何回再発するんでしょうね〜」という話をAちゃんが振ってきました。そこで私は「ちがうの、今回の再発にはちゃんと意味があるの! こういう再発のときって一般的にはリマスターっていう作業が行われていて、ノイズが取り除かれたりしてるんだけど、今回はミックスという作業自体がやり直されてるの。ミックスっていうのは各楽器のバランスを調整したりする工程で、ビートルズのような60年代のサウンドっていうのは現代的に見るとミックスがちょっと甘くて、特にモノラルからステレオに移行する過渡期には……」みたいな話を早口でまくし立てました。これはいわゆるオタク早口というやつで、話し終えたときに「すごい、オタクって本当に早口で喋るんだね!」とふたりでめちゃくちゃ笑いました。

こういう話は誰にでもできるわけではありません。私はAちゃんの趣味が広いことを知っていて、私の話すことならなんでも聴いてくれるという信頼を持っています。人は目の前にいる相手によって、自分の見せる顔をある程度切り替えているのが普通です。Aちゃんの前でしか見せられない顔もあるんだな、ということにこのとき気づきました。

私がAちゃんと遊ぶのは、だいたい私の最寄り駅の周辺です。帰りには地下鉄の駅まで送って行って、改札の前でハグをして別れます。私はいつも、Aちゃんのことが大好きで大切に思っているということや、遊んでくれてありがとう、また遊んでね、といったことを伝えています。

駅で別れて、家に帰ったとき、私は今すごく幸せなんだな、と心から思いました。大切な友達と会った日の夜には、いつもそのように感じます。

大切な誰かがあなたを救ってくれる

誰かを大切に思うことほど、尊いことはないと感じます。

人付き合いがすごく下手で、どこにも馴染めなくて、生きていることが苦しくて、誰にも心を許せなくて、誰も信用できる人がいないということを、ずっと感じていました。

過去のことを思い返すとき、「大切なものが一気にやってきたな」という感想を抱きます。私は20代の終わりに、自分が夢中になれる楽器と出会って、そこでさまざまな友人と知り合いました。思い出してみると、私がAちゃんと同じ会社に入って、一緒に働くようになったのもこの頃だったんです。

結局、人間を救ってくれるものは人間しかいないんだなと感じます。人が孤独を感じているとき、読んだ本や聴いた音楽に助けられるということはあります。何かをコツコツ行うことで日々を生き延びられることもあります。それでもやはり、人間は人間を完成させるための最後のピースです。

Aちゃんが私を救ってくれた人間のひとりであるということを、Aちゃん自身はたぶん知らないと思います。有名人でもない、普通にその辺で働いて生活しているだけの人が、私の心の中ですごく大きなものとして存在しています。

これからもずっと仲良くしてね。

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