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保育で考える。命の巡りについて。「害虫の生命ってどうなるの?」

 地面に大量のフン。見上げると桜の木の葉に大量の毛虫。見た目は気持ちが悪く大人たちは嫌な顔をしながら駆除をしていました。
調べてみると、モンクロシャチホコという毛虫。食べると美味しいらしい。でも、刺されると痛いのでやはり保育の現場では駆除しなければならなかったのです。害虫駆除の業者が来て何か液体をかけると、数十分後には200匹以上の毛虫が地面に落ちて、クネクネと体を揺らしていました。

「気持ちが悪い」

みんなそう言いながら、ほうきとちりとりで集めゴミ箱へ入れていきます。

「同じ生命なのに」

そう不思議に思ってしまいました。比較的飼うのが易しく、生命の変容がわかりやすく安全な、蝶やカブトムシ、カマキリなどの虫は喜んで飼育されたり、観察されたりします。虫に触れることは身近に生命を感じることができる素敵な出会いだからです。

でも、人間に害があるとなると、とたんに残酷にも害虫とされて、殺されてしまう。当たり前なことかもしれませんが、人間の身勝手さに私はどこか引っかかってしまいました。

せめて、土に還り地球のエネルギーとして生命がつながっていって欲しいと願いながらも、ゴミ箱に捨てるしかないような気がします。

もちろん、次の日、子どもたちが来た時、毛虫について危険であることを指導することと、見つけたらすぐに駆除することになりました。

でも何故か、私はそこでも葛藤があり、
子どもたちが毛虫を見つけた時、その場で毛虫をゴミ箱に捨てることができないような気がしていました。生命を感じて欲しかったからです。

子どもたちが来てから、「刺されるととても痛いから触らないようにね。見つけたら教えてね。」とだけ呟きました。庭に出ると、やはり数匹の毛虫が地面を這っていて、子どもたちは目をキラキラさせながら毛虫を見ていました。

「わー!毛虫だ!」「ここにもいた!」
「とって!とって!」

何度も呼ばれた私は曖昧な気持ちでほうきとちりとりを持ち子どもたちが呼ぶ方へ向かいました。
子どもたちは触る様子もなくただ興味深々でした。

呼ばれて向かった先にいた毛虫は死んでおり、アリが群がり巣まで運ぼうとしていました。

「毛虫が食べられちゃう!アリを倒して!」

真っ先に子どもから出た言葉。
その時、子どもたちにとっては毛虫ではなく、毛虫を食べようとしているアリが悪だったのです。

すると今度は

「アリさんのご飯になってるね」

と一人が言いました。
周りにいた子どもたちも

「大きいから家族みんなで食べられるね」

と言って見ています。

あ、これだ。
子どもたちは自然と生命のつながりを感じているんだ!

そう思いました。

大人は状況に関わらず「害虫だから駆除しないと」「気持ち悪い」が先に来ます。

でも、子どもたちは一つの生命を巡り、様々な思いを伝え合い、視点を共有し合い、柔軟に様々なことを感じとっていました。

また別の一匹の毛虫が死んでいました。
私はちりとりで取り、子どもたちの方を見ました。

「どうするの?捨てられちゃうの?」

そう言った子どもたち。
なんと言おうか、なんと言ってゴミ箱へ持っていくべきか私は悩んで言葉に詰まっていましたが、

「毛虫のいのち、アリにあげようよ」

そう言った子どもたちは、ただ純粋にそこで起きていることを受け入れているんだなと感じました。



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追記
殺虫剤によって駆除された毛虫をアリが餌とした場合、アリの生態系にも影響が出るかもしれません。しかし、今回は保育という短い時間の中で子どもたちが生命の循環に出会う場面に大切なこととしての視点に焦点を当て、記載しております。

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