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イスラム世界探訪記・バングラデシュ篇➉(最終回)

「07年9月16日~17日]
(ダッカ→香港→成田)

 事実上の最終日となった16日は、前回の続きからです。

■スラム=「ボスティ」

 駅のホームで勉強している子どもたちを見てリキシャに戻った私は、行きたかった場所をリキシャワラーのモハメッドに告げた。入国翌日の10日にも遠目から見た、線路沿いに広がったスラムだ。モハメッドによると、そこで暮らしている人たちは政府から道を掃除するなどの仕事を与えられているという。清掃は朝4時ごろ行うそうだ。

 当時のバングラデシュは、国そのものが「世界最貧国のひとつ」と言われていた時代で、その国にあるスラム街。ゲスな好奇心と言われても否定はできないが、歩いてみたかった。そう伝えるとモハメッドは「危ない」「すぐに荷物を盗まれる」と反対した。「どうしてあんな危なくて汚いところに行くんだ。俺が楽しいところにいろいろ連れて行っただろ?(意訳)」。

 それでも、少しだけと言って近くで降ろしてもらい、ひとりでスラム街に入った。何度もモハメッドに「ビーケアフル」と声を掛けられた。

 この、ダッカの線路沿いに広がるスラム街は「ボスティ」と呼ばれていた。帰国してから調べ、ボスティが、ベンガル語で「スラム」を意味する言葉だと知る。訪れたスラム個別の名前ではなかったわけだ。

 そこは思っていた以上に広く、線路に沿ってどこまで続いているのかわからないエリアだった。木材と布で作ったような家が建ち並び、ゴミが散乱している。すえた匂いが漂っているが、悪臭で鼻が曲がるというほどのことはない。

 そして当たり前だが、そこには普通の生活があった。談笑する人たち、線路に腰を下ろしてのんびりしている女性、いろいろだ。最も目に入ったのは、楽しそうに飛び回っている子どもたちである。

 凧揚げをしている子どもがいた。筒状の道具に糸を巻き付け、凧と繋いでいる。筒の中心を一本の木で貫いて、両端から飛び出した部分を持ってコントロールする仕組みだ。背筋を伸ばして凧を飛ばし、遠くの空を見る彼らはすがすがしい。私も持たせてもらった。けっこうな重さと手ごたえが腕に伝わり、それが脳に走って楽しさに変換される。バングラデシュのスラムで凧揚げをする日が来るとは想像もしていなかった。

凧揚げをする男の子

 ひやりとすることもあった。歩いていると、年齢不詳のガリガリに痩せた女性が私の正面に立ち、目も鼻も口も、顔中を見開くような笑顔で握手を求めてきたときだ。

 手を差し出すと、ぎゅっと強く握られた。こちらも笑って話しかけるが、英語でのコミュニケーションはできない。頃合いに手を離そうとした途端、万力のような力が込められた。細い女性とは思えない力で締め付けられるように握られ、手を抜くことができない。見開いた目がじっと私を見ている。「正気ではない人の目」が、顔の先、数十センチのところにあった。怖じ気のようなものが身内を走った。全力で手を振りほどく。笑顔を崩さない女が、じりじりとまた近づく。

 目の色と開き方、笑い方や佇まいなどから「クスリやってんな」という印象だ。なるべく刺激をしないように、ゆっくりとその場を離れた。

 そんなこともあったが、スラム街から受けた全体的な印象は「明るい子どもたち」だ。突進するように走り寄ってくる。生き生きしている。陽気さとたくましさがあり、そのエネルギーに圧倒された。

 良い笑顔ばかりで楽しかったし嬉しかったけど、そんな子らに自分はどう見られているのか。カメラを持ってぶらぶら歩く観光客がいなくなった後、彼らはどんな気持ちになっているのか。後ろめたさのようなものを覚えたのも確かだ。

 事実上、ここがバングラ巡り最後の場所になった。寄り道をしつつホテルへ戻り、スタッフに空港行きのタクシーがいくらかかるか聞いてみると「500タカ(約800円)」という。モハメッドに伝えると、切れた。「200で行けるよ! 300はコミッションだよ!」と声を張り上げる。

 そんなモハメッドには、一日付き合ってくれたことから、1200タカ(1900〜2000円)を渡した。世話になった三日間で、彼に4200円くらいを支払った計算になる。1200タカを差し出したとき、物珍しげに寄ってきた子どもが彼をつついて、「やったなお前」という顔をしていたのが忘れられない。一日で稼げる金額としてはかなり大きかったのだろう。こちらもダッカを楽しめた。グッバイ、モハメッド。また会おう。そんなお決まりのやり取りをして別れた。

モハメッド。③の再掲

■使ったお金は9日間で242ドル

 ここから先は蛇足である。

 ホテルの食堂で夕食を取り(半分残した。やはり腹の調子が万全ではないのだ)、夜のダッカを見ながら空港に向かった。ダッカの空港では、余らせていた通貨「タカ」を、日本円を持っていたデューティーフリーのおじさんに両替してもらった(闇両替になるので本当はダメです)

 驚いたのは、何気なく顔を拭ったティッシュが真っ黒になったことだ。この日、6時間ほどリキシャで外を回っただけで、目を疑うほど顔が汚れていた。

 飛行機は16日の深夜にダッカを発ち、香港を経由する。香港の空港に着いてから顔を洗って拭った紙も、再び黒々と汚れた。鏡の中の自分は日に焼けてしっかり黒いが、その黒の中にはしつこい汚れも混ざり込んでいるようだ。

この時の自撮り。焼けておる

 あとはまあ、どうでもいいですけど、香港の空港では女性に目がいってしまいますね…。イスラム圏から帰ると、露出の多い女性の格好を目で追ってしまうのはいかんともしがたい。久しぶりに自分以外の日本人が話す日本語も聞いた。パキスタン帰りの時も思ったが、こうなると逆に日本に戻りたくなくなる。

 そんな思いは叶うはずもなく、香港から飛んだ飛行機は17日の午後3時ごろ成田に到着した。

 お金の面を総括すると、この旅で使ったのは所持した450ドルのうち、242ドルだ。期間は実質、9月9日~17日の9日間。安い。しかも全然節約なんかしていない。宿もダッカでは中級ホテルに泊まった。貧乏旅行をしようとすれば、この半分でまかなえるだろう。

 帰国時の税関検査では、お決まりのように荷物を開けられて細かいチェックを受けた。イスラム圏を行くバックパッカーはおおむねこんな感じのようだ(たぶん)。検疫で、激しい腹痛に苦しんだ旨を職員に伝えると「何かあったらここに連絡を」と紙を渡された。よく覚えてないが、あれは保健所か何かの宛先だっただろうか。

 ちなみにこのとき、まだ腹の痛みはじくじくと残っていた。仕上げに一度という気分で、成田空港のトイレに入る。座っていると、外から子どもの泣き声が響いて、はっとさせられた。そういえば、バングラデシュでは、子どもや赤ん坊の泣き声を一度も聞いた覚えがない。不思議だなあと思い、なぜかしみじみとした。(了)

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