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イスラム世界探訪記・バングラデシュ篇⑥

「07年9月13日」
(クアカタ→ダッカ行きのバスの中)

  ブウウーーンンンーー、というまるで『ドグラ・マグラ』の冒頭のような音で目が覚めた。目を開けると、顔の真上で見たこともないほど大きな蜂が飛んでいる。ベッド脇の窓から明かりが差していて、羽音が耳を、光が目を刺激した。生きていた。

■震源地はスマトラ

 5㎝はありそうな蜂が顔の前で飛んでいれば、いつもなら慌てて追い払うところだが、しばらく呆けていた。「津波、来なかったんだな」と思い、安堵した。逃げなくて良かったじゃん。正解だよ。ラッキーなだけか?

 この日のうちに日本の知人からもらったメールでわかったのだが、昨夜の地震はオーストラリアではなく、インドネシアのスマトラ島で起こっていたようだ。他にも何人かから安否を確認するメールをもらったから、国際的なニュースになったことは間違いないのだろう。

 これを書くために改めて調べてみると、この地震は「07年9月12日20時10分(日本時間)、インドネシアスマトラ島南部で発生。マグニチュード8.4。死者25人以上、負傷者161人(07年10月10日現在)」ということらしい。地震直後の10月の情報だから、死者も負傷者も、もっと多く出たのだろうと思われる。

 スマトラ島では04年12月に、30万人以上ともされる死者を出した、巨大地震による大津波が発生している。ちょっと背筋が寒くなる体験だった。

■乗らないか

 部屋を出ても宿のスタッフは誰もいなかった。街を歩く。平和だ。ビーチへ行った。「後ろに乗らないか?」と声を掛けてきた兄さんのバイクに乗って海辺を疾走した。海の「辺」だけでなく、浅瀬にまで入って走った。ついでに今夜19時発のダッカ行きのバスチケットを400タカ(約650円)で購入した。

 一通り走ると、200タカの約束だったところを「500タカだ」と要求される。面倒くさい。払わない。日本語を交えつつ断固拒否の姿勢を貫くと、当初の約束通り200タカで済んだ。値段交渉を頑張ったのは、この旅初めてかもしれない。しかしこの兄さんはたいしたもので、私がこの後、飯を食いつつぶらぶら歩いていると、「乗らないか」と再び私を呼び止めた。立派な根性である。

 海辺だけでなく、街を散策した。放牧されているらしき動物たち、市場に商店。人々の暮らしが垣間見えた。様子は以下の写真で。

■クアカタ=井戸を掘る

 さて、ぶらぶら歩いていると一人のバング男性がやってきて、チャイをおごってくれるという。男は「昨日の仏像、凄かっただろ」「クアカタの井戸も良かっただろ」などとおっしゃる。確かに昨日、井戸には行ったが彼のことは知らない。仏像とはそもそもなんだろう。話がすれ違いっぱなしだったが、よくよく聞いてみると、男が案内したというのは、おそらくナカイ君である。日本人の顔の区別がつかないのだろう。

 せっかくなので辺りを案内してもらった。昨日、ナカイ君に連れて行かれた井戸にも行くが、やっぱりただの井戸だ。これは何なのだと聞くと説明してくれ、おぼろげに理解した。すっかり忘れてしまったので今回、改めて調べてみると、かつてムガール帝国の勢力拡大から逃げてきた人の一部がこの土地に流れ着き、生活のために井戸を掘ったら水が出た。それがこの井戸で、そもそも地名の「クアカタ」とは「井戸を掘る」という意味らしい。なるほど、クアカタの象徴のようなものである。

前回の写真を再掲

 仏像もやたらとお勧めされたので行ってみた。バングラ全土で最も巨大だそうだ。高さは2.5~3メートルくらいだろうか。彼が仏像の前で土下座をして祈るから、郷に入りてはということで、私も真似をした。

 彼の話によるとクアカタでは、仏教、ムスリム、ヒンズーのそれぞれの信徒がエリアを分けて暮らしているのだという。先ほどチャイを飲んだのは仏教徒のエリアで、彼も仏教徒だ。仏教徒のエリアには6つの村があり、2000~3000人が住んでいるらしい。いわく「40~50年前まで、この街には仏教徒しか住んでいなかった。今はそれぞれのコミュニティがありつつ一緒にくらしているが、ムスリムはダメだな。汚い」。

 宗教は難しいですよね。私はムスリム好きですよ。

 やることがすっかりなくなり、今夜のダッカ行きのバスが出るまでの間、ホテルで休んだ。宿代の半額(250タカ)を請求されたが仕方がない。チェックアウトをし、路上の屋台で売っていたよくわからない揚げ物を夕食にした。やたらと油っこかったが、これはバングラの特色である。後から思えば、この揚げ物が致命傷だったのだ。きっと。

 ナカイ君とはこの日も遭遇した。ダッカ行きのバス乗り場で座っているときだ。彼は、もうしばらくクアカタにいると話す。昨夜の件を聞くと、バングラ人の多くは「カラパラ」という隣町にバスで避難したらしい。やはり危険だったのだと、改めて思った。

 やがてバスが着き、街を去ることになる。19時に出て翌朝ダッカに到着する、長距離深夜バスだ。

 このバス旅が地獄の始まりだった。

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