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天草騒動

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島原の乱を題材にした江戸時代の実録物、『天草騒動』の現代語訳です。伝奇小説のような趣もあり、読み物としてたいへんに楽しめるものです。目次のページからお読みください。
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天草騒動・目次

はじめに  島原の乱を題材にした江戸時代の実録物、『天草騒動』の現代語訳です。冒頭を読め…

天草騒動 「33. 有馬・寺澤・松倉の三家の勢敗北の事」

 さて、立花勢は敗北して退いたが、正面の道筋は、松倉豊後守殿と寺澤兵庫頭殿の攻め口で、同…

天草騒動 「32. 原城最初の合戦の事」

 立花家の先鋒が城の近くに押し寄せ、「それっ、乗り込んで踏み潰せ。」と、空堀に飛び込んで…

天草騒動 「31. 鍋島甲斐守殿の乳母の願いの事」

 このたびの一揆追討の下知を受けて、西国の諸侯はそれぞれ島原に向けて発向した。その中に鍋…

天草騒動 「30. 将軍家大評定の事」

 評定の席で伊豆守殿が前に出て言った。 「水戸殿の仰せは至極ごもっともと存じます。それが…

天草騒動 「29. 原の古城を修復し要害を構える事」

 一揆方は緒戦に見事な勝利を納めたので、諸将が会所に集まって今後の方針を話し合った。その…

天草騒動 「28. 一揆の者、原村に集合の事」

 一揆の面々は葭田三平の謀計で城兵を欺き、思いのままに勝利を得ることができたので、今のうちに蔵屋敷の米を奪おうと考え、蔵の扉を押し開き、俵を運び出して船に積み、原村に運び込んだ。  兵糧蔵を建てて穀物を積み入れたが、その量は、米二万八千俵、大豆四千俵におよんだ。これらの穀物をたった一日で奪い取ってしまったのである。  また、一揆に味方しない村に押し寄せて暴れまわり、米や金銀、雑具まで奪い取って原村に送った。前代未聞の騒動であった。  その後、蘆塚忠右衛門が次のような指図

天草騒動 「27. 一揆の者ども兵糧武具を奪う事」

 高久城の城代、松倉重兵衛は、葭田三平の注進を聞いて急いで討手を出す準備をし、まず、家老…

天草騒動 「26. 深江村一揆に味方する事」

 佐々木佐治右衛門は、翌朝、村じゅうのおもだったものを呼び寄せ、 「わたしには年来の宿願…

天草騒動 「25. 渡邊小左衛門召し捕らえられる事」

 さて、九州の諸侯は、天草で起きた騒動に対処するために、城下はいうに及ばず津々浦々まで軍…

天草騒動 「24. 渡邊小左衛門同意の事」

 寛永四年八月二十五日の巳の刻、一揆の者たちは富岡城に押し寄せ、城下の町にことごとく火を…

天草騒動 「23. 三宅藤右衛門後詰め働きの事」

 深木七郎右衛門は一旦は一揆を破ったが、蘆塚の指図で配下の者をほとんど討たれてしまった。…