天草騒動 「64. 蘆塚忠右衛門討死の事」
さて、荒神ヶ洞の伏兵がだんだん討死していく中で、去年以来一揆の者らが軍師として頼りにしていた蘆塚忠右衛門の最期のありさまをここで説くことにしよう。
最期の一戦で蘆塚は、紺糸縅の鎧に同じ毛の兜を着け、二尺五寸の太刀を佩き、十文字槍を小脇に抱え、佐志木佐治右衛門と池田清左衛門を組頭として左右にしたがえ、一揆四十人を後ろにしたがえて、真っ黒な集団となって討って出て、黒田の先手の野々村、浦上勢五百人余りの中へ、真一文字に突っ込んだ。
寄せ手は思いがけない事だったので、右往左