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天草騒動 「57. 仁木勘解由、智弁の事」

  さて小笠原殿は、戦の次第を征討使に注進する使い番を誰にしようかと考えていたが、仁木勘解由が、
「他の者を遣わされてめったなことを言ったら、天下の物笑いであり、御家の瑕瑾かきんともなりますから、拙者が使者として行って、うまく言っておきましょう。」
と言って、ただ一騎で本陣に向かった。

 本陣に到着し、征討使をはじめとする諸役人が列座している席に罷り出て、

 「今日、小笠原家では当城の離れ曲輪に押し登り、手向かう一揆の者らはことごとく本城に追い込みました。女子供一万人ほどがその曲輪にいて次々と火に飛び込んで死んでいきましたが、訊問することもあろうかと、二千人余りを生け捕りにし、その他の三千人余りは成敗致しました。

それらの首は取り捨ててよろしいでしょうか。また、生け捕った者はいかが致しましょうか。彼らは天に背いた者たちですから、自滅させるべきでしょうか。以上のことを伺ってから、指図にしたがって処理致します。」と、述べた。

 伊豆守殿はそれを聞いて、「もっともなことである。生け捕りは麓に引き渡すように。落城後に問いただすことがある。首級は女子供のことだから首実検するには及ばない。山の中に埋められよ。」と仰せになった。

 仁木の智弁によって小笠原家に何のお咎めもなく済んだのは、すべて仁木の功績であるといえよう。


58. 鍋島甲斐守殿、二の城戸一番乗りの事

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