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天草騒動 「24. 渡邊小左衛門同意の事」

 寛永四年八月二十五日の巳の刻、一揆の者たちは富岡城に押し寄せ、城下の町にことごとく火を放った。

 この町の者たちはどっちつかずの態度を取っていたが、この時に至って、ほとんどの者が一揆に味方したため、ただちに家の中を片付けて家に火をかけ、鬨の声をどっとあげて、一斉に富岡城に攻めかけた。

 城内では、
「ここで全員が討ち死にするのは武門の冥加ではあるが主君への不忠である。また、ここを逃げ出せば生き恥をかくことになり誰にも顔向けできなくなる。なんとかして気力の続く限り防戦しよう。」と、鉄砲を撃ち大石を投げ、死力を尽くして攻撃を防いだ。

 城代の三宅藤右衛門は武勇知謀の士であったのでよく防戦し、一揆方の討ち死にがたちまち百余人に達した。城兵は固く城を守って陥落する様子もなかった。

 蘆塚はこれを見て、予想どおりになってしまったと思い、

「無理押しに攻めれば落城させることもできようが味方も多数の兵を失うことになろう。今、天下を引き受けて旗を上げ、今後長い戦いが続くのに、もともと少ない味方をここで失ってはのちのちのためにならない。また、この城を放っておいても、もう唐津からは援軍は来ないであろう。押えの兵を残しておけば兵糧が無くなってじきに落城するであろう。無益な戦いをして兵力を減らすのは無駄なことだ。」と大将に説明して、一回攻撃しただけで全軍徐々に規律正しく退却して行った。

 城内ではこれを見て、敵はなぜ引くのか、もしかすると謀計ではないかと考えて追い討ちもせず、ただ城を落とされなかったのを喜ぶばかりであった。

 城内では人々が集まって、

「ここにむなしく籠城していても、江戸からの下知が無いのでどこからも援軍が来ない。また、船は残らず一揆のやからに奪い取られて他の場所に移動することもできない。さらにまた、兵糧がとぼしく城下の町もことごとく焼き払われてほとんどの者が一揆に味方している様子だから、もはやこの上はどうしようもない。敵が攻めかかってきたら潔く討ち死にして武名をここに残そう。」ということになり、一揆が再び攻め寄せて来るのを待ち受けていた。

 しかし、一揆方ではこの様子を推測してまったく攻めかかろうとしない。他国では、ただ自分らの領地の境界を警戒するだけだったので、事態はなかなかすぐには鎮静し難い様子にみえた。

 その頃、一揆方では一同が集まって次のように評議していた。

「まだ関東の下知が無いのを幸いに討手が来ないうちに味方を増やしておこう。向こうの島原領原村は四郎殿の故郷だから、父の小左衛門殿が我々に味方してくれれば一万石の村がすべてこちらに荷担するにちがいない。

また、三津村に佐志木左次右衛門という郷士がいるが、元はれっきとした武士で、今は浪人している。この左次右衛門は儒者で、村じゅうがおおいに尊敬しており、耶蘇宗の信者でもあり才知もすぐれている。仲間に懇意にしている者がいるから、まず三津村に行って、佐志木を説得して味方にしよう。もし従わない時は討ち果たして蜂起しよう。

そののち、島原、高久の両城を攻め落とし、松倉の武器と兵糧をすべて奪い取り、そこから長崎へ押し渡って、西国を根拠地にして諸国を伐り靡かせよう。」と衆議一決し、まず原村に渡る手配をした。

 赤星内膳、有馬休意、森宗意軒、布津村代右衛門、千束善右衛門、山田右衛門、大江治兵衛、柄本左京、楠浦八郎兵衛、四鬼丹波らをはじめとして総勢一万人余りが大将の四郎大夫を守って天草、三津浦、大江村などに残り、厳重に守備を固めることになった。

 女たちには籾摺もみすり、米つきなど、兵糧の準備をさせた。

 原村へ向かう面々は、蘆塚忠右衛門、千々輪五郎左衛門、鹿子木左京、天草甚兵衛、天草玄察、大矢野作左衛門、駒木根八兵衛をはじめとして屈強な勇士十二人、鉄砲五十挺、そのほかに武術に練達した地侍八十人と雑兵を合わせて全部で二百人余りが、以前奪い取った兵船に乗って、武器と兵糧を用意して原村に押し渡った。

 渡邊小左衛門は博学多才な者で、その上慈悲深く、よこしまな心はまったく無い正直な性質であった。一子の四郎が天草に渡って一揆の大将になったことを聞いてひどく驚いたものの、親子の間柄なので一揆にくみしないわけにはいかないであろうと覚悟を決めていた。

 ちょうどその時に蘆塚らが挨拶をして入って来たのでさっそく招き入れて対面し、杯を出してもてなした。

 小左衛門が、「天草のことは噂に聞いていますが、詳しいことを知りません。経緯をご説明ください。」と尋ねたので、蘆塚が最初からのことを一部始終説明した。

 小左衛門はそれを聞いて、
「いたしかたないことです。恩愛の道をのがれることはできません。覚悟を決めました。父子ともに今日から国賊になって滅亡致しましょう。軍事のことは私にはわかりかねますので、よろしくお指図ください。すぐにもこの土地の者を残らず味方に致しましょう。」と答えた。

 忠右衛門は、
「さすが大将の四郎殿のお父上だけあって立派なお覚悟です。天下を敵に回しましたから、今後のことは予想しかねますが、このように戦いを始めたからにはやめることはできません。この上は一刻も早くこの土地の者を味方に付けたく思います。このようになされたらいかがですか。」と、謀計を教えて勧めた。

 小左衛門は承諾して、原村の農民を全員呼び寄せ、酒肴を出してもてなした。

 やがて小左衛門は組頭たちに向かって、

「皆、聞いていると思う。私のせがれが今度の天草一揆の大将になっていくさを起こしたので、父子の間柄からしかたないことで、我らも今から一揆に味方することになった。あなた方とは数十年来親子のように交際してきたが、討手の軍勢が来ないうちに早くこの地から立ち去ってほしい。もし我らに同意される人がいれば、ここにとどまって生死を共にしよう。」と言った。

 蘆塚をはじめとする面々も、領主の寺澤の苛政を数え上げ、天草の様子をいかにも勇ましそうに語って聞かせた。

 つねづね小左衛門は慈悲深い行いをこころがけて農民をいたわり、領主の松倉の非道な処置を憂い、年貢の滞ったのを立て替えてやったりしていたので、村じゅうが帰伏することとなった。

 その上、村のほとんどの者が縁続きだったので誰も立ち去ろうとする者は無く、皆、口を揃えて、「四郎殿が大将になられたからには、われわれも逃げるわけには参りません。お味方致します。」と言った。

 そこでただちに白木綿で天帝を描いた旗をつくり、弓、鉄砲、槍、鎌、棒を取り揃えて、三百人余りの百姓が小左衛門の家の庭に集まった。

 今は誰にはばかることもないので、船に残しておいた一揆の者を全員呼び集めて、まず近村に押し入って乱暴に打ち壊した。また、一万石の渡邊の支配下の矢川村、有馬村、深津村、本庄村、出村などの村々にふれまわったので、十六か村の百姓、二千七百人余りが二日の内に集まった。

 渡邊小左衛門はもともと長崎の生まれで、この家に養子に入って継母を大切にしていた。元来孝心が深いので、今度の一件がもしも騒動になったら継母がつらい目にあうのではないかと嘆かわしく思っていろいろ思案し、小左衛門の弟の与五郎という者が、若い頃に肥後国の玉川尻というところへ養子に行ってこれも裕福に暮らしていたので、その者のところに連れて行って預けようと考え、蘆塚に相談した。

 蘆塚はそれを聞いて、
「それはよくありません。今度の企ては親も子もとても逃れることはできません。たとえ玉川尻でも油断はできません。どうしても御老母と御内室を送られるのなら、ほかの者にさせなさい。御自身で行かれるのはいけません。」と止めた。

 しかし、小左衛門がどうしても自分自身で送りたいと言うので、今は蘆塚もどうしようもなく、
「それがしが強いてお止めするのもどうかと思いますが、大将の四郎殿の御祖母と御母堂ですので大事にお守りしなければなりません。小左衛門殿のお考えが変わらなければ致し方ありませんが、大事な方々を送るのですから、どうかお考えなおしください。」と言った。

 しかし、孝心の深い小左衛門は、母を他人には送らせたくないと言うので、それではしかたないと、一緒に行く者を選んだ。そして、四郎のいとこの久津村の庄屋、上総三郎右衛門は屈強の者だからこの者がよかろうということになり、したくをととのえた。

 小左衛門の妻は天草甚兵衛の妹でけなげな女性だったのでただ黙って聞いていたが、

「今度の企てはこのうえない悪逆無道ですから、きっと将軍家から下知があって、諸公が討手として向かってくるでしょう。なかなか本望を遂げるのは難しいでしょう。また、このような騒動の最中に玉川尻に行くのは、無事に到着できるかどうかこころもとなく思います。私だけでしたらすぐにも自害して果てるのですが、老母がいますから母を安心させるために一緒に参りましょう。しかし、これが別れになるかもしれませんから、いとま乞いの杯をかわしましょう。」と言って、銚子と杯を携えて出てきた。

 皆そのけなげな心がけに感心して別れの杯をかわした。

 それから小左衛門は船を用意し、水主かこ二人、自分自身、老母、妻の五人で乗って出帆した。

 その際、小左衛門は一揆に加わった者たちに向かって、「私は今度玉川尻に向かいますが、帰って来れるかどうかわかりません。あとに残るものは四郎を取り立てて、蘆塚殿の下知にしたがって法令に背いてはいけません。もしもさいわいに帰って来ることができたら再会しましょう。」と申し渡した。

 大勢の百姓たちは、「おおせの趣き、かしこまりました。しかしながら、十分ご用心されてお早いお帰りをお待ちしております。」と、口々に言った。

 また、小左衛門は蘆塚に向かい、「そこもとは明日、一揆を連れて深江の村に押し寄せ、米や雑穀をことごとく奪い取って軍用に充ててください。」と言い置いて船を乗り出した。


25. 渡邊小左衛門召し捕らえられる事 → 

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