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とっておきの京都手帖10 京の祈り


<立秋/「五山送り火」>




先月、父親を亡くした私にとって、今年の大文字送り火は少し違った。



点灯されて、しばし合掌。




盂蘭盆うらぼんに迎えられた先祖の霊「お精霊さん(おしょらいさん)」は、家々で大切にもてなされて8月16日に冥土に戻っていく。


先祖の霊を再び送る宗教行事である。













大文字をはじめとする五山送り火は、毎年8月16日の20時から、約20分の間に5分間隔で点火される。



東山如意ヶ嶽の支峰大文字山の「大」の文字。



松ヶ崎西山(万灯籠山)と東山(大黒天山)に「妙・法」。



西賀茂船山に「船」形。



金閣寺裏手の大北山に「大」(左大文字)。



嵯峨鳥居本の曼荼羅山に「鳥居」形。



「妙」と「法」は1つの山としてカウントされ、五つの山の送り火が次々と点火される。







鴨川から臨む大文字



私は毎年、20時10分前に自宅を出て、東にある加茂街道から河原に下りる。



すると如意ヶ嶽(大文字山)が正面(地図上では加茂街道から南東にある)に現れる。


大文字と鴨川、良いロケーションだと思う。



近くに住む、何人かの同級生とも必ず会う。



自然と顔が綻ぶ。


今年は、フォトグラファーの北山さんもやって来た。


彼の希望で、もう少し南下した。




すると、大きなカメラをセットした一団が…。




北山さん曰く、

「報道関係者の人たちですよ」




確かに、大文字送り火と橋の上から眺める観覧の人たちを撮影するには、ベストの場所だ。



報道陣の中にいた、知人の文化担当の記者さんが駆け寄ってきてくれた。



挨拶を交わしながら、今年の五山送り火を、一人で見るのではなく知っている方々と同じ空間で見られることに、なんだかホッとした。


この時の私はどこかしら、寂しさが湧いてきていたからだ。


父を見送りはしたが、忙しい毎日があっという間に流れ去っていくことで、気持ちが地に足が着いていない感じがしていた。



人と会い言葉を交わす中で心が温かくなり、大文字送り火の力強さと炎の揺らめきに安堵し、しっかり前を向いて父の魂を送り出せた気がした。


言葉にならない感謝の思いとともに。





記者さんは、送り火が点火されると、暗い中、パソコンを広げて即座に記事を打ち込んでおられた。












私がいた鴨川からは、大文字送り火だけ見ることが出来た。



その後の凄まじい混雑と時間が重ならないよう、私たちは早めに解散した。



そして、帰ってすぐに録画していたKBS京都「生中継!京都五山送り火 2024」を見た。




KBS京都には、友人の歴史学者・磯田さん、そしてご自身でデザインした浴衣を着られた村上隆さん、俳優の坂井真紀さんが出演されていた。





磯田さんは最初から興奮気味で、

ご自身が18、19歳の時、生まれて初めて京都で送り火を見た時の感動がよみがえること、

岡山で生まれ育った自分が、小さい頃からテレビでしか見たことがないものを、御所の横から見たものだから、ものすごく感動したこと、

(当時、京都府立大学史学科に通っていたので)その時に、地べた座り込んで見入ったこと、涙が出るほど感動したことを語られていた。






村上隆さんの浴衣はよく見ると、にこにこのお花が生地のベースで、左右の肩の部分に五山が描かれていた。



村上隆さんは、「村上隆 もののけ 京都」に出展された、五山送り火の作品を成立させるために、保存会の人たちにお伺いを立て、対話を重ねてこられたという。


同じ大文字であっても、左大文字との違い、その表現の仕方に、ずいぶん悩まれたようだ。


テレビでは、そのデザインであつらえた素敵な浴衣を着て出演されていた。


「柔らかい山で描かれた、京都らしい山」と磯田さんが言っていた、にこにこと笑いかけてくる五山送り火浴衣と、それをキャラクターと同じような優しい笑顔で見せてくれる村上隆さんがとても印象に残った。












五山送り火点火までの間を、各保存会の紹介や各山の歴史に触れる時間にあてられていた中で、村上隆さんの一言一言に聞き入った。


それは、各山のコミュニティの方々の真摯な姿勢に感動したことだった。

数年前のパンデミックの時に、メタバースが流行り、ご自身もその世界に入って行かれた。

今生きている現世ではないところでのリアリティーを人間が持ち、今いる世界ではないところに思いを馳せることで、今現在を生きていくという。

それが、この五山送り火では、保存会という地域のコミュニティーで、「人間の思考の超越性みたいなもの」を繋げている。


そこに大変感動されていた。



私の心にもとてもよく響いてきた。



人は、生き甲斐や自分の存在価値や意義をどこかで見出したい。


それが何百年も前から、先祖の霊を送るという一年に一度のリアルなこの行事に見出し、継承されている。


「先祖の霊に守られて今の自分がある」


それを強く感じ、感謝しながら、送り火を焚くという保存会の地域住民の姿に感動する。











もとは各山の地域住民による独立した行事だったが、現在は五山の連合会が連携して行われている。


送り火が行われる五山は、始まった時代も点火方法も山ごとに異なる。


それを、「五山送り火」として現在は、各保存会同士が連携し協力し合い、連合会として行なっているのだ。


まさに、地域住民、檀家が総力をあげて伝統を守り、代々受け継がれている。






保存会曰く


「ほかの祭りのような晴れやかな舞台はありません。

主役は『炎』です。

30分ほどの『炎』のために1年間、松の調達、割木、護摩木ごまぎ、火床の準備をしてきました。

この地域に生まれたものの責任として、今年も夜空を焦がすほどの赤々とした『炎』を焚き上げます」


と。














今でこそ「五山送り火」であるが、その昔は、送り火を灯す山がもっとたくさんあった。


山の中腹で点火される送り火が、「京都の街のどこかから、どれかの山は見ることができる」という思いだったのではないかとも解説されていた。



「お精霊しょらいさん」が迷わずあの世へ戻れるように…。


有り難かった。


胸が一杯になった。






点火がいよいよ始まるという時、磯田さんは、


「一生のうち何度見るかなと思いながら指折り数えてる行事、緊張するような気持ちにもなっています。

ご先祖様をお送りするという気持ちも自分も整えていきたい」


と言った。


テレビの録画越しではあったが、私も深く頷いた。










「送り火」の起源などは諸説あると前置きされ、歴史学者の磯田さんの解説はサスガ分かりやすかった。


心に残った彼の解説も借りながら少し紹介したい。




午後8時から順々に点火が始まった。






大文字 8時

大文字「大」の真ん中にある、金尾かなわという場所が、ひときわ明るい。

人間でいうと喉仏とも言われている。

なぜ、「大」という文字なのか。

有力視されている一つの説に、「四大」という仏教上で「実在」を意味するものが挙げられる。

この世は、「地」「水」「火」「風」の四つで出来ているというものだ。

それを統合し、象徴されているという説だ。

大文字送り火を焚くことによって、また見ることによって、自分の生命と先祖の霊との繋がりを毎年考えていたのではないかと。





妙法 8時05分

日蓮宗の南無妙法蓮華経の「妙法」と言われている。

「妙」は草書体そうしょたい

連続して一筆で書かれているため、火の数も多くなっている。

「法」は隷書体れいしょたい

秦の国、始皇帝の頃の書体で、合理的で無駄がない。

「妙」「法」は字体が違うため、それぞれ作られた時代が違うと言われている。




※「妙」は一説によると鎌倉時代末期、「法」は江戸時代だと言われている。







船形 8時10分


200メートルを超える大きさ。

古墳時代から、亡くなった人の魂を送るというと船を連想するというのが続いている。

船形は、菩提寺の檀家による運営で、「若中わかちゅう」という人たちが行なっている。

これは、江戸時代に見られたような伝統的な組織だ。

船というのは昔からとても意味のあるもの。

もちろん文化も運んでくる。

そして帝の棺も船と呼んでいる。

「魂を運ぶもの」というのが強くあると思われる。







左大文字 8時15分

まず、種火の状態の手松明が文字全体に揺らめいて見える。

このあと松明を、筆順に点火されるのだ。

如意ヶ嶽の大文字は一気に灯るが、左大文字は筆順でゆっくりと灯されていく。

大きさは如意ヶ嶽の大文字の半分ほどだ。

この左大文字は、保存の会の方々も、まず自分の家で門火かどびという送り火を焚いて、先祖の霊が一旦集合されるかのように菩提寺で御供養をし、そのあと導いて、左大文字の送り火でお送りするような形を取っている。

磯田さんは感慨深くこうも言われていた。

「一回先祖の乗った火が菩提寺に行く。そういうふうに思ってしまう。

一旦菩提寺で慰められてから、それが種火になるという、この火に導かれて(冥土へと)帰って行かれる」


60〜70軒の地域住民の手で焚かれている左大文字、ここならではの送り方にも「お精霊しょらいさん」への深い思いを感じる。





鳥居形 8時20分

7箇所ある火床から、松明を持って走る。

そのことから、「火が走る送り火」とも言われている。

7箇所の火床から、それぞれの火床まで。

全部で108箇所の火床がある。

暗闇なので、火だけが動くように見える。

7箇所の火床から、自分の受け持つところに松明を持って走って、その松明をそのまま金具に挿す。

その松明が燃え盛っていって、だんだんと火の大きさが赤くなっていく。

鳥居形の炎は、他の山とは少し違う。

よく見ると色がちょっと赤い。

これは、松の中で一番油分の多い部分だけを取り、割木が赤く燃えるようにと工夫されてのことなのだ。

割木も選りに選ってる、燃やし方もある。

他の山との違い、「鳥居」を再現するためとして、少しでも赤くするために知恵を絞り工夫に工夫を重ねる。

「日本の祭りは奥深いと思いました」とは磯田さん。

全くその通りだと思う。







五山送り火が全て点火された。


鳥居形が見える広沢池では、灯籠流し、精霊おくりの行事も行われていた。



ここでは、先祖、そして戦没者の霊を供養するために営まれているという。


赤、青、緑、黄色、白という、仏様の5つの知恵を表す色の灯籠が美しい。



送り火や、灯籠流し。



先祖の霊を思い、再び冥土へ送るものとして現代にも伝わる形。



火を焚くことで、先祖の霊を天に送り届けるイメージ。



川から海へという、ここではない世界へ送るイメージ。




磯田さんは解説で、


「中国の河南地域はこの思想が強い。

水や湿地、稲作が多いところだ。

日本の中でも九州、特に長崎周辺の沿岸部はこういう灯籠流しの文化がある。

京都も水が多いところだから、やはりこういうものがある」


と。














番組最後に、大文字保存会の長谷川理事長が、点火の後のインタビューに答えていた。



「例年にない北風に心配した。

今日も火を焚くには強い風だった。

点火の前には、元日に起こった能登半島地震の犠牲者を悼む黙祷を捧げた。

五山連合会のみんなで黙祷を捧げた」



そして、



「この火はただここで燃えてるんでなしに、皆さんの心の中で灯っていくという火を続けていきたい。

見てるだけでなしに、その火をいつも心の中に灯してもらって、8月16日は必ず見ていただくという日にしていただきたい」



と語ってくれていた。


心に染み入った。









五山送り火には、平和への祈りも込められているという。



保存会の方々、見ている側、多くの人の思いや祈りが詰まった五山送り火だ。








村上隆さんがしみじみと語られていた。


「祈りの力、パワーをすごく感じました。

今生きているこの場ではなくて、別の次元に対してのアプローチてのは祈りしかないので、とても深く考えることがありました。

宗教的な思想の背景は各国違うが、大きくアジアの持ってる優しい文化、そういうものを僕も含めて世界中に広げていけたらいいなと思っています」










消し炭拾い


北山さんがかつて、大文字送り火の翌朝、山に登った時のこと。


後片付けをされていた保存会の青年にお礼を伝えると、


「今日からまた来年の準備です」


と真っ黒に日焼けされた笑顔に白い歯が眩しかったと。








SNS「X」の投稿では、無病息災を願う「消し炭拾い」にも、多勢の人が早朝から登山され、消し炭を拾われたと発信されていた。



8月19日月曜日のNHK「京いちにち」でも、朝6時に消し炭拾いに行った人は、細かい炭しか残ってなかったと伝えていた。



消し炭拾いのために入山できるのは、大文字山だけ。







ご利益を求めて入山するのだろうが、その素晴らしい眺望には息を飲むだろう。


金尾(かなわ)






<参考> KBS京都、BS11
     「生中継!京都五山送り火 2024」
     NHK「京いちにち」







<(c) 2024    文 白石方一 編集・撮影 北山さと 無断転載禁止>




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