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私は死んでも生き続けたい

昨日、また1人今まで看てきた患者さんが
天国へいかれたので、
死ぬことについて考えてみた。

私の人生、看護師生活を含めて、
数えきれないくらいの死をみてきた。
その中には私の大好きだった、
じいちゃんの死もある。

じいちゃんはもうこの世にはいない。
でも私の心の中ではずっと生きている。

そんな風に、
私は死んでも誰かの心の中に生き続けたい。

図々しいかもしれないけど、
私が死んでも誰かの心の中に生き続けて、
誰かを支え続けれられたら、
これほど幸せなことはないと思う。

あなたの心の中にも、
生き続けている人はいるでしょうか。
きっと心の中の人はいつまでも、
あなたを支え続けてくれるでしょう。

そんな大切な人を思い浮かべながら、
少々私のじいちゃんの話聞いてください。

生き続けているじいちゃん

私のじいちゃんはもともと病気がちで、
脳梗塞やらなんやらで
よく救急車で運ばれていた。

今になって思えば、
脳梗塞の影響で足が悪かったんやなとか、
常に喀痰して、加湿吸入とかしてたから
肺が相当悪かったんやろうなとか、
病態についてはある程度想像ができる。

そんな中でも、
学校の長期休みには必ずじいちゃんちに
帰って、春休み夏休み冬休みを過ごした。


じいちゃんは写真を撮るのが好きだった。

私たちは
「そんなところで写真なんて撮らなくていいよ」
と迷惑そうに避けるんだけど、
じいちゃんはいつもデジカメを片手に、
私たちの写真を撮りまくる。

後で見返すと、
じいちゃんはいつも撮る側だから、
写真になかなか写っていない。
残っているのは、私たちの写真ばっかり。

でもそんな写真好きな特性は、
しっかり私の妹が引き継いだ。

妹のカメラ好きは、
じいちゃんのそのデジカメをもらったことから始まり、
今では何十万とする重たい一眼レフカメラを
常にバックに入れて、
結構いい写真を撮っている。
お金のかかる趣味を引き継いだものだ。


ある時は遊園地とかに外出すると、
よくソフトクリームを買ってくれた。

たまにはその横にある
ジェラートとかクレープとか食べたい時も、「ソフトクリームが好きやろう」って、
いらないって言ってるのに買ってくる。
”子どもはソフトクリームが好き”
という信条でもあったのかもしれない。

じいちゃんはそんなに喋る人でもなかった。

隣の部屋にいる私たちに話しかけたくても、
いつもふすまの隙間から目を覗かせて、
様子を観察。
話しかけてくれればいいのにね。
不器用だったね。

でも、もともと大工さんだったから、
手先だけはとっても器用。

よく通販にある、
折り紙とかの材料で作るお人形さんを、
顔に似合わずめちゃくちゃ可愛く作り続けた。

木材と折り紙を駆使して、
かわいい木箱を作ってくれたり、
駒を作ってくれたり。
なぜか人工の真珠を大量に持ってたから、
私はそれで、真珠のネックレスを作った。
(私の結婚式につけてじいちゃんに見せてあげよう)

もの作りの器用さを引き継いだのは、
私かもしれない。
小学校からビーズアクセサリーや
ヘンプアクセサリー作りなどの手芸に勤しんだ。

じいちゃんに沢山の影響と愛情をもらって
育てられたんだと思う。

私が死ぬ時

”死”っていつ訪れるか分からない。

おじいちゃんおばあちゃんになって
病気が見つかって、入退院を繰り返して
徐々に亡くなっていくかもしれないし、

最近は若い人の白血病も多いから、
急にそんな病気になるかもしれない。

はたまた、
交通事故で一瞬であっけなく終わるかもしれない。(経験したことあるけど、ほんと一瞬だよ)

自分の理想は、
ある程度人生楽しんでから、
苦しまずにポックリ逝きたいね。
でもなかなか思い通りにいかないのが
人生のなのよね。

最近友達と話てて
「人生の目的とか目標って何?」って
問われた時に、とっさに出たのが、
”私は死んでも誰かの心の中で生き続けたい”
っていう気持ち。

じいちゃんに限らず、
今まで出逢ったきた人が私にくれた優しさや
楽しい思い出で、私の心はいつも豊かに
満たされてます。

もし私の余命が数ヶ月って分かったら、
やっぱり最後は今まで出逢ってきた
大好きな人達に会いに行く旅でもしようかな。
って思うくらい、
私はみんなのことが好きです。

いつもありがとう。

そんな風に、私も私と出逢った人が、
私が死んだ時に思い出してくれたら嬉しい。

そんな生き方をしたい。

あなたも誰かの大切な人

ふと、あいみょんの「生きていたんだよな」
って曲が思い浮かびました。

飛び降り自殺した人の気持ちを
歌にした曲ですね。

「今ある命を精一杯生きなさい」なんて綺麗事だな。

そんな歌詞があります。

そんな綺麗事分かってる。
それでも消えたくなっちゃう気持ちが分かります。
私が人生で一番辛かった大学4年の頃は、
ずっと死ぬことを考えていまいた。

「明日なんかこなければいい」

この苦しみと、
こんな自分とサヨナラできるなら。

でも、あなたは誰かにとっての大切な人です。自分では気づかなくても。

あなたが生まれてきたこと自体、
そして今あなたが生きていること自体が、
愛されている証拠。

私はまだ子どもを産み育てたことはないけど、親は自分の命よりも、命をかけて産み、
育てます。
だからあなたが今存在するんですね。

私の看護師生活の中で
一番泣き崩れてしまったのは、
同年代の女の子の死。
最後にご両親がその子にかけた言葉は、

「パパとママのところに生まれてくれてありがとう」でした。

人の生と死はこんなにも美しいものなんだな
と感じました。

まとめ

なんだか、
今回はつらつらと思いの丈を書いてしまって
すみません。ありがとうございました。

もし私がポックリ逝ってしまったら、
これを遺書にしましょうか。
(まだまだ図々しく図太く生きるけどね!
これからもよろしお願いしますね!)

最近の彼との合言葉は
「自分より早く死なないでよね」です。
(老夫婦か。)

どんなに数えきれない死みてきても、
やはり慣れることはありませんね。
(通りすがりの人を見て、この人はどんな死に方するのかなとか考えて道を歩いてしまうので、いかんなと思います。)

限りあるからこそ、
この与えられた時間、命が愛しく思えます。
時間いっぱいいっぱいに私は大好きな人達と、幸せだと感じる瞬間を刻んでいきたい。

図々しく、私が死んでも生き続けたい。


あなたの大切な人生の1日が、幸せでありますように願って。



おわり。

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