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シネマな処方箋Vol.8「水俣曼荼羅」(2021)


【YouTube】


シネマな処方箋Vol.8「水俣曼荼羅」(2021)/新年に相応しい、6時間12分の映画体験!

【作品情報】

作品名:「水俣曼荼羅」
監督:原 一男
公開年:2021年
(2022年1月10日現在、絶賛上映中!)
上映時間:6時間12分(3部構成・休憩あり)

⚫︎シェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭 into The World部門
⚫︎ニューヨーク近代美術館(MoMA)バーチャルシネマシリーズ第1作品
⚫︎ロッテルダム国際映画祭Harbourクロージング上映作品
⚫︎上海国際映画祭金爵賞公式セレクション

INTRODUCTION  
『ゆきゆきて、神軍』の原一男が20年もの歳月をかけ作り上げた、372分の叙事詩『水俣曼荼羅』がついに、公開される。
原一男が最新作で描いて見せたのは、「あの水俣」だった。「水俣はもう、解決済みだ」そう世間では、思われているかも知れない。でもいまなお和解を拒否して、裁判闘争を継続している人たちがいる―
穏やかな湾に臨み、海の幸に恵まれた豊かな漁村だった水俣市は、化学工業会社・チッソの城下町として栄えた。しかしその発展と引きかえに背負った〝死に至る病″はいまなお、この場所に暗い陰を落としている。
不自由なからだのまま大人になった胎児性、あるいは小児性の患者さんたち。
末梢神経ではなく脳に病因がある、そう証明しようとする大学病院の医師。
病をめぐって様々な感情が交錯する。国と県を相手取っての患者への補償を求める裁判は、いまなお係争中だ。そして、終わりの見えない裁判闘争と並行して、何人もの患者さんが亡くなっていく。
しかし同時に、患者さんとその家族が暮らす水俣は、喜び・笑いに溢れた世界でもある。豊かな海の恵みをもたらす水俣湾を中心に、幾重もの人生・物語がスクリーンの上を流れていく。そんな水俣の日々の営みを原は20年間、じっと記録してきた。「水俣を忘れてはいけない」という想いで―壮大かつ長大なロマン『水俣曼荼羅』、原一男のあらたな代表作が生まれた。

STORY  
2004年10月15日、最高裁判所、関西訴訟。
「国・熊本県の責任を認める」判決が下った。この勝利をきっかけに、原告団と支援者たちの裁判闘争はふたたび、熱を帯びる。「末端神経ではない。有機水銀が大脳皮質神経細胞に損傷を与えることが、原因だ」これまでの常識を覆す、あらたな水俣病像論が提出される。わずかな補償金で早急な解決を狙う、県と国。本当の救済を目指すのか、目先の金で引き下がるのか。原告団に動揺が走る。そして……熊本県、国を相手取った戦いは、あらたな局面を迎えることになる。

引用: 「水俣曼荼羅」公式HP

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【シネマな処方箋ノート】


1月9日(日) @アップリンク吉祥寺。

アップリンク吉祥寺

2022年の映画館初めは、知り合い界隈で期待の声が多く挙がっていたドキュメンタリー映画「水俣曼荼羅」に決めました!

1本の映画で上映時間が6時間12分というのは、私にとって初めての体験。(今までの最長は、4時間だった。)
そのため、途中でウトウト…なんてことにならないか不安もあったのですが、そんな心配は無用。だって、なんにも頑張らなくても集中が途切れなかったんですもの(ビックリ)。
本当に、物凄いドキュメンタリーでした。

YouTubeの中でも言いましたが…
本作は3つの層が折り重なって素晴らしいハーモニーを奏でている作品だと、私は感じました。

第1部は「病を見る」。
水俣病という病の正体を手繰り寄せようと奮闘する医師たちの姿に、同じ医療従事者として背筋が伸びる思いがすると同時に、強く胸を打たれました。

第2部は「患者を見る」。
水俣病患者として歩み、そして自らの存在を懸けて闘う彼らの姿を、カメラが細部まで捉えてくれています。見応えたっぷり。

そして第3部は「人間を見る」。
ここで私は「水俣病」というフィルターが取っ払われてしまいました…。そこにいるのは、どこまでいっても、ただただ、"人間”。
そのため、いつの間にか、矢印がどんどん自分の内界に向かってくるのを感じました。誰かと理解しあいたいと願い、理解しあえずに傷つき、そして再び立ち上がるその姿は、きっと私たちにも共通するものだと思います。スクリーンの中から放たれる人間のひたむきなエネルギーに、ドカン!と励まされました。

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ここからは、YouTubeの中で言った「支えるって、おこがましい」という言葉について、説明を加えたいと思います。

(註:おそらくこの作品を観た方はあのシーンかな?とピンとくると思うのですが、観てない方の受け取り方を想像すると、説明を補足しておいた方が良いかな…と思いました。)

あの言葉は、あるシーンを観ながら、心理臨床家(臨床心理士・公認心理師)としての我が身を振り返った時にふと出た言葉でした。

この映画が映し出しているのは水俣病の被害に遭われた方々ですが、私が普段お会いしているクライエントの方々も、支援(支え)必要な人たちです。
私は、勿論そこは前提としてありつつも、だからといって、彼ら(クライエントの方々)を「支えている」と認識することに、抵抗があるんです。ましてや、こちらが「支えてあげてる」などと考えるのはご法度とも思います。

なぜなら、彼らには(それがどのような力であれ)もともとの"力"が備わっているのだと承知することから、全ては始まると思うからです。
そして突き詰めて考えれば、私だって形態は違えど様々な支援(支え)なくしては生きることができない、いち人間であると認識しているからです。

私は心理職として、どうやったらその方の負担が一番軽くなるか?とは考えますが「私が支えてるんだ!」という意識は、無いに等しい。
「結果的に、支えになったら良いな…」とは思いますが、感謝されたいとか、そういう気持ちは、(ゼロとは言い切れませんが)ゼロに近いかな、と思います。

「何かできるなんて、思うなよ」…というのでしょうか。
それが心理臨床に携わる自分にとって「初心忘れるべからず」の重石にもなっているのかもしれません。

「私が支えている!と確信すること」と「結果的に、支えになったら良いなぁ…と想いながら一緒にいる」ことの間には、大きな違いがあると思うのです。

とはいえ、私も人間なので、時にカウンセリングの中でエゴや自己愛が顔を出して猛省したり、言いかけた言葉を呑み込んだり…そうやって、奮闘してるわけなのですが…ハイ…(2022年も精進します。)

「支えるって、おこがましい」。
この言葉は、そのような文脈から発した言葉でした。

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作品の中で出てきたこの言葉で、今回の記事を締め括りたいと思います。

「悶え神。悶えて加勢する。
自分は何もできないから
せめて水俣の人々と嘆き
悲しみを共にしよう」

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編集後記 :

「アップリンク吉祥寺で映画を観た後には、パルコの並びにあるアップルパイ屋さんでアップルパイを買う」のが定番になりつつあります。

アップルパイ パニラアイス添え。

映画で心を満たし、美味しいものでおなかも満たす。

相変わらずの私ですが、今年も(上手に手抜きしつつ)色々がんばりたいと思います。

本年も、どうぞ宜しくお願い致します!

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