「情緒不安定」という性格はないという事
「情緒不安定」という性格はないという事
恋人と別れた。彼に別れを決意させたきっかけは、付き合って3ヶ月程経った頃に起こした私の「情緒不安定な問題行動」がきっかけだったらしい。今からもう4ヶ月ほど前の事で、彼はその私の行動に驚き、それ以来ずっと「別れ」を意識していたらしい。
つまりそれがどういう事かと言うと、彼は私のその行動を「=私の性格」だと思っており、一生それは変わらないと思っていたという事。
それは絶対に違うし、私のそれは起こるべくして起こってしまった行動に過ぎず、=私の性格ではないわけで、彼は別にそれを原因にして私と別れる必要はなかったかもしれない。
でもきっと彼がそれを私の性格だと思い込んだり、それが原因で気持ちが離れてしまうようなら、そこまでの関係だったのだ。話し合ってもきっと、彼にはわからなかっただろうと思う。
けれど、情緒不安定やメンヘラという言葉を性格の1種として使う人が多いこと、もし彼がこれが別に性格ではなくて起こるべくして起こった事、「風邪を引いて熱を出す」事や「しっぽを踏まれた猫が鳴く」事と同じだと知っていたら結果は違ったかもしれない、という思いがあったりするので、この記事を書こうと思った。
情緒不安定やメンヘラは性格の1種ではない。一時的な災いに過ぎない。
ただ確かに、その影響やその迷惑を他人が被る必要がないのもまた事実。それは前もって言っておこう。
情緒不安定と言われた私の行動・理由
彼が驚いて、どう対応したら良いのかわからないのもよくわかる、私の情緒不安定な行動と、その理由をここに。
行動2つ
①一緒に居たホテルから帰ろうとした
②数名でキャンプをしていた時、夜中に突然皆の前から姿を消してしまった(10分ほど)
その理由
①一緒にいたホテルから帰ろうとした
前提①⇨これが何月のことだったか、正直もう覚えていない。けれど確かこの頃は、この少し前にあった事で傷ついている最中だった。
その少し前にあった事というのは、昨年に寂しさなどから肉体関係を持ってしまった複数の男が、その事を大勢の前で・または(当時付き合いたてだった)元カレにだけではあるけれど、告白していた事。
大勢の前で言われた事も、彼にだけ言われた事も、そもそもばらされたという事がショックだったし、プラス内容もあまり良いものではなかった。
また、その事で彼は私の味方をしてはくれず、「詩織にも責任があるやろ」というスタンスだった。関係を持つことと、それをばらす事は別問題ではないのか、と思ったけれど、それを言うことはできなかった。
ばらされた事でどれだけ自分が軽んじられていたのか、と感じ、そのショックにしばらくうなされた。
「ばらされる」ということが、立て続け、まるで1人が口を開けば自分も言っていい、ような噂のドミノ倒しのようなことが起こって、私の自己肯定感はえらい崩れ落ちていた。
前提②10歳の頃、私が原因で家庭は崩壊し、父は家を出た。その後も私はどこ(学校や親戚など)にいても、表面上取り繕う事はできるのに居心地の良さを覚えられる事は一切ないまま大人になっていた。
いつかに身内に言われた「お前からは皆離れていく」「お前に優しくするやつなんか信用するな!」という言葉がどうしても頭から拭えないままでいた。また、言葉と同時にいつでも私は「社会の最底辺」という姿勢でいなくてはいけなかったこともあり、自分でも気が付かない間に「自分は人より劣っている」と思い込むようになっていた。
長年(それこそ10年程)、言われ続けた言葉や、取られ続けた態度があるから、「変わろう」と思っても、そんなにすぐに変われるものでも、忘れられるものでもない。
私の中にはずっと「自分は誰にもまともに相手にされない」「いつか皆私からは離れていく」という感覚があった。
前提③⇨彼がどことなく私の父に似ていた。眉毛の太い感じと、目が二重でくっきりしている所。また、先程書いた「肉体関係をばらされた」という話の時、彼と路上で2度ほど大揉めしたのだけれど、1度目には怒った彼は乱暴に酒瓶を地面に投げつけ、もう1度は私の作ったクッキーの入った紙袋を地面に投げつけた。その腕の振り方が、父を彷彿とさせた。
また、その姿を見て「別れる」と言った私を彼は怒りながら説得しようとしたのだけれど、その時ぎゅっと二の腕を両手で掴まれ、それは2週間ほど消えない痣になった。悪気はなかったと思うけれど、その時の説得の仕方が頑なに自分を通す父に重なって見えた。
そういう理由で、それからしばらくは彼を見ると父を重ねてしまい、怖かった。
そして行動⇨彼と居る時、「私の前からは皆離れていく」という不安が突然私に襲いかかってきた。私はどうして良いのかわからず、ただ恐くてたまらなくなった。彼は隣で寝ていた。「彼は勝手にどこかへ行ったりしない」とパニックを起こし始めている自分に言い聞かせた。しかし不安で、不安でたまらず、身体中をその恐怖が覆い、身体は彼と一緒にいるのに、私の頭はもう独りで居た時・周囲に散々な扱いを受けていた時にすっかり立ち返っていた。
気がつけば荷物をまとめて、ホテルを出ようとしていた。涙が止まらず、私ががさごそとやる音で彼氏が目を覚まし、私を止めた。
彼は私の行動に驚いて、必死になにか説得しようとしていたけれど、私の言葉は支離滅裂だった。
②数名でキャンプをしていた時、夜中に突然皆の前から姿を消してしまった(10分ほど)
知り合い数名とキャンプに行った時の事だ。
前提①⇨先程の子供の頃からの見放され不安のようなもの
前提②⇨生理前だった
前提③⇨夜に皆で「大富豪」をやったのだけれど、私はそれまでに大富豪をしたことがなかった。まず、その事をそのメンツにすごく驚かれ、私はその事で「自分がこれまで学校などにもまともに行ってこなかったせいだ」と、劣等感を覚えた。
けれどそんな事で劣等感を覚えても、仕方がない。私は惰性で行かなかったわけではないのだから。と、そう思い、今しっかり生きているから良いのだ、と気持ちを入れ替える事にした。
ルールがわからなかったので、ネットで軽く調べた。しかしすぐにはそのペースについていけず、そんな私を見て、その場にいたひとりが「ばかなの?」と笑った。その人は、それをただ可愛いジョークとして言っただけだと思った。そういう人なのだ。
けれどその時、まだ「まともに学生生活を送っていたら」というような寂しさから抜け出せないでいた私は、その言葉にノックアウトされてしまった。
そして行動⇨学校も行っていない・学歴もない・学校で習う勉強なんてわからない
と自分で思った。そして世間体や学歴に厳しく、それがなければ「お前からは皆離れていく」と言われていた事。一方で「あなたは賢い」と言われ続けて、しかし結局期待に応えられなかったせいで父は家を出て、母親と妹は精神的に参ってしまった事を思い出した。
突然、様々な後悔と無念さ・無力さ、罪悪感に苛まれた。
「全部私のせいだ」
とそう思った。
一度そのムードに入ってしまうと、「今はだめ」と思っても中々抜け出せない。どうにか落ち着かせなきゃ、と一人先にテントに戻ったものの、涙が止まらず、私は夜中2時頃にテントを出た。
「ちょっとお手洗いに行ってきます」
と言って、その場を離れた。テントを離れながら、罪悪感でいっぱいになった。もう全て終わったことなのに、あれらの原因は自分で、自分がもっと強ければ・耐えられていたら、と思うと、涙が止まらなかった。
本当に最初はトイレへ行ったら戻るつもりだったのだけれど、涙が止まらなくなってしまった私は川辺で休むことにした。10分程経って彼から電話がきた。私はそれに出なくてはいけなかったのに、涙が止まらずまともに喋れそうになかったため、切ってしまった。しかも、2度も3度も。
そのせいで皆に心配をかけ、結果、2手ほどに別れて私の捜索が始まってしまった。
3度ほど電話を切ってしまったあとで、私はその行動でどれだけ皆に心配をかけるかとハッとして、急いでテントへ戻ろうとした。その道で彼と会った。
私もばかだった。泣いていた事をさとられまい、とその事に意識がいってしまったせいでついへらへらと笑ってしまった。彼は「いい加減にしろよ」と怒った。怖かった。
「皆にどれだけ迷惑かけるんだよ!!いい加減にしろよ!!!」と言って、思い切り私の腕を引っ張った。その腕の引き方が、父にそっくりで思わず逃げようとして、私は地面にころんだ。転んで、それでも腕を引っ張って連れて行こうとするので、尚私は踏ん張った。恐くてたまらなくなっていた。何をされるんだろう、と、何もされないだろうに考えていた。冷静じゃなかった。
そこへ別の人がやってきて、その人は女の人だったのだけれど、彼は「俺もうこいつ無理だわ」というような事を言って私を放って先にテントへ戻った。代わりにやってきた女の人は、私をぶち「いい加減にしな!」と言った。
その後、どうにか皆とキャンプサイトに戻ったけれど、その直前にあった出来事と、先程書いた「瓶や紙袋を地面に投げつける」という行為の事もあって、私は彼に対してもう父親に抱いているのと同じ様な感情を抱いていた。
そこへ改めて彼がやってきて、「話そう」と言ったが、力ずくで何かをする人となんて話したくないという憎悪に似た感情に支配されていた私は彼に両腕を掴まれてとっさに「触らないで!」と叫んでいた。
その後で彼とは仲直りをしたけれど、この一件で、このメンツには後々ちょっと悪く言われてしまい会いにくくなったり、「触らないで」と言った事で彼を泣かせてしまったりした。
と、以上が、彼の前で私が起こした情緒不安定な行動。
情緒不安定を脱するために
私の起こした行動がそうであるように、情緒不安定な行動には他人には想像し得ない原因があったりする。
けれどそれはやはり他人には想像し得ない事で、それをせめて好きな人がなんとなく感じて歩み寄ろうとしてくれたら幸せだけれど、その人のそれまでに過ごした環境によっては情緒不安定なんてまったく理解できなかったりして、それは当然のことなのだ。
でもお互いに好きなのに、情緒不安定という風邪のようなものが原因で別れてしまうなんて寂しいから、それを脱するための私なりの方法を次の記事に書こうと思う。
本当はここに書こうと思ったのだけれど、想像以上にこの記事が長くなってしまったので。
私自身、だいぶ楽になってきたので、きっと誰かのためにもなってくれる策なのではないかな、と思う。
変わると信じる理由
情緒不安定は風邪のように一時的なものであり、変われると私が信じる理由。
1番は、私自身が変わったからだ。
昨年は大勢の飲み会などにいても、どこか「お前は独りだ」という耐え難い孤独に苛まれてしまい、気がつくとその場を抜け出して一人で泣いていたりしたけれど、今はもうそれもない。「仲間の一員」という気分で楽しめるようになった。
あと、他の記事に書いたけれど、私はこれまで様々な「実際にはありえない不安」(例えば恐竜の存在を本気で恐れる、霊視を恐れるなど)を抱えていたけれど、今はその不安も一切ない。
2つ目には、「考えたようになるもの」と思うから。悪いことばかり考えていたら気分が沈むのは当然で、そうするとうまくいくこともうまくいかなかったり、うまくいっていても気が付かなかったりする。
人は見たいものだけ見れるように出来ている。
だから私は、自分は変われる、と信じる。
最後に
次こそ、風邪のせいで別れないような深い恋愛をしたいな。と、今からわくわく。
これまでにupした記事の中で、もしかしたら1番長い記事かもしれない。
どうしたら読みやすい記事が書けるんだろうな。
書きながら、つい週末に別れたこの彼の事を色々と思い出した。そう言えばこんな事もあったなぁと。色々合わないところはあったし、父親に重ねてしまい一時期は本当に恐く感じて憎く思うこともちょっとあったりしたのだけれど、最終的には、本当に好きになった、と思う。
別れてからnoteに色々書いていて、その中には「あぁ本当に好きじゃなかったんだ」とかもあるけれど、「少なくとも、一緒に居る時間のちょっと弱気な彼は好きだった」。ま、その弱気な彼というのが別れの予兆だったんだけれどね。
そしてこうやって短期間でコロコロと気持ちが変わるのが、「情緒不安定」だね。
これも1種の風邪。
失恋直後のカゼが吹いているだけ。
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