見出し画像

大きな危惧(ズボン着用)

※性的表現もありますので苦手な方は閲覧をお控えください※


先日、うちの地域でも「女子もズボン制服可」になったので持論を述べます。


1 過去



いきなりぶっちゃけますが私は若い頃

「体の作りがどっちでも恋愛対象」

でした。今で言うとバイセクシャルにあたるのかも?割合では男性との恋愛が多かったです。


でも、恋愛体質ではなかった。
基本的に男性も女性も等しく「友達」だった。今も変わらないけれど(笑)
「私が(私として)生きる時間は限られている」
が生きる基盤で、他人の性別なんてどうでもよくて、自分が生きているこの時間に同じような時間を過ごしている「戦友たち」と過ごす時間は大事だと思っていた。

高校時代は男子、女子の友達も、男子の格好をした性格は女子の友達もいた。女子の制服を着た男子も。みんな大事な友達だった。
高校を卒業し大学に入ってから男友達数人と日本国内を同じ部屋に何日も雑魚寝して貧乏旅行したり(漫画であるような性的なシチュエーションは全く無く)女子同士の飲み会も旅行も合コンもマハラジャ(古い)も通いまくった。時にはみんなで遊んでいた中の一人の大学の先輩に
「ええから俺の女になれ」
とか言われた(嫌だった)
ただみんなといると楽しい、性別関係なく扱ってくれる奴らといるのが居心地がいい。ずっとそんな学生時代を送っていた。

あるひ。
大学で毎日一緒にお弁当を食べていた友達の女性に突然告白された。
優しくて、色白で柔らかな表情の女性らしい体つきの女性だった。すごく性的に魅力を感じた。胸が柔らかそうで大きくて触りたいと思った。(自分の性別は女なのに何で?)という思いと反対の自分もいた。不思議な感覚だった。


でも接していくうち彼女が求めていたものが「体がオスの人」だと直感的に思った。手を握ってくる、私に寄りかかるとき大きなおっぱいを擦り付けてくる。お弁当を私のために拵えてくる。
「キスしたい。」
と言ってくる濡れた瞳も可愛かったけど。
自分には「ない」物的なものを求められていた気がした。友達として接していてもどんどんエスカレートしてくる彼女の要望に、私の心がついに悲鳴を上げた。


。。。。。
恋愛、となった場合。
私は私を必要としている人と、私が必要としている人とで気持ちが均衡する人と生涯パートナーになりたい願望があった。
私にオス的存在を求める彼女に今どうしてもなれないし。フェードアウトした。その時彼氏もいたし。

ずっと変な気分だったな。


もう25年前か(笑)



2 現在

今もあまり本質的には変わりがない。
たまたま私は体の造りが女性で、死ぬまで一生を共にしようと思った人が男性で、子どもができて主婦でいる。子どもと共に度重なる主人の転勤で前任地に家族ごと置いていかれて辛いこともある。主人の仕事は激務で50近くなってもまた単身赴任が続く。東京の自宅でもこっちの自宅でも帰宅したら毎日何時間も子育てや家庭環境に真正面から向き合ってくれる、話し合ってくれる、私の悪いところをストレートに指摘してくれるので(時々イラつくけど)素直に受け止めると、次の良い結果に必ずつながる。だから心底尊敬している。人生の先輩でもあり、親友でもあり、恋人でもあり、夫婦でもあり、パパママでもある。最高のパートナーだと思っている(向こうは適当かも)


今でもよほど社会倫理の乏しい人間でない限り平等に他人とお付き合いしている。
アラフィフに足掛けそうになったこの年になると尚更性別とは無縁になった気がする。(笑)
でも歳をとっても性的にも男らしく、女らしくを維持していたい人は多かろう。それも私に何らかの被害なければ別にいいと思ってる。人の無責任な惚れた腫れたに興味はないので。

3 やっと本題

今はLGBTQやSDGsなど流行りの言葉に乗って自認が伴い声を高らかに上げる人も多いように思う。しかし異常に主張する必要性に疑問を感じる。

他の人のことはわからないが、体と心の性別が違う(日和る)ことに悩む人の気持ちも私自身全く理解できないことはない。経験したし、根幹はずっと変わってないから。
でも「流行」にマイノリティを乗せるのは
反対だ。


4 マイノリティは「トレンド」?


1つ言わせてほしい。

LGBTQやSDGsはおしゃれでもトレンドでもない。「同じ空間に存在する認知」である。

最近中高生でも女子はスカートでなくズボンも自由選択できる学校が増えた。逆に男子がスカートを履くのも自由選択になっている。
制服というルールの中で自分が着たいものを選択できるようになったのはいいと思う。

でも一方で「オシャレ」で着てる子もいる。
今年度から始まった新しいルールに飛びついて「みんなと違うことがイケてる、女なのにズボンを履くのがカッコいい」
と短絡的に考え着ている子もいる事を知った。聞くと近所の中学校では
「こいつらキモっ!」
「あいつきらーい」

などと陰口をいったりいじめをするような子ばかりがズボンを履いているらしい。
「オシャレ」「トレンド」で先陣切ってしまうと、可能性が広がるのは上っ面でしかない。

「スカートを本当に履きたくない子がズボンも履けなくなる」
「スカートとズボン両方履きたい子の選択肢を奪う」
「LGBTQならズボン履けば?」という圧力が生まれる。

現にうちの近所の町立中学校では、いじめっこ達がズボンを着用しているため、「自分も履きたいけど(あの子達に)いじめられそうなので我慢した」という子が数名いた。


何が合理的配慮だよ。
・・・・・意味ないじゃん。


多分、今LGBTQだと自認している人で昨今の風潮をウォッチしてる人はここで苦しんでる人も多いのではと思う。
LGBTQに対する主張が強すぎる人達が前頭した結果本当に苦しんでいる人が認知不足の偏見に晒されもっと生き辛さを感じる結果になってないだろうか。

LGBTQをファッションアイコンとして利用しないで欲しい。認知が歪むんですよ。

芸能人でもよく見ますけど。
テレビでも、主張者も。
パレードやデモも
発信する情報提供者が受信者に認知を歪めている気がしてならない。
教育も進んでないから余計に。


5 大人が正しく子どもに話せる時代へ

子どもがLGBTQをファッションとして捉える背景には、大人の正しい認識が不足している原因がある。毛嫌いしている人も多いのが現状。理由は上記と同じ。
最近の風潮を見ると「逆に嫌われてどーすんだ」っておもってる。
派手に主張する人に限ってLGBTQを飯の種にしている。本当に苦しんでいる人が普通に世の中で歩けなくなってないか?
自分さえ良ければいいのか?
それならマジョリティと発想が同じじゃないか?

だから今こそ正しく学んで認知しよう。
誰もが(犯罪でない限り)自由な選択肢がある世の中であること。世の中のありとあらゆるものすべてに置いて自由。認知が進んだらそれこそファッションでもいいと思う。
だけど子どもには今はまだ難しい。なのでまずは認知から始めよう。
特に思春期の頃は人間関係複雑だからね。


6 SDGs対応制服のズボンをファッションで履かせた保護者へ



近所の中学校に関しては、いじめっ子たちがまず陰口やいじめをやめるよう親が管理してね。スマホやタブレットも子どもが何を発信してるか、どんなサイトを見てるかも知らないでただ与えないでよ。
陰湿なんだよいちいち。

いじめっ子の親も知ってる。
両親共働きで大変なのはわかるけどそこじゃないね。しかも私もこの前その子どもたちに文句言われました(笑)何もしてないけど
すれ違いざまに

「あのババアムカつくー。キモー」

だってさw

親が放任(放置が正しいか)だから難しいかもしれないけど、子供を育てる責任は持ってもらいたいですね。今はいじめに対して細かく指導があっていることですし(過去に大問題を起こした中学なので)遅かれ早かれ問題が起こるとは思いますが。

いじめっ子達のおしゃれアイテムでなく、誰もが自由にズボンを履ける中学校になるよう祈ってます。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?