Moscow mule merci

ぼちぼちと日常

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最近の記事

恋とは何か7250日かかってもわかりません

最近潮の満ち引きが激しくなっています。つい最近まで岩場でカメノテをとったり、時に溺れていた人に寄り添ったり。まさか自分も飲み込まれるとは。それでも波が収まる時は地に足をつけている感覚があって、そんな時は近くに彼女の面影が残っている気がして(この「彼女」は二人称単数であり交際している女性を指すものではない)。でもわかりません。彼女が近くで手を握っているのか。彼女の手のひらが大きな大地とかして私を転がしているのか。恋は盲目なんて言いますが、僕の両の眼は今にも熱膨張を起こして彼女を

    • 今絶望の淵にいる君へ あてどなく淵をなぞらえる 理由なんてものはもうとっくのとうに 目に映るぐにゃぐにゃだけが現実 風船が割れるみたいに ピノの最後の一つのように あっけなくこぼれ落ちそうで カラカラと風車の音が聞こえて そんなわけないのに彷徨って 動く首だけが現実 君の現実もうそう。 排尿がしたい午後17時四十二分 汚いタイルの上に骨を埋める 今絶望の淵から飛び立つ君へ。

      • 何も残せないということ

        二酸化炭素 炭化した五体 積み重ねてしまった生命の啜り泣く声 これ以上に何も残せないということ 目的地のわからない鈍行電車に 争おうと必死に後列の車両に乗り換える それはただ刹那を後伸ばしにする嘲笑の行為 これ以上何も残せないということ 人間の顔を鋭く睨みつけ 人間の目は真っ直ぐ見れない それでもニンゲンに可能性を抱く これ以上何も残せないということ まだやれるの終着点は おそらく自分で決めてしまう 心のどこかで思っているはず これ以上何も残せないということ

        • 眼前のロープとカーテンレール

          やっぱり生きたいし息してたいし季節に敏感でありたいですよね。やたらめったら文句言ってくるあいつも本当はおんなじ気持ちなんでしょうね。知らんけど。過ちは数年経って振り返ってみると鼻で笑えますが、あの時思い止まったのは過ちではないけれど鼻で笑えます。見ている世界が小さすぎたのだなあと。 今、心が大きな摩擦熱で烈火の如く燃え、黒く荒み、削り落ちて鋭く研がれ、悪意の衝動で形を保っているとしましょう。そして前後左右上下空間が鍋の中でごった煮されて現実世界を限りなく嘘偽りのプログラムで

        恋とは何か7250日かかってもわかりません

          曖昧

          「大人になったんだな」 この言葉は、大人を自覚する精神年齢であるにもかかわらず、それを考えた瞬間から自分が大人でありたいという意思が少しでも介在してしまいます。大人でありながら子供であるという言葉の揺らぎを感じます。 言葉の嘘と真の曖昧性 人の心の曖昧性 「でもそんな世界を愛しているよ」 これ一体どっちなのでしょうか。

          noteを始めるにあたって

          私がnoteというアプリ内でつぶやく言葉は、半分真実、半分虚構のようなものであるため、もし私の文章を見かけ、今読まれている文章を見つけたらば、「こいつ何言っちゃんてんの」くらいの半笑いの感じで見ていただけるとありがたいです。noteは知人、友、brother、呼び方はどうだっていいのですが、とにかく割と太めの糸で繋がれた人間が楽しそうに書いていたのでそれに誘発されて始めております。彼はよくボケが見つからなかった時、「うんち」と言う言葉に逃避しますが、表現とうんちはかなり類似し

          noteを始めるにあたって