眼前のロープとカーテンレール

やっぱり生きたいし息してたいし季節に敏感でありたいですよね。やたらめったら文句言ってくるあいつも本当はおんなじ気持ちなんでしょうね。知らんけど。過ちは数年経って振り返ってみると鼻で笑えますが、あの時思い止まったのは過ちではないけれど鼻で笑えます。見ている世界が小さすぎたのだなあと。

今、心が大きな摩擦熱で烈火の如く燃え、黒く荒み、削り落ちて鋭く研がれ、悪意の衝動で形を保っているとしましょう。そして前後左右上下空間が鍋の中でごった煮されて現実世界を限りなく嘘偽りのプログラムであると盲信した時、眼前のロープとカーテンレールを使ってみてください。
「ああ、死ねないって、生きていることなんだなあ。」と。
そう感じれます。少なくとも私はそう。もしそれでも死への渇望が勝った時は、新たな世界へ一歩歩みを進めても良いのかもしれませんね。でも絶対に死ぬな。歩んでいいのは一歩まで。3歩進めば未知の恐怖ですから。

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