絶対的多面的価値観

自分をあらゆる価値観で見ても無価値であることに変わりなかった
音楽においては、現在の私の水分量と同等の価値を有しており、しかし昨日の演奏は不純物と老廃物が飽和した無価値としか言いようのないものだった
ではタンパク質は何かというと、主に人間関係、社会的価値である。まず社会的価値は無価値であるとして、人間関係においてもやはり私は無価値であるとしか言いようがない。恋愛だの友情だのとほざく19歳〜22歳の顔面にサッカーボールキックをかましたいという考えこそがその裏付けである。しかし自分もその渦に飲み込まれるだけの限りなく矮小な存在である。やはり自分は多面的に見て、「今現在」無価値な存在であることは確かである。
これは絶対評価である。他者との比較は個人的にクソだと思っている。それを言い訳にすることは間違っていると思うが。「俺らは誰ともとも比べれない」とか曰う、ら抜き言葉常習犯が言いそうなことは言う気はさらさらないが、やはり自分の存在は自分の絶対評価で決まり、他者からの評価に反映されると信じている。
 では結局何が言いたいかと言うと、自分の絶対的多面的価値観を持ってしても、自分たちの音楽は眩い力があると思っている。だからこそ、無価値な自分たちを通して、価値ある音楽を評価してほしい。もっと自分にも価値を持たせるので。切実に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?