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ジブリを振り返る。

今日はジブリについて語りたい。私は、地球に生まれてきてよかった理由は何かと問われれば、まず間違いなく「ジブリに出会えたから。」だと答える。おそらく、そんなちっぽけなことが理由なのかと驚く人もいるかもしれない。しかし、私からすると、莫大な富を築くことも、誰もが振り返る美を得ることもちっぽけである。私にとっては、ジブリによって私の心の中に形作られた「優しさ」が何よりも尊く、愛おしいと思う。人の価値観とはまことに多様であり、興味深いもんです。

さて、今回私は、ジブリを振り返ってみたい。ジブリを振り返るとは、人生を振り返るのと同じである。ジブリとともに大きくなった私は、人格形成の過程の一部にジブリが含まれていると感じる。こんな人はいないだろうか。子供の頃、親の留守番中にいつもジブリの世界に入り込んでいた、という人だ。そういう人は、ぜひ私と一緒にジブリを振り返ってほしい。あなたの性格にジブリがどんな影響を与えているのか一緒に考えてほしい。自分がその体験の真っ只中にいる時は、自分の変化には気づかないものである。しかし、その過程を経て、時間が経つと、その経験が自分にとってどんな意味をもっていたのか考えられるようになるだろう。そうすると、きっと宮崎駿監督が、我らが母に見えてくるだろう。。笑

ジブリを振り返る。ジブリの興味深い点は、映画を見た時の歳によって、映画の感じ方が全く異なる点だ。ジブリを見た後に感じる、あのなんとも言えない感覚はみな知っているだろう。私は忘れられない体験がある。それは、高校時代に「耳をすませば」を見たときのことだ。それまでの私は、ジブリを見たとしても千と千尋の神隠しや、もののけ姫、ハウルの動く城などの「ザ・ファンタジー」を好んでいて、「耳をすませば」に関しては、なぜかきちんと見たことがなかった。おそらく、現実世界の話に関心がなかったのかもしれない。しかし、高校三年時に、学校の帰り道にふとTSUTAYAに寄った私は、耳をすませばを借りた。夜一人になったリビングで見始めた。見終わったあと、これまでジブリを見た後の、「ああ、帰りたくない」という感情とは違った、なんともいえない胸を締め付けられる感覚があった。うまく息ができないような、苦しさが。今振り返ると、あれは、あまりにも美しいものを見た後に、自分の汚れが溢れてきて、自責の念にかられていたのだと感じる。雫や聖司くんの輝きと自分の黒黒とした闇が対象的に映し出され、自己嫌悪が溢れた。あのときばかりは、何日かあの苦しさをひきづったことを覚えている。自分には、もう取り戻せない青春があるのだなと、そのとき悟った。

あのときからだろうか。ジブリを見た後に、純粋に世界に入りこむというよりは、まるで理想の世界のように憧れでジブリを見るようになったのは。子供の頃は、自分も物語の中に入り込んで、終盤には「帰りたくない」が感想だった。しかし、あの時以来、「美しい世界だ」という感動が冒険心に勝るようになった。この世界を見れば、現実が頑張れる。麻薬のように私の心に平穏を与えてくれる存在に変わった。

昨年、新作の「君たちはどう生きるか」を見に行った。驚いたことに、この作品では、私も久々に物語の中に入り込んでいた。ころころと変わる展開の中で、私はひたすらに踊らされ、冒険をしていた。子供心に戻っていたのだ。さらに言えば、この新作は、美しさだけではなかった。今までのジブリのような夢のように美しい風景はあまりない。登場人物たちも、皆それぞれが「汚れ」を孕んでいる。ファンタジーなのに、これまでのジブリの理想郷とは違った。現実味を帯びていた。私にはこの現実味から、いつまでも美しさばかりを求めず、汚いものにも目を向け、それを超えていけ、というメッセージを受け取った気がした。同時に、私の哲学は、ジブリによって形作られているのだと悟った。

汚さがあるから、美しいものはより光り輝く。ジブリが大人になって美しさを増していくのは、自分の中に汚さが増えていくからだろうか。そう考えると、童心の優しい心、美しい、不浄の心に立ち返りたい時、ジブリは私たちにその機会を与えてくれる。それは、現在の自分と過去の自分が出会う、時に苦しい作業かもしれない。しかし、それでも、自分の中にあるまた別の「優しさ」が心に芽吹くだろう。つまりまとめると、子供ができたらみんな小さい時からジブリ見せてあげよう、というお話。


ではまた。


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