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【病のような才能】喋り続けられる才能。

自分の才能はなんだろうか?

思春期の頃からずっと考えてきました。
周りには、様々な才能を持っている方々がいました。

もちろん、努力を積み重ねてきた姿なのですが、
当時のボクには、あまりにも眩しい姿でした。

齢30を過ぎて、ボクにも「才能」があるのだと、
気づかされることがありました。

ですが、それはまさに「病」のような姿をしておりました。

そんなボクが感じたことを
語っていきたいと思います。

それでは、ヒアウィーゴーーー!!!

①「喋り」にコンプレックスを抱えた10代のボク。

高校生のとき仲間内では、
ある海岸に集まって喋り合うというのが
いつもの流れになっておりました。

そこでは、
学校のこと・将来のこと・最近みた映画やマンガ・
面白かった芸人やエンタメなど
他愛もない会話を延々と話し合っておりました。

みんな、お笑いが好きだったので、
話がめっちゃ面白いんですよ。
オチをつけて笑わせたり、話し方が上手かったり、
少し難しい話を分かりやすくしてみたり等など。

ボクはめっちゃ笑っておりました。
と同時にめっちゃコンプレックスを感じておりました。

ボクは喋ることがめちゃくちゃ大好きなのに、
面白い話ができなかったんです。

もちろんボクが喋ることもありますが、
「あの映画みてさ、めっっっちゃ面白かった!!」
「圧倒的な熱量」だけでゴリ押しして
「ひたすら喋り倒す」だけだったんですね。

だいぶ脈絡の無い話し方だったので、
みんなの反応が目に見えてあんまりだったんですね。

友達なのでそこはお互い全然気にせずに
楽しい日々を過ごしておりました。

でも、ボクのコンプレックスは
どんどん膨れ上がっておりました。

「あー。ボクには面白い話をする才能が無いんだなー。」と。

今のボクが振り返ると
実はある才能の片鱗が
このときに芽生えていたんです。

②「考える」癖がつきはじめた20代のボク。

25歳のときに、
縁あって「創価学会」という宗教に
入ることになりました。

※入会した経緯は、下記の投稿になりますmm

宗教に入ったことで、
ボクはひたすら考え続けることになりました。

なぜなら、宗教って「うさんくさい」じゃないですか(笑)
だからこそ、なぜ宗教に入ったり、なぜ信仰をもつのか、
「自分が納得するまで考えること」になったんです。

宗教や信仰を「盲目」だと批判する人がいますが、
ボクみたいに自分なりに考える人も結構いたりします。

なので、いつ・誰に聞かれても、
「なぜ信仰しているのか?」
すぐに答えられるようになりました。

この癖がついてからは、
なにに対しても「なぜ?」を考えるようになりました。

映画やマンガをみて、「なぜ面白いと思ったのか?」
人の話をきいて、「なぜ興味深いと思ったのか?」とか
自分の感じたこととずっと向き合うことになります。

ここである才能のもう一つの片鱗が
芽生えておりました。

③喋り×考える=「喋り続けられる才能」

その才能に数年間気づいていなかったんですが、
転職や人生の浮き沈みを経て、
ボロボロだったボクは、
創価学会の恩人に相談しておりました。

「ボクの良いところや才能ってなんですかね?」と。

そこで言われた一言が、
「キミの凄いところは、喋り続けられることだよ!!!」
だったんです。

ボクは驚きました。

面白いお喋りができないことが
10代からのコンプレックスだったからです。

ですが、15年の時を経て、
「2つの能力」が組み合わさって、
「1つの才能」が生み出されたようなんです。

1つ目の能力は、
生まれ持っての「面白い!」と思ったことを
圧倒的な熱量で喋る能力です。

2つ目の能力は、
宗教を通じて「答えが無い」ことを
自分が納得できるまでずっと考え続ける能力です。

この2つの能力が組み合わさって、
「喋り続けられる才能」が生み出されました。

もともと、喋りたい欲求はあっても、
頭の中で言語化できてなかったり、
話を展開するだけの構成を考えれていなかったんです。
だから、喋りたくても
「喋り続ける」ことができなかったんです。

でも、宗教を通してひたすら考えることが癖になっていきました。

つまり、先天的に与えられた欲求と
後天的に身につけた癖を組み合わせることで
一つの才能が勝手に出来上がっておりました。

④病のような才能。

ボクは友達と会ったときも
ひたすら喋っております。

6時間一緒にいたら、
4〜5時間はボクが喋るような勢いで
喋り続けております(汗)

どうしても喋り続けてしまうんです。
普通に考えて、そんな奴がいたら嫌ですよね(笑)
というか、それはもう「病気」です。

でも、みんな面白い!といって聞いてくれるんです。

さらにこれが「才能」なんだと確信する
決め手になったのは、
友達のラジオ番組にでたときです。

初めてラジオに出るのに、
ほとんど緊張せずに30分間ひたすら喋っておりました。

「あ!ヤベ!喋りすぎた!(汗)」
と終わったあとに思ったのですが、
「初めてのラジオ出演で、こんなに喋り続けられる人は初めてみたよ。」とスタッフさんから驚かれました。

面白い話をするだけが才能ではなく、
話し続けられることも一つの才能なんだと気付かされました。
ある意味、どんな形であれ「継続」できてしまうものこそが
才能の姿なのかもしれません。

ここまで読んでいただいた皆さんにも
思い当たる部分はあるのでは無いでしょうか?

「病」のように
「どうしてもしてしまう」ことこそが
「才能」なのかもしれませんよ。

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「才能」を求めて病まなかったボクが気づかされたことを
今回の投稿にまとめてみました!

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!!!

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皆様が朗らな日々を謳歌することを、
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