織瑛

会社員+占い師。嵐ファン。 慶応義塾大学文学部卒業。 占術は、手相、算命学、タロット、…

織瑛

会社員+占い師。嵐ファン。 慶応義塾大学文学部卒業。 占術は、手相、算命学、タロット、ルノルマンカード、西洋占星術、方位学。 原宿占い館 塔里木(タリム)に出演中。

最近の記事

映画<プリシラ>~所有される者の孤独~

ソフィア・コッポラの作品には醜いものが出てこない。 美しい俳優たち、風景、建物、さまざまな愛らしい色彩のアイテム。そんな世界の中にいる主人公は、ふんわりした孤独に包まれている。 「孤独」まで透明感のあるキャンディカラーな感じで。 そして、ソフィア作品に幾度も登場する、限定された空間に閉じこめられるヒロイン。 そこから出ていこうと思えば出ていけるかもしれない。 でもそこはあまりにも美しく心地の良い空間だから、出ていく必要もない…。 ましてそこは、夢のような初恋の相手の手の内にあ

    • 【ゴジラ−1.0】〜マイナスの意味

      【ゴジラ-1.0】のゴジラは、とても苦しそうで、哀しそうだった。 ゴジラが、核実験の影響で生まれた設定なのであれば、ゴジラもまた被害者であり、身体に放射能を受けている。 あまりにも有名で、歴史のある、あのゴジラの吠え声。「マイナスワン」のゴジラの声は、人間への攻撃ではなく、身体に受けたダメージに苦しむ咆哮に聞こえた。苦しみの叫びのようだった。 身体が発光し、空を仰いだあと、渾身の力で全身を折り曲げて、口から吐き出すゴジラの光線は、事物を破壊するための光線ではなく、苦しみのあま

      • 映画<サイレントラブ>~想いの音色~

        日常に隠れた美しいもの 映画が始まりしばらくして、鉄塔が立ち並ぶ風景が映し出されたとき、鉄塔たちが森に立つ木々のように叙情的だったのに驚いた。 鉄塔と電線は、美観を損なうものだと思っていたから。 美しくないと思っていたものが、美しかった。美しくなれる力をもっていた。 思い込みに目が曇って、美しいものを、大切なものを、見逃していたような。 言葉を消した美しさ 「サイレントラブ」の主人公、蒼(あおい)を演じるのは山田涼介。誰が見たってキラキラで美しい。美しい山田涼介が、その

        • 映画<レザボア・ドッグス デジタルリマスター版>~語られなかったもの~

          三十年前の思い出 クエンティン・タランティーノの初監督作品。日本で1994年に映画館で公開されたときに観に行った。三十年前か。 パルコパート3の中の映画館だっけ? とにかく渋谷だった。 喫茶店の会話のシーンのあとのオープニング、黒スーツ・サングラスの強盗一味が「Little Green Bag」が流れる中、スローモーションで歩いてくるシーンが、かっこよすぎて、鳥肌が立った。比喩じゃなくて本当に鳥肌を立てながら座っていた。 きっとあのとき映画館の中にいた人たちは、それに似た衝

        映画<プリシラ>~所有される者の孤独~

          映画〈PERFECT DAYS〉〜木のように生きる〜

          主人公、トイレ清掃員の平山(役所広司)が、タイトル「木」の文庫本を選ぶシーンがある。 そのとき、ああ、平山は、木のように生きている人なんだな、と思った。 平山は清掃員の作業着の胸ポケットにカメラを携帯しているが、決して自撮りはしない。 毎日、同じ木の枝葉の写真を撮る。 日々の木のすがたこそ、平山の記録であり、日記のようなものだ。 平山が、木の根元に芽吹いた小さな草を持ち帰り、ひとつひとつ自宅で育てている姿も、平山自身が木であるように思わせ。 現像された枝葉の写真を、箱に保管を

          映画〈PERFECT DAYS〉〜木のように生きる〜

          映画<首>~織田コンツェルンの人々~

          クビを切る、土下座と言えば? 出世とは無縁だけど、私の会社員生活は今までの人生の半分の年数を超えた。 その中で感じ取ってきたのは、会社の中は、「情」で動くところが大きいということだ。たぶん令和になってもなお。 その人の能力というより、その人を好きか嫌いかという感情が、情が、暗渠のように流れ続けているのが組織というところだ。 「情報」とは「情の流れ」を知らせることと言えないだろうか? 権力のある者、上司に愛されるかどうかは、すごく大きい。公平でなければならないけど、やはり人間

          映画<首>~織田コンツェルンの人々~

          映画<アナログ>~愛おしむ速度~

          アナログな速度の恋愛 数年前に、和晒し(わざらし)ガーゼのシーツを初めて買ってみたら、その感動的な柔らかさと優しさにうっとりした。 綿繊維にストレスを与えないようにゆっくりと時間をかけて本来の性質を引き出す加工をするのが和晒し(わざらし)、綿繊維にストレスを与えて短時間で仕上げる加工をするのが、洋晒し(ようざらし)だそうだ。洋晒しは、コスパの点で和晒しに勝るが、和晒しの柔らかさと優しさを生み出すことは到底できないだろう。 和晒しと洋晒しは、アナログとデジタルの対比のように

          映画<アナログ>~愛おしむ速度~

          映画<BAD LANDS>~タロットカードと大阪弁

          タロットカードが舞い降りる 作品の中で、突然、タロットカードが登場する。 ヒロイン、ネリ(安藤サクラ)は8月20日生まれ。だからネリのタロット・カードは、20番「審判」であると。 カードが画で映ったわけではなく、ネリにとって近しく重要な人物のセリフの中で語られる。 物語の中に、突然ひらりと一枚のタロットカードが舞い降りたかのように。 「審判」は、タロットカードの絵札22枚(0番から21番)の中の20番なので、終わりに近い番号で、新しい世界が始まる一歩前のカード。 再び世界に生

          映画<BAD LANDS>~タロットカードと大阪弁

          VIVANTはジェダイだ。

          スター・ウォーズの遺伝子 日曜劇場【VIVANT】が最終回を迎えた。祝。 「ドラムはチューバッカのイメージ」という福澤監督の言及もあり、スター・ウォーズの骨格と血が流れているような、遺伝子が入っているような、壮大に面白い作品だった。 今、思えば、第一話のベキ(役所広司)とノコル(二宮和也)の顔見世シーンのビジュアルは、ジェダイ・マスターのクワイ=ガン・ジン(リーアム・ニーソン)と若き日のオビ=ワン・ケノビ(ユアン・マクレガー)をイメージさせるものだったなあ。主要な舞台となっ

          VIVANTはジェダイだ。

          映画<エリザベート1878>~静止画ではなく動画のひと~

          オーストリア皇妃エリザベートはミュージカル、ドラマ、映画などのコンテンツとして非常に魅力的な素材なのかもしれない。 魅力の素は華やかな美貌だけではなく、異質さのある妃、だからなのかもしれない。 この映画の中に登場する、エリザベート、夫オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ、従弟ルードヴィヒ二世などの高貴な人物は、ときおりバスタブの水に浸かる。 まるで水棲動物が、呼吸ができない陸から離れて、水に触れてやっと呼吸ができているように。胎内回帰のような安らぎを求めるように。 それは、限界

          映画<エリザベート1878>~静止画ではなく動画のひと~

          映画<エドワード・ヤンの恋愛時代>~かき氷のような愛おしさ

          私が初めて台湾かき氷を食べたのは、1991年に旅先の台北のショッピングモールのフードホールでだった。 当時、まだ日本で台湾かき氷はほぼ輸入前だったから、現れたかき氷に、おおっと思った。 日本のかき氷より小ぶりのサイズで、ポップでカラフル。 練乳がたっぷりかけられ、カラフルなフルーツや白玉や餅やタピオカや杏仁豆腐が入っていたりして、味も見た目も、なんだかかわいい宝石みたいだった。 ガールズ・スイーツという感じだった。 映画「エドワード・ヤンの恋愛時代」を観たあとに浮かんだのは、

          映画<エドワード・ヤンの恋愛時代>~かき氷のような愛おしさ

          音楽劇<精霊の守り人>~さようなら、チャグムっていって。

          この舞台を観に行った理由はただひとつ、黒川想矢くん目当てだった。 水の精霊の卵を宿し、大地を雨で潤す役目を持つ皇子チャグム役。 「怪物」でも「水」に関わるイメージが強かった黒川想矢くんだったけど、「精霊の守り人」でも「水」に関わる役どころで、不思議なリンクを感じる。 主役はバルサだが、バルサがチャグムを守る用心棒となるので、必然的にバルサが登場するシーンでは、ほぼチャグムもそばにいるということになるのだ。 したがって、黒川想矢くんが舞台上にいる時間も長い。 大人の俳優に囲まれ

          音楽劇<精霊の守り人>~さようなら、チャグムっていって。

          映画<怪物>21回目はティーチインだった。~1秒の湊~

          21回目の「怪物」鑑賞は、是枝監督と黒川想矢さんのティーチイン付きという華やかな思い出となった。 私は二列目の一番端の席で、質問の挙手は当てられなかったが、席の位置角度的に、横顔の綺麗な黒川くんの横顔+横全身像がずっと視界内にある、という多幸感あふるる状況に置かれていた。 「初めてのティーチインなので緊張しています」と挨拶した黒川くんの立ち姿も話しかたも、湊そのままで、直前まで映し出されていたスクリーンから抜け出してきたかのよう。 もし質問ができるのなら私は、15回目の鑑賞

          映画<怪物>21回目はティーチインだった。~1秒の湊~

          映画<怪物>を18回、観た。~第四の視点~

          18回目より前の鑑賞のときだったかもしれない。 あたりまえのことに突然気がついた。 <怪物>は三つの視点が語られる作品だけれど。 第一の視点=早織。第二の視点=保利。と来て。 第三の視点=こどもたちの視点ではなく、湊の視点であるということに。 それは、作品中で何度か映し出される湊の部屋の様子を思い返していたときだ。 そういえば、湊の部屋は登場するけれど、依里の部屋(私室)は出てこない。 依里の家で登場したのは、玄関周りとキッチンとダイニングルームとバスルーム。 依里はどんな

          映画<怪物>を18回、観た。~第四の視点~

          映画<怪物>を12回、観た。~火の少年、水の少年~

          これほどまでに何回も観た映画は初めて。 その違和感に気がついたのは、十回目の鑑賞のときだった。 湊の母、早織が、依里の家を訪ねるシーン。 依里は、キッチンのシンクの蛇口の水をガラスのカップに入れて、早織にどうぞ、と差し出す。そのあと、シンクの前に立ったまま、自分もガラスのカップに入れた水を飲む。 その依里の後ろに、すっかり使われていないようすの家庭用のウォーターサーバーが置かれている。それが、十回目で初めて自分の目に入ってきた。 水のタンクは当然、カラである。だから依里は、蛇

          映画<怪物>を12回、観た。~火の少年、水の少年~