広原 真矢/Shinya Hirohara

1994年生まれ。奈良でバリスタと採用担当。一度は適応障害で無職に。そこからの歩みと気…

広原 真矢/Shinya Hirohara

1994年生まれ。奈良でバリスタと採用担当。一度は適応障害で無職に。そこからの歩みと気づきの記録です。同じような境遇の方が「大丈夫」と思えるnoteにできたらと思います。なんか違うと思ったら、フォロー外しちゃってください!

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15ヶ月ぶり。正社員に戻ります

2020年9月、適応障害で退職してから15ヶ月。 奈良のカフェで、正社員として働くことになりました。 レールから落ち、人生に絶望していた自分。 そこから、どうやって今に至ったか、振り返ります。 目的は自分の振り返りですが、先が何も見えなくて、絶望している方にも「きっと大丈夫だよ」というメッセージになれば嬉しいです。 振り返り再就職失敗(2020年10月-12月) 退職後すぐに転職活動を始めた。 スケジュールを振り返ると、面接でびっしり。 行動せず、周りに置いてかれ

    • 目標はなくてもいいけど

      目標って聞くと「嫌だなぁ」と思う自分がいる。 目標を持ったときにそれ以外のことが見えなくなって、達成しても新しい目標ができて息苦しくなった経験があったからだ。 ひとときは夢中だった。 この目標を達成したら目指す世界が実現できると、毎日がキラキラしていた。 でも、いざ達成したときに、自分が思っていた世界に辿りつかなかった。 むしろ「他のことを失ってしまった」「人にコントロールされていただけだった」という徒労感や燃え尽きが起きた。 そういう経験をしてから目標を持つことや、

      • 恐怖や憤りは明け渡してしまえ

        年初め「やりたい仕事をやるために、成果を出すことは大事だ」と考えていた。 今やっている好きな仕事をとられないためにも、結果で会社に示さなきゃ、と。 そんな矢先、ある仕事を他者に任せることになった。 求められる成果に達しなかったツケがきた。 恐れていたタイムリミットが来てしまった。 「やりたいことができなくなる。」 「自分の市場価値が下がる。」 「会社から信頼されていないんだ。」 「自分はやっぱり能力が低いんだ。」 そんなネガティブな気持ちがフツフツと湧いてきた。

        • 写真を否定されると胸を引き裂かれる想いをする

          奈良に越してきて2年たった。 まったく知らない地に飛び立つ前、不安はあった。 でも、「自分の心やすらぐものと一緒だったら、どこへ行ってもなんとかなる」と思い切って行動できた。 自分の心やすらぐものは「コーヒー、写真、文章」 いつでも側にいてくれて、辛いとき逃げ場になってくれる。 自己表現の一部で、お守りみたいな存在。 一方で写真は「もっと向上したい」という熱もあって、機会を増やしたいと思っていた。 いまの会社は余白が多いから、「あ、これやります」と言っているうちに仕事と

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        15ヶ月ぶり。正社員に戻ります

          人に目線がいっちゃうけどさ

          バリスタとして店舗の一員と働き、人事ぽい動きもしている最近。 「この人周りに良くない影響与えているな。多分こういう価値観の違いぽい。採用のときはそこ揃えないとな。」 「今ハッキリ伝えないと、この人起点に会社として認識が歪みそう。このポイントだけは改善してもらわないと。」 「全体的にフラストレーション溜まっているな。コミュニケーションの方向性変えなきゃな。」 などなど、当てにならない感覚的な仮説が出てきては、人事系の本を読みあさり、〜理論みたいなのに当てはめる日々。 疲れ

          人に目線がいっちゃうけどさ

          振り返りとこれから。結果はゴツゴツして怖いけど。

          2024年になりました。 1年の振り返りと今年のやりたいことをツラツラと書きます。 あとで振り返った時、「あんなこと書いていたよなぁ」と思い出すために。 2023年=DOの年 バリスタにも慣れ「さぁ次はどうしようか」から始まった2023年。 とにかく動こうと思った1年だった。 自分の仕事を見つけたかった。 方向性は「表現」と「組織づくり」 「なんかいいよねぇ」を伝えたい。 「なんかいいよねぇ」をつくりたい。 そこに興味があった。 表現は「写真」「文章」 組織づくりは

          振り返りとこれから。結果はゴツゴツして怖いけど。

          この世界って、案外わるくない

          「こんな場所に居続けたくない。」 10代のころから閉塞感がつきまとっていた。 どろっとした湿気が漂う片田舎に育った自分。 遊ぶ場所はゲームセンターくらい。 国道沿いに並ぶチェーン店たちは、どの街でも見る光景。 自分にとって楽しいものなどなかった。 日々横たわる惰性と絶望感を抱えていた。 「人生このまま面白くなくていいのか。」 「環境を変えなければ自分の人生はここで終わる。」 そんな漠然とした危機感から20歳でイギリス留学に出た。 環境さえ変えれば、何か変わるんじゃ

          この世界って、案外わるくない

          人との関わり怖いけど

          ここ2-3年、人間関係を避けてきた。 元々メンタルを崩したことがきっかけ。 回復のために人を遮断した。 その方が楽と気づいてしまってから、関わりを求めなくなった。 自分の世界に閉じると、他者に揺さぶられず安心できた。 でも最近気づいた。 他者を決めつけ、自分に閉じこもっていると世界が広がらない。 自分の考えで完結してしまい、同じ日々を過ごす。 穏やかだけど、なんか違う。 閉じこもって安心したい自分。 新しい価値観に出会い揺さぶられたい自分。 無作為に関わるとダメに

          人との関わり怖いけど

          心境の変化があり「えいや」、と本名にしました! 引き続きよろしくお願いいたします!

          心境の変化があり「えいや」、と本名にしました! 引き続きよろしくお願いいたします!

          代替の消費じゃなくて

          昨日、奥さんとラーメンを食べようと思った。 2人が好きなラーメン屋さん。 けど、やっていなかった。 「違うラーメン屋さんいく?」って聞いたけど、奥さんは「私はラーメンが食べたいのではなく、"あそこの"ラーメンが食べたかった」と言った。 その日は、家でご飯を食べた。 「あぁ、ラーメン食べたかった!」とはならなかった。 とても幸せな日だった。 僕らは代替の幸せを消費しているのかもしれない。 あそこのラーメンがやってなかったら、別のラーメンを食べる。 そうやって、欲を

          代替の消費じゃなくて

          帰省

          再会。 1年前と変わらない関係。 でも、大きく変化した個人。 みんな違う道を歩いていた。 人の変化や成長は、どこか寂しい。 「あのとき、あのまま、そこにいれば。」は、どこにもないんだ。 現実はいつもここに。執着は自分の中だけ。 淡く抱いた怨念よ、さよならだ。 いさぎよくキビを返し、前を向く。 認めたくない現実があっても。 僕はここで頑張るよ。

          結果に焦るな

          バリスタにはテストがある。 ○月○日までに、ラテアートができるようになる、といった感じ。 そしてテスト合格が早いほど、イケている、という風潮も。 自分はラテアートの期限を超過しており、早く受からなくてはいけないという焦りがすごい。 そのため、合格するための最短ばかり探していた。 それに周りの進捗がとても気になった。 「後輩に負けたらどうしよう。」 そんな気持ちが募っていた。 すると目の前の課題がおそろかになる。 本来の目的も忘れてしまう。 楽しさを感じる余

          自然体な貯金

          貯金ってむずかしい。 多くない収入から、余剰をつくる。 出費おさえるため、我慢する。 目標を決めて、計画的に行動する。 これだけでも大変。 くわえて、人間には感情があるから、余計ややこしい。 「仕事でもないのに、計画したくない。」 「計算された日常は、いきぐるしい。」 「なぜ我慢しなくてはいけないのか。」 難易度高い。 我慢と欲。 計画と感情。 未来と今。 そのバランスが、貯金の難しさ。 経済的に自立してから、この難問とぶつかってきた。 1年間で

          好きを仕事に。その先は。

          奈良でバリスタを始め、かれこれ8ヶ月ほど経つ。 元々好きで進んだコーヒーの道。 近い未来、カフェを開くための修行。 社会の声を聞かず、初めて自分で選んだ行き先。 入り口に立ったとき、「いけるだろう」と思っていた。 今まで興味がないことでもある程度結果を出してきた。 好きなこと、将来に繋がることなら、より結果が出る。 やらない理由もできない理由もない、と。 でも、この8ヶ月、順調と思えたことは1度もない。 バリスタテストの期限は3ヶ月以上超過。 新卒に抜かれ

          好きを仕事に。その先は。

          あの熱は、きっと今も

          「自己満足のために、貢献してたのか」 そう絶望してから2年経った。 人の役に立つことが最上の喜び。 相手の想いを聞いて熱くなる。 その実現に貢献できたとき、本当に生きがいを感じた。 自分のために頑張れない自分は、人のために頑張った。 夜遅くまで働き、数字にも貪欲になれた。 貢献できれば、自己が満たされた。 けど、求められる結果が高くなるにつれ、貢献実感は薄くなった。 「その結果は当たり前だよ。プラスαがないと。」 上司の何気ない一言が辛かった。 自分が少

          あの熱は、きっと今も

          何者にもならなくていいのではないか

          「何者かになりたい」 20歳から常に思ってきた。 秀でる才能なく、集団に馴染めない。 夢中になれるものもなく、常に渇きがあった。 そんな自分でも何者かになれば満たされると思っていた。 その想いは、東京で就職してからの5年間、働くエネルギーになってくれた。 有り余ったときは、休日のセミナーやボランティアの参加にも自分を駆り立てた。 前に進んでいる気がして、とっても充実感があった。 しかし、ふっと立ち止まったとき、自分が何者にもなっていないことに気づいてしまった。

          何者にもならなくていいのではないか