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この世界って、案外わるくない

「こんな場所に居続けたくない。」

10代のころから閉塞感がつきまとっていた。

どろっとした湿気が漂う片田舎に育った自分。
遊ぶ場所はゲームセンターくらい。
国道沿いに並ぶチェーン店たちは、どの街でも見る光景。

自分にとって楽しいものなどなかった。
日々横たわる惰性と絶望感を抱えていた。


「人生このまま面白くなくていいのか。」
「環境を変えなければ自分の人生はここで終わる。」

そんな漠然とした危機感から20歳でイギリス留学に出た。

環境さえ変えれば、何か変わるんじゃないか。高鳴る期待感があった。

予想は的中した。
毎日毎日見るものが新鮮で、出会う人も最高に楽しい人たちだった。

「遠くにきた特別な経験だから、こんなにも楽しいんだ。」
「こんな気持ちは、今、ここでしか味わえない。」

本当に楽しい経験だったからこそ、終わりが怖かった。
でも、刹那的な楽しさを秘めていることは、どこかわかっていた。

そして終わりはやってきた。
就活の時期が近づき、約1年間の留学は幕を閉じた。

ほんとうに帰りたくなかったし、別れが辛かった。
何よりもあの閉塞感に戻ると思ったら怖かった。
でも、一生旅を続けていく勇気はなかった。

東京に出ればきっと同じ感動を味わえる、と思って就職と共に上京した。
けど、そこにあの胸の高鳴りは待っていなかった。
場所は違うけど、似たような閉塞感は日々に横たわっていた。


そんな日々を過ごす中で、久しぶりにカメラを触るようになった。
コロナ禍で家か散歩しか行動範囲がなくなったからだ。

いつもは早足で過ぎてしまう道端や、何気ない光景が目に止まるようになった。

そこには自分しか見出していない美しさがある気がした。
そして、その感覚は留学のときに似ていた。

「遠くに行って、特別な経験をしなてくは、あの時に戻れない。」

そう思っていたけど、実はどこでも、自分の気持ちや視点次第で新しい発見やワクワクはあると気づいた。

あの留学から10年。
あれから海外に長期滞在したことはない。

けど、いま「この世界って案外悪くない」と思えるようになってきている。

自分の感性や世界の切り取り方次第で、いくらでもワクワクできると気づいたから。
閉塞感なんて自分が作り出したものだった。

そう気づけたのは間違いなく「写真」のおかげだ。
切り取りたい時そばにいてくれて、後からでもその世界を見せてくれる。
「案外世界って悪くないでしょ?」と語りかけてくる。

いま僕は奈良に移住して、新しい仕事を始めた。
不安はあったけど、写真さえあれば、どこにいっても自分次第と思えたから決断できた。

そうやって世界の良さを教えてくれたことに感謝している。
僕は写真が好きだ。


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