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若くして成しえるひと

藤井竜王名人の八冠獲得のニュースが冷めやらぬところです。『若干21歳の偉業』との見出しも目にします。そこで、若い時分(主に10代~20代)に業績を上げた方を思いつくところを並べたみたいと思い立ちました。

わたしがその年齢のころは、なんだかヘボくて、ろくでもないことでございました。

(年齢は若干計算間違いがあるかもしれません。だいたいそのくらいの年齢と思っていただければ)。

(もちろん、これは様々なジャンルにおいてもおびただしい数があり、挙げだしたらきりがないのかもしれません)

ただ、若い方の活躍(わたしも若いのだが)を目にすると、微笑ましいと思えるし、応援したい気持ちや元気をもらえるような気がします。

その一方で、神様から『天分《ギフト》』を与えられた姿に魅力を感じると同時に、不思議と、どこかしんみりとした寂しいドラマを視ているような気もするのです。

※もし、間違いなどありましたなら、また、「他にもこんな方がいるよ」とゆうのがあれば、コメントに。


将棋・囲碁

羽生善治:プロ棋士になったのが15歳。タイトル七冠達成のとき25歳。現(2023年)将棋連盟会長。

藤井聡太:プロ棋士になったのが14歳。最年少で初タイトル獲得したとき17歳(なお、二冠~八冠すべて最年少記録)。タイトル八冠達成したとき21歳。

井山裕太:史上初で唯一の囲碁タイトル七冠達成のとき26歳。

仲邑菫:プロ入りが10歳。史上最年少タイトル(女流棋聖)獲得の女流囲碁棋士となったとき13歳。

小説家、文学

芥川龍之介:『羅生門』が発表されたとき24歳。なお35歳他界。

新井素子:SF小説『あたしの中の……』が第1回奇想天外SF新人賞したとき17歳。『グリーン・レクイエム』及び『ネプチューン』が2年連続で星雲賞日本短編部門(ネビュラ賞)を受賞したとき21歳~22歳。

日日日(あきら):第4回新風舎文庫大賞(『ちーちゃんは悠久の向こう』:その後映画化される)を含めた計5回の文芸賞を受賞した時期に18~19歳。

サリンジャー(ジェローム・D・サリンジャー):『僕はちょっとおかしい(I'm Crazy)』(『ライ麦畑でつかまえて』の原型とされる)が発表されたとき26歳。『ライ麦畑でつかまえて』が発表されたとき31歳。

三並夏:『平成マシンガンズ』により史上最年少で文藝賞を受賞したとき15歳。

アンネ(アンネ・フランク):『アンネの日記』(その後、世界的なベストセラーとなり、また映画化される)を書き綴った時期13歳~15歳。なお15歳他界。

鈴木るりか:小学館主催の「12歳の文学賞」に3年連続で大賞受賞後、過去の成果をまとめた『さよなら、田中さん』が刊行されたとき14歳。

サガン(フランソワーズ・サガン): 『悲しみよこんにちは』(Bonjour Tristesse )(世界的ベストセラーとなり、その後映画される)が出版されたとき18歳。

綿矢りさ:『インストール』が文藝賞を受賞したとき17歳。『蹴りたい背中』が芥川賞を受賞したとき19歳。両作品はいずれも映画化やテレビドラマ化された。

(参考)芥川賞受賞者
金原 ひとみ『蛇にピアス』:20歳、石原慎太郎『太陽の季節』:23歳、大江健三郎『飼育』:23歳、村上龍『限りなく透明に近いブルー』:24歳。

竹下龍之介:『天才えりちゃん 金魚を食べた』(第8回 福島正実記念SF童話賞受賞、その後映画化される)が出版されたとき7歳。

中原中也:『汚れちまった悲しみに』が発表されたとき20~23歳(諸説ある)。なお30歳他界。

谷川俊太郎:『二十億光年の孤独』が発表されたとき21歳。

石川啄木:『あこがれ』が刊行されたとき19歳で、『一握の砂』が刊行されたとき24歳。なお26歳他界。

なお、ジャズ喫茶経営者であった村上春樹が明治神宮野球場におけるヤクルト対広島戦を観戦中に「小説でも書いてみるか」と思い立ったときが29歳。

マンガ家

※マンガ家のデビューは10代~20代が非常に多く、代表作もその年齢のものが多いため羅列するときりがないので抜粋して。

手塚治虫:『マアチャンの日記帳』(新聞に連載)でデビューしたとき18歳。『新寶島』が出版されたとき19歳。

萩尾 望都:『ルルとミミ』でデビューしたとき19歳(ただ、それ以前に別作でいくらかの賞を受賞している)。『ポーの一族』が始まったとき23歳。

※以下、特に近年世界的に人気のある作品マンガ作品の世に出たときの年齢を記す。

吾峠呼世晴:『過狩り狩り(かがりがり)』(『鬼滅の刃』の原型とされる)を描いたのは24歳の以前で、『鬼滅の刃』が連載開始のとき27歳。

藤本タツキ:10代のころデ商業誌デビューし、すでに何本かの連載作品を終えたのち、新連載作品として『チェンソーマン』を始めたとき27歳(翌年同作品により小学館漫画賞を受賞)。

諫山創:『進撃の巨人』が講談社のマガジングランプリで佳作となったとき20歳、同作品が連載開始のとき23歳。

芥見下々:『呪術廻戦』が連載開始のとき26歳。

実業家・会社員


諸沢莉乃: フランチャイズの一つ『カレーハウスCoCo壱番屋』の代表取締役社長に就任したとき22歳。

歴史上の人物

ジャンヌ・ダルク:百年戦争においてフランス軍の陣頭に立ち、英軍を撃破してオルレアンを奪還したとき17歳。なお19歳他界。

源義経(みなもとのよしつね):壇ノ浦の戦いで勝利し、平氏を滅したとき26歳。なお30歳他界。

高杉晋作:第二次長州征伐(四境戦争)において幕府軍との戦闘のため海軍総督に就任したとき27歳。なお、29歳他界。

作曲家・音楽

シューベルト(フランツ・シューベルト):『魔王』を作曲したとき18歳。なお、シューベルトは生前才能が認められず生涯無名のうえ赤貧の状態であったとされる。31歳他界。

モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト):現存最古の作曲は5歳。シェーンブルン宮殿おけるマリア・テレジア御前演奏のとき6歳。ローマ教皇より黄金拍車勲章を授与されたとき14歳。『ピアノソナタ第11番(トルコ行進曲)』を作曲したとき27歳(諸説ある)。35歳他界。

瀧 廉太郎:『荒城の月』が発表されたとき22歳。なお24歳他界。

吉村妃鞠:ヴァイオリニスト。第15回リピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際ヴァイオリンコンクールにグランプリ受賞したとき10歳。モントリオール国際 MINI VIOLIN 2023に優勝したとき12歳。

数学者、物理学者

アインシュタイン(アルベルト・アインシュタイン):『特殊相対性理論』を発表したとき26歳。なお『一般相対性理郎」』を発表したとき37歳。

ガロア(エヴァリスト・ガロア):その後の代数学の重要な基礎の一つとなる『ガロア理論(群論)』を構築したときが10代のころ。なお、19歳で他界(銃による決闘で死亡)。死後に成果が評価される。

アーベル(ニールス・ヘンリック・アーベル):『5次の一般方程式の解法の不可能性を証明する代数方程式に関する論文』を発表したとき22歳。楕円関数に関する業績をあげたのが20代のころ。なお26歳他界。

ノイマン(ジョン・フォン・ノイマン):初めての数学論文を発表したとき17歳。初めて『ゲーム理論』に触れた論文を発表したとき25歳。

ラマヌジャン(シュリニヴァーサ・ラマヌジャン):生涯3900ものの膨大な方程式や数的理論の成果を残した。業績を認められケンブリッジ大学に招聘されたとき27歳。なお、32歳で他界。

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