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36年の嘘~上海列車事故~第1章「ここに生徒たちはいない」

当考察シリーズの一覧はこちらです。


脳裏に浮かぶ光景

 1988年3月24日の現地時間午後2時19分(日本時間午後3時19分)、中国の上海近郊において南京から杭州へ向かっていた列車「311号列車」と長沙から上海へ向かっていた列車「208号列車」が正面衝突し、合計29名が死亡した。
 犠牲者29名の内訳は208次列車が1名に対して311次列車が28名。その28名は当時、中国へ修学旅行中だった私立高知学芸高校の男性教諭1名と高校1年生の男女27名。それが上海列車事故である。

最も多くの犠牲者を出した高知学芸高校1年D組(31期生)、この中から21名が亡くなった。

 16歳の春(※)に散った17名の少年と10名の少女たち。36年という年月を経ようとも変わることがないおもかげを秘め続けて生きてきた遺族や同級生、そして彼ら彼女らを知る人たちにとって上海列車事故は、終生癒えることなき心の傷としてありつづけているのだろう。
※犠牲者のうち男子生徒2名は3月下旬の誕生日を控えた15歳だった。

 この上海列車事故は犠牲者の遺族や同級生といった直接的な関係者から離れてしまえば著しい風化の感がある。しかしそれでも、「そういえば、あんなことがあったな」と、かすかに思い出す人は少なくないはずだ。
 しかし、そのような人々の果たしてどれだけの人たちが、上海列車事故を「正しく」理解しているだろうか?上海列車事故と聞いて脳裏に浮かぶ光景があるとすれば、それはどのようなものだろうか。

生徒たちはここにはいない

 多くの人が思い浮かべるのは、おそらくこの記事の冒頭に掲載した写真だろう。大破した車両が別の車両に乗り上げている。衝撃的な光景だ。そして多くの人は、ここに高知学芸高校の生徒たちが乗っていて亡くなったのだと思い込んでいるのではないだろうか。

 しかし、真実はそうではない。
 ここに生徒たちはいない。

 実はこの写真は、正面衝突した車両を撮ったものですらない。驚くべきことに、これは対向列車である208号列車のディーゼル機関車と、それに乗り上げた同列車の2両目なのだ。

別の位置から撮影した上海列車事故の現場写真(1988年3月24日)

 上の写真の中央、客車が別の一両の客車の覆いかぶさって押し潰している状態となっている。亡くなった28名の高知学芸高校の人たちは全員がこの潰された客車の中にいた。311号列車の前から3両目だった。
 上海列車事故は列車同士が正面衝突したものだったが、高知学芸高校の生徒たちは先頭車両ではなく中間車両にいて犠牲になったという事実は、実はあまり知られていないように思う。

 以下の図が上海列車事故における列車の損傷状況の概略だ。

上海列車事故の被害状況概略図

 この全体像を見て、あなたは何を感じるだろうか。何か違和感を覚えないだろうか。

 そして、その違和感こそが、36年間隠され続けてきた真実への入り口なのかもしれない。


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