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本当に誰もいじめてない?

いじめはダメだよ、って、小さい頃から言われる。


それでも、大小様々ないじめが生まれる中で

真面目な人ほど、「うん、わかった、いじめない。」と
人に優しく接するようになる。


それは外から見るととてもいいことで

周りはとても助けられることもあり

自分も感謝されて嬉しかったりして


でもだんだん、当の本人は…


辛くなってきて。


客観的にみて相手が悪くても、自責をしてしまったり
無理をして笑ってみたり
人の我儘を聞いて、自分が疲れてしまったり

する。




それって本当に、誰もいじめてない?




…自分のこといじめてない?





他人はいじめてはいけなくて
自分はいじめてもいいなんて
そんなはずはなく


でも「相手の気持ちを考えましょう」「人に優しくしましょう」ばかり強調される世の中で

その通りに生きてしまって。



もしかしたら、最初の最初は自分を大切にするなんて当たり前にできていたから、わざわざ言及する必要はなく、足りないところを言及されるのかもね、と思いつつ

人間は、意図が伝わらず受け取った言葉をそのまま信じてしまうこともあるんだから(むしろその方が多いのでは)

ちゃんと誤解がないように、「自分も他人も、いじめちゃダメだよ」って言えばいいのにね、と思ったり、


でも、意図が伝わらないことなんて生きてる中で往々にしてある中で、
伝える側の努力に依存することは現実的ではなく、

だったら、伝えられる側が努力できる、それに、自分も相手もいじめないことにも繋がる、
自分の心や感情の扱い方(もっというと意識のトレーニング方法)を教えた方が建設的なのにね、と思ったり。



ただ、現時点で心の扱い方はきっと、教えている側も知らないことが多く
そもそも、教えている側を教えている側も知らないことが多く
知らないからこそ言及されることもなく
(なんなら教育に関わる人以外もきっと知らない人が多く)

結局、小学校〜中学校〜高校〜大学まで学ぶことがなく
社会人になっても学ぶことがなく
死ぬまで学ぶことがなく…
という一生を送る人もきっといて。



でも、どこかの地点で
- 辛すぎて
- 上手くいかなすぎて
- 今までの在り方に疑問を感じて
- この延長線上では何も変わらないと感じて
- この世界の常識に疑問を感じて
- どうしても変えたいor叶えたいことがあって
- もっとこの世界の真理を知りたくて
- もっと自分を大切にしたくて
- もっと周りを大切にしたくて
- もっと世界を楽しみたくて
という動機で、違う方向を模索し始めた人が、「心の扱い方」や「意識の機能の仕方」というような領域に出会うことがある。




楽しいよ、と思う。
いや、辛いこととか見たくないこととか、あるけど

何かに反応するだけではなく
自分に、自分から、できることがあるというのは、
嬉しいし幸せなことだなと思う。




きっと世には色々あるけど

私はアバターコースのやり方が好きだなあ。


無理やり思い込ませるわけでもなく
無理やり自分を大切にするわけでもなく

なんか色々
研究して探求して、潜って潜って経験して、意図して、創って消して

そしたら自然と、自分も相手も、大切にしたくなるもの。


ツール(アバターコースでやる練習)を使うことを選べば、
誰にでもできて、簡単で、成果の出るもの。
成果が出ない、さえ、何かを表す成果であること。



🎁 <何が入ってるんだろうね。



※この内容は私個人の意見であって、スターズエッジインターナショナルの立場や意見、戦略を代弁するものではありません。
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