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ぽん太の東海道五十三次歩き旅(34)土山宿大野→三雲

こんにちは。ぽん太です。今日は5日間の歩き旅の最終日です。さてどこまで行けることやら。

旅日記

 9月29日。昨日は疲れがたまっていたのか熟睡できたため、今朝は気分がよい。旅館でお弁当用に大きなおにぎりをいただき、宿を8:30に出発。バスに乗って、大野の若王子前バス停で降り、9時過ぎ出発。

 歩いていると、「飛び出し注意」の人形(飛び出し坊や)の看板が目につく。そういえばテレビの何かの番組で、飛び出し坊やの発祥地は滋賀県だったことを思い出し、よくみるといろんなタイプの飛び出し坊やがおり、なかなか愉快だ。

飛び出し坊や
茶摘み姫バージョン
飛脚バージョン
甲賀忍者バージョン

 今在家で、久しぶりに立派な一里塚(今在家一里塚)を見る。このあたりもいい感じの古民家が残り、郷愁を誘う。

 途中、野洲川の雄大な流れにみとれ、遠くの鈴鹿山脈に今までの旅路の思いを馳せる。

今在家一里塚
今在家の街並み
野洲川と鈴鹿山脈

 すると、前方には古城山がみえてきた。かつて水口岡山城があった小山だ。水口宿は、豊臣秀吉の家臣中村一氏(かずうじ)がこの水口岡山城を築いた際、宿場町として整備された。そして10:30に水口宿東見附跡の門をくぐる。

 水口も古い古民家が多く残されており、なかなか趣のある町だ。また、「三筋の道」といって3本の道が1km並行にわたり並行に走っている。敵の侵入を防ぐ迷路の役割を果たしたとされ、東海道は、そのどまん中を走っている。

かつて水口岡山城があった古城山
水口宿東見附跡
看板に「桔梗屋文七」とある。どうやらクリーニング店のようだ。
レトロな香りが漂う水口の街並み
三筋の道。真ん中の道が東海道

 旧道沿いに、人目を引くキリスト教会がある。水口教会会堂とあり、設計者は関西学院近江兄弟社等で数々の建築を手がけたあのW.M.ヴォーリーズとある。 

水口教会


 11時過ぎ、水口城址に到着。水口城は、3代将軍徳川家光上洛の宿泊所として築かれたいわば、別荘のようなところだ。もともと天守もなく、現在は角櫓だけが残されており、現在は水口城資料館となっているが、残念ながら本日は休館日だ。

 やむなく歩を進めると、美冨久(みふく)酒造が現れる。旅館のご主人から昨晩試飲させていただいたお酒がここにあるので1本調達することに。実は水口は、昔から水が豊かで米作り・酒造りで栄えていたようで、多くの酒蔵があり、「近江の灘」とも呼ばれているとか。白ワインのような爽やかな味だったので、帰ってからのお楽しみ~

水口城址
百間長屋跡
美冨久(みふく)酒造
お酒を調達

 今日のお昼は旅館で用意していただいたおにぎりの予定であったが、途中農家レストラン「べじらいす」というお店を発見したので、入ることに(12:10-12:40)。おにぎりは帰りの新幹線の中でいただこう。夏野菜の冷製パスタを注文したが、野菜が新鮮でうまかった。

べじらいすの新鮮な夏野菜の冷製パスタ
もうコスモスが満開だ
コキアは少し色づき始める

 田園風景が広がるのどかな旧道を進み、ようやく13時頃、横田の渡し跡に到着。野洲川(旧:横田川)は冬の渇水期には土橋がかけられていたが、それ以外の時期は幕府の直轄下で舟渡しが行われていたようだ。大きな常夜燈もある。このあたりは東京から450kmを超え、ついに京都まで残すところ50kmを切ってしまった。

 そして13:40 JR三雲駅に到着。今日は横浜に戻らないといけないので、ここで歩き旅を切り上げ、JR草津線に乗って京都駅まで行く。今日も暑く汗だくなので、京都駅近くの銭湯(大正湯)でサッパリしてから新幹線に乗り込む。

田園風景広がる快適な旧道
泉一里塚
横田の渡し跡
ついに東京から450kmを踏破!
本日の終着地、JR三雲駅

おまけ

京都駅八条口から徒歩5分程度の大正湯

 今回、5日連続で歩いたので結構距離をかせげた(桑名→三雲:約70km)。ふくらはぎもかなり太くなっている。

 次回(10月)はいよいよ最終目的地京都三条大橋までの旅だ。無事にゴールインしたいものだ。

記録

  • 総歩数:25,624歩

  • 実際に歩いた距離:12.0km

  • 訪れた宿場:水口宿

  • 宿泊:なし

本日の行程

大野から三雲までのルート

広重の絵

水口宿

「水口 名物干瓢」  
かんぴょうは、水口の特産品。女性たちが、せっせとかんぴょう作りに精を出している姿を尻目に旅人が横切る様子を描いている。

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