私の筋肉年表
noteをご覧いただきありがとうございます。
少し前にSNSで見かけた皆さんの筋肉年表がめちゃくちゃ面白かったので、自分もこれまでのトレーニング歴、いや、生き様について振り返ってみました。
読んだからといってタメになる情報は一切のっていませんが、少しの刺激と暇つぶしにでもなれば幸いです。
第1部. 芽生え
1985年、京都府舞鶴市にうまれ幼少時からすくすくと太る。
海の幸が美味しい街だが肉ばかり食べ、口癖はポカリ、おやつはたっぷりのバターにスティック砂糖を大量にまぶしたトースト。カロリーを摂取することに関しては誰よりも幸先のいいスタートをきる。
足ではなく胸が痛いという謎の理由でマラソン大会を欠場するような少年だったが、Jリーグ開幕ということもあり小2からサッカーをはじめる。
練習ではそれなりに活躍するも試合には出れず、結局走るのが嫌で退部。正確には、練習をサボってスイカバーを食べていたら父親(花山薫似)に目撃され、彼の逆鱗に触れたため強制退部となった。
とても暑い日だったので仕方ない。
サッカーを辞めたおかげでその後も順調に太り、小5からは柔道着に袖を通すはめになる。この時点では腕立て伏せが1回もできなかった。
本当に見かけだけのエリート戦士だったが、柔道をはじめてから少しずつ筋力が伸びはじめ、いつの間にか腕立て伏せができるようになった(自己ベスト2回)。自分が少しずつ強くなっていることを自覚する。
地域のソフトボールチームにも参加し(強制)、4番キャッチャーといういかにもなポジションをこなすが、その割に肩は弱かった。
中学でも柔道部に入部。なぜか先輩はヤンキーでイケメンが多く、女子からモテるらしくない柔道部だったが、自分たちの代でその伝統に幕を下ろすことになる。残された道は強くなることしかなかった。
練習の締めに腕立て伏せ、それに加え補強と称した自重のスクワット、腹筋、道場にバーベルが転がっていたこともあり少しずつ筋トレに取り組み始める。
誕生日プレゼントにダンベルを要求したり、お年玉をはたいて少年ジャンプの後ろにのっていた身長が伸びる腹筋台(これがわかる人は同世代)を買ったりと、生活が筋肉に向きはじめたのがこの頃だった。
第2部. 出会い
ありがたいことに、高校には特待生の話をいただいたのでスポーツ推薦で進学。この時点で筋肉に青春を捧げる覚悟を決める。
京都府で上位校というだけあって、先輩だけでなく同期もすこぶる強かった。先輩に投げられるならまだしも、同期に投げられた日には悔しくてたまらない。なんとか差を埋めたいともがいていた時、道場の隅にひっそりと置かれたそれと出会う。
ベンチプレスだ。
“バーベルが胸についたら持ちあげるんだ、お尻は浮いちゃいけない”
どこからともなく声が聞こえた。
言われるがままにあげた初ベンチは75kg。同期の中では強かったが、他校の同学年に100kgあげるやつがいると聞かされ、そのまま最初の目標になった。
以降は独学でトレーニングメニューを作成。週3回のベンチプレスとスクワットやデッドリフト。綱登りや腹筋、背筋など、それなりにバランスよくやっていたが、この頃からベンチが特別好きだったように思う。
いつしか他の部員たちからもメニューがほしいと言われるようになり、手書きのルーズリーフを道場の壁に貼り出していた。この経験が現職に繋がっていると思うと感慨深い。
高1の終わりには無事100kgを達成し、高3で140kgあがるようになった頃にはあきらかにバーベルとの距離が縮まっていた。
とにかく部活と筋トレに明け暮れた高校生活だった。授業始めにグリッパー(握力)を100回握り、2時間目が終わると早弁、昼休みには食堂で2回目の昼食をとる。練習後は相変わらず腕立て伏せをし、その後に自主トレを1時間ほどおこなって帰宅。
後輩を巻き込んで腕立て伏せ1000回やったこともあれば、修学旅行で訪れたハワイのプールサイドでマシントレーニングに夢中になったりと、本当に筋肉質な青春だった。
減量とリバウンドを繰り返した影響もあったが、入部時80kg程度だった体重がピーク時は96kgと3年間でかなり大きくなった。ところが、体重は順調に増えたにもかかわらず身長はわずか3cmしか伸びず、180cm計画はおろか中間目標だった170cmにも届かないまま現在に至る。成長期のカロリー配分を完全に誤った高校生活となった。
高校柔道の最終的成績は、個人、団体ともに京都府ベスト4と残念ながら全国大会出場を逃す。この悔しさが、後にベンチプレス競技出場へと繋がる。
第3部. 衝撃
高校卒業後は柔道で推薦をいただけたこともあり大学に進学する予定だったが、色々あり直前で辞退。1年間のフリーター生活を送る。
19歳。痩せてイケメンになりたい。この時期はトレーニングもろくにしていなかったので、体重は現役時から20kgほど痩せていた。
世の中の不思議。痩せこそしたが、なぜかイケメンにはならなかった。
人生もトレーニングも迷走した時期だったが、スポーツに携わる仕事がしたい、トレーニングを専門的に学びたいと一念発起し、翌年トレーナーの専門学校へ進学。
これには、部活引退後にジムでトレーナーの指導を受けていたことが大きく影響しており、当時まだ日本に入ってきたばかりのスロートレーニングが自分の進路を決めたと言っても過言ではない。それほどに、専門的なトレーニングの衝撃と筋肉痛は凄まじかった。
進学後はバイト先を部屋から徒歩2分のフィットネスクラブにしたこともあり、学校のトレーニングルームと合わせていつでもトレーニングできる環境ができあがった。
授業の空きコマやバイトまでの時間、時には閉館後とトレーニングに明け暮れた。
学校で学んだことをジムで実践し、疑問がわけばバイト先や学校で調べる。学生の鏡のようなサイクルができあがり、入学から少し経った頃には1年のブランクを埋めることできた。
2年生になると、アメリカ帰りの先生がいらしたこともあり、世のブームより一足先にコア(体幹)という概念を教わる。
いわゆるコアトレーニングやファンクショナルトレーニングを叩き込まれ、自分自身もできないもんだから悔しくてやりこんだ。
四六時中ドローインを意識して過ごしたり、トレーニングはケーブルで回旋系の種目や姿勢保持のエクササイズを続け、いつの間にかバランスボールにも飛び乗れるようになった頃(これがコアかというのは置いといて)には案の定スリムになっていた。
そんな生活が続くわけもなく、ウエイトトレーニング解禁後はあれよあれよという間に身体が膨らみ、どうせならといけるところまでいってみるかと増量することにした。
80kgあたりまで落ちた体重は98kgまで増えたところでしばらく停滞、それなら今度は絞ろうかと20kgの減量。フィジカル的に慌ただしい生活を送る。
減量後は仕事でアメフトチームに所属したこともあり、再び増量へ。今度はあっさり100kgを超える。
リバウンドを制したおかげで、本当に結果がでてしまった。
第4部. 覚悟
社会人になってから3年ほど過ぎた頃、ついにS&Cコーチ*として活動するチャンスが巡ってきた。
*ざっくり言うと、スポーツチームでトレーニングを指導する仕事
元日本代表選手も在籍する社会人アメフトチーム。経験のない競技でトレーニングを教えるからには、まずは自分が選手より強くなろうと考えた。
出勤前、出勤後と、多い時は週10回のトレーニング。1日に腕立て伏せ2000回やったこともあれば、吐くまでスクワットした日もあった。
何もない自分にエピソードをつくることで周りから一目置かれたかったのが本音ではあるものの、量だけみれば確実に今よりやりこんでいたと思う。
高頻度トレーニングのおかげで扱える重量も順調に伸び、ベンチプレスのMAXが180kgを超えた辺りからSNSで猛者たちと交流するようになった。
誰が最初に200kgの大台に到達するか、160kgで何発やれるかなど、会えなくても常に競う相手がいたことが新鮮でトレーニングが楽しくて仕方なかった。
勢いで出場した2012年の大阪クラシックベンチからはじまり、2018年のジャパンクラシックパワーまで8試合に出場。※2023年時点
中でも、2016年のジャパンクラシックベンチで優勝し、世界大会に出場できたことはその後の人生を大きく変える出来事になった。
第5部. 日本一
2015年の近畿クラシックベンチから日本一を意識し、トレーニングだけでなく競技の“練習“という概念を持って取り組み始めた。
もう少し掘り下げると、“ベンチプレスで日本一になりたい”ではなく、自分自身が”日本一になるために最も可能性がある競技”としてベンチプレスを選んだ。幸いにも、ベンチプレスはトレーニングの中でも特に好きな種目だったので、目的と手段と体格がマッチした。
内容に強弱をつけ、1日2〜3時間の練習を週5日。もちろん他の種目もやっていたが、そのほとんどがベンチプレスを強くするために選んだものだった。
200kgから1年ほど停滞していた記録も伸びはじめ、初の全国大会をいい状態で迎えることができた。
2016年3月、高知県で開催れたジャパンクラシックベンチ。
結果は215kgを挙げ、120kg級で優勝。悲願の日本一になった。試合自体はまだ3戦目だったが、日本一になりたいという想いは学生時代から抱いていたので、十数年かけて目標を達成した気分だった。
最終試技はあげたら勝ち、落としたら負けと最高にシンプルな展開。なぜか根拠のない自信に満ち溢れていたが、実際にあげきった時は達成感より安堵感が強かったのを覚えている。
自分自身がようやく何者かになれたような感覚だった。
第6部. 世界大会とそれから
2ヶ月後、日本代表として初の海外での試合のため南アフリカへ。
約20時間のフライト、毎日ほぼ同じ食事(塩辛い)、標高1700mという高所のため序盤はコンディションを崩してしまったが、結果は6位入賞と棚ぼたでアジア記録を更新。
表彰台で日の丸を掲げることはできなかったが、表彰式の隅で代表ジャージを着て整列した自分は、そこそこいい顔をしていたんじゃないかと思う。
滞在期間、試合が終わった選手から目的が合宿に変わっていて、その日から強くなることに切り替えていた姿が衝撃的だった。
重量級は翌日帰国のため時間がなく、なんなら表彰式の5分後にはサファリパークに向けて出発。海外のライバル達(書きたいだけ)と写真とか撮りたかったのになぜそんなに急ぐのか。理由は、早くいかないとライオンが寝てしまうからとのことだった。
昼はひとりで出歩くな、夜は絶対に出歩くなと言われるようなデンジャラスな街。実際に壁に銃痕があったり、日本人がとても珍しいらしく街ゆく人たちから拝まれたりと、非日常を存分に味わって帰国。
日本代表として過ごしたこの期間は、本当に特別な時間になった。
帰国後はというと、自分でもびっくりするほど盛大にバーンアウトしてしまい、しばらくはまともなトレーニングができなかった。
全国大会にでたことがない、アスリートとして結果がだせなかったコンプレックスのような塊が、全国どころか世界大会まで経験できたことで綺麗さっぱりなくなった。そこに向けてひたすら突き進んだ結果、いざ到達すると次にどう動いたらいいのかわからなかった。
一時はプライベートを充実させるために舵を切るも、こちらは全く結果が出せなかった。やはり、強くなるしかない。
しばらくして新しい目標もでき、再始動することを決意。得意なベンチプレスで日本記録を更新すること、指導者なら脚も強くないといかんでしょとパワーリフティングにも挑戦することにした。
結果、2017年にベンチプレス120kg級の日本記録を更新し、その翌年にはパワーリフティングで日本一をとることができた。
運やタイミングはもちろんあったものの、日々試行錯誤しながら目標を達成することができたことは、競技者としても指導者としてもとても自信につながった。
終わりに
自分には“小学生の頃から体重100kg超えてました“とか、“はじめてのベンチで100kgあがりました”みたいな、化物じみたエピソードはない。
悔しいけど、自分がいわゆる怪物ではないことを自覚したところが真のスタートだったように思う。
近年どんどんレベルが高くなるパワーリフティングの世界で、どこまで戦えるかはわからないけれど、またベンチからでも試合にでたいなと思う今日この頃。
強くなるための試行錯誤は続く。
◆戦歴まとめ
番外編. ヒップホップと筋肉
トレーニングを頑張っていたら、ヒップホップのライブに出ることになった。
友達に誘われたわけではなく、昭和レコード主催、あのラッパーの般若さんからのオファーだった。ちなみに、普段ヒップホップを聞く習慣は全くなかった(すみません)
内容は、“ライブ中にベンチプレスをあげてほしい“というもの。ご本人もおっしゃていたが、正直意味がわからなかった。
担当することになったのは、名曲 “やってやる”。こちらの気持ちを見抜いた見事な選曲。全てお任せしますとのことだったので、曲中にどんどん重量をあげ最終的に200kgをあげることにした。
当日、ステージではスクワットやチンニング対決、ファンの皆さんがインストラクターにおいこまれる時間があったりと、とんでもなくパワフルでハードなライブが繰り広げられていた。ブースのドリンクはHALEOのプロテインだったし。
ヒップホップ界のそうそうたる面々が集まっていたが、その中でもシークレットゲストとして自分が登場した時のなんとも言えない空気は忘れられない。
そんな空気を払拭するかのように般若さんの軽快なトークが炸裂し、会場が笑いにつつまれる。
“やってやる…っ”
覚悟を決め、ベンチ台へと迎う。ここに座ると故郷に帰ったような気持ちになる。なんだ、いつもと同じじゃないか。
曲がスタートし、事前に確認していたタイミングで重量をあげていく。
60kg、100kg、140kg、160kg、180kg。準備は整った。
曲のアウトロ(楽曲の終わりの部分、専門用語を使いたかっただけで意味はここで知った)に合わせてぶちかましいてほしいとのリクエストがあったため、その時を待つ。
今だっっ。
…いったーーーっっっ!!
ゲストで登場、ぶちかます重量、盛り上がる会場、ミッション完了。
予定通り、最高のタイミングで200kgを挙上。会場は、この日最高の盛り上がりを見せた(主観)
ライブ後、片付けをしているとファンの方から(自分のファンではない)感動しましたとメッセージをいただいた。ベンチプレスの新たな可能性を感じるとともに、筋トレという概念が一皮むけた気がした。
筋肉で人の気持ちは動く。それを体感する素晴らしいエピソードだったが、それ以上に筋トレを頑張っていれば想像もできない経験ができることを学んだ。
筋トレは最高だ。
終わり。
オンライン・パーソナルトレーニング
オンライン・パーソナルトレーニングでは、“強くなりたい全てのひとをサポートする” をコンセプトに、
を、おこなっています。
“noteのプログラムより自分自身にカスタマイズされたプログラムがほしい“ ”まずはフォームを習得したい” など、お気軽にご相談ください。
詳細はこちらのWebページからご確認いただけます。
https://shinto-sc.studio.site
トレーニングに関するコラムの配信とプログラムの販売をおこなっています。パーソナルトレーニングほどカスタマイズしないかわりに、ライトなプログラムをたくさん更新していきたいと思っています。よろしくお願いします。