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『車輪の下』を読んで考える、就活軸の考え方(12/50)

ハンス・ギーベンラートは疑いもなく天分のある子どもだった。ほかの子にまじって走っていても、どんなに賢そうで、きわだっているか、それを見れば、もう十分だった。シュヴァルツヴァルトの小さい町にそんな人間が育ったことは例がなかった。ごく狭い世界の外に、目を放ったり、働きかけたりする人間がそこから出たことは、かつてなかった。

ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』の主人公、ハンス・ギーベンラートの紹介は、この文から始まります。小さな町の天才児として生まれたギーベンラートは、周囲の他の子どもと比較して群を抜いて賢く聡明でした。この小説は、町全体の期待を背負って神学校に入学したギーベンラートが成長とともに生き方に疑問を持ち、ついには神経衰弱に陥ってしまうというお話です。

なんだかほの暗い始まりになってしまいましたが、今回の本は、本日考えたいテーマである「就活軸の考え方」に大きく関係するのではないかと思い、あえて選ばせていただきました。 

9月に入り、学生の方にお会いする頻度も以前より増えてきましたが、まだ本選考が本格化する時期でないということもあり、就活軸が定まっていない方が多い印象を受けます。今の時期に就活軸が定まっていないこと自体はそこまで問題ではないと思っていますが、「何をしたいのかが分からない」という時に辛そうな顔をする方が多いこともあり、今回はこのテーマについて考察してみようと思います。

さて、「何をしたいのか分からない」現象は、そもそもなぜ起こるのか。これはつまり、最も分かっているはずの自分のことが分からない状況であり、少し不思議な気もするのですが、実はこれは当たり前なことだと思っています。就職活動とは、その後数十年にわたって影響の出る選択をえいやと決める行為ですが、就職活動における選択肢とは、あらゆる角度で変数のかかるほぼ無限のオプションであるわけで、冷静に考えると絶対的な正解なんて存在しないわけです。

この仮説を就職活動の前提とした時、その後の人生に大きな比重を占めるのはいかなる決定を下すかではなく、いかに決定を下すかではないかと、個人的に思っています。

『車輪の下』の中で、ギーベンラートは周りの大人に従順な努力家として描かれています。神学校合格が絶対的な正解だと周囲から言われ、受験のために趣味の魚釣りを一切やめました。神学校に合格した後には、今度は学校に入ってからトップになれるようにと、大人に言われるままに休暇中も勉強を続けます。ギーベンラートは概ね周囲の大人の希望通りに育ちますが、結果的に人生に疑問を持ち、最終的に身を持ち崩します。

本書で取り上げられているのは少年時代における周囲からの圧迫でしたが、学生の皆さんも、就職活動において同じような場面に直面したことがあるのではないでしょうか。それは例えば親からの期待だったり、インターネットやSNS上に溢れている誰かのサクセス・ストーリーだったり、何者かにならねばならないという自分自身に対する焦りだったりするのではないかと思います。私は、それが誰であれ、自分以外の他者の評価軸を自分にあてはめすぎることは危険だと思っています。それこそ、人生に疑問を持ち、身を持ち崩してしまうほどに。

大切なことは、自分以外の誰かの評価軸を自分に当て嵌めすぎず、納得のいく自分軸を作り、判断することです。

納得のいく自分軸を作り、判断する。そんなことは分かっている、それをするのが難しいんじゃないか!という声が聞こえてきそうですが、それでは、そのために今すべきことは一体何でしょうか。

ありきたりな結論にはなりますが、まずは、沢山の人事担当者や先輩たちと心ゆくまでディスカッションをしましょう。今楽しいことは何で、苦しいことは何か。進路を選ぶ時に、どんなことを考えたか。今はともかく、今後判断を行うためのサンプル数を増やしていくことが大切です。一定数の人と話すと、自分にはどんな考え方が合って、どんな考え方が合わないかの傾向が見えてきますので、そうなった時が就活軸の絞り込みどきです。

意識しなくとも目に入ってくる情報のみで早急に結論を出さず、沢山の人と話した上で良いなと思う箇所を取入れ、オリジナルのものを作ってゆきましょう。今仮に何をしたいのかが分からずとも、焦らなくて大丈夫です。

ごきげんよう、ハンス。正しい道を離れぬように、主がおまえを祝福し護りたまわんことを!アーメン

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