母親たちの孤独、孤立
もう20年以上も前。父の運営する「子どもの広場」に、ちょっと様子の違う幼い兄弟が遊びに来た。二人とも、大きなビニール袋いっぱいにポテトチップスを入れている。「それは何?」と尋ねると、「おべんとう」と答える。「お母さんは?」と尋ねると、「パチンコ」。
どうやら、その母親は育児放棄の状態にあるらしかった。パチンコ屋を覗くと、かつては男性ばかりだったはずなのに、4割くらいが女性。「何かとてつもないことが起きている」と感じた父は、母と協力して育児サークルを始めた。赤ちゃんや幼児を育てているお母さんたちが集える場所づくり。
それで明らかになったのは、母親たちの孤独、孤立。ある母親のケース。夫は朝早く出勤し、帰宅は深夜。赤ちゃんが生まれて1か月、誰とも話さず、声も出さずにいたら、声が出なくなってしまった。結婚して見知らぬ土地に移り、親戚も友達もおらず、孤独、孤立。夫は帰ってこず。
赤ちゃんや幼児を育てている母親が集える育児サークルを始めたら、遠方から通う人も。特に何かするわけではない。コーヒーを出して、母親同士がおしゃべりするだけの空間。しかしそれが何より、母親たちの孤独を癒すことにつながったらしい。
私の母は男兄弟年子3人を育てたというので母親たちから絶大の信頼があり、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言ってもらえるだけで、安心できた様子。母親たちがおしゃべりする中、父は得意のハーモニカで赤ちゃんや幼児の視線と注意をかっさらい、母親たちは思う存分おしゃべり。
大阪で最初の育児サークルは、その必要性が認知され、その後、公共の育児支援室が数多くできた。日本でも先駆けだったのではないかと思う。しかし22年前にはまだ、母親たちが孤立し、孤独に苦しんでいることが十分認知されていなかったように思う。
父母が育児サークルを開始してからしばらくして、全国で、母親がパチンコをしている間、子どもが車中で熱中症になり死亡した、という事件が相次いだ。世間は親としての責任を放棄した!なんという母親だ!と非難囂々だった。しかし父の見立ては違っていた。母親が孤独にさいなまれ、孤立している、と。
当時、子育ては母親に全責任が押し付けられていた。父親である夫は、バブル後の余波が続き、早朝に出勤して夜中に帰ってくる毎日。育児を助けるどころではない。結婚して移ってきた土地には、親戚も友達もいない。ただひたすら、赤ちゃんと二人ぼっち。赤ちゃんは泣いてばかり。思うに任せぬ育児。
見知らぬ土地で知り合いを作るのは難しい。しかも出産ぎりぎりまで働いていた場合、地元で知り合いを作る機会もない。出産後、育児を開始すると、誰にも会わず、誰とも話さず、言葉の話せない赤ちゃんとただ二人だけ。それまでの生活とあまりに違い過ぎる。ホルモンバランスも大きく変化。
しかも新生児は3時間おきに授乳することが求められる。出産前は「3時間おきなら、途切れ途切れでも眠れるだろう」と思ったら、全然眠れない。赤ちゃんは哺乳瓶を吸うのが最初ヘタで、吸うのに疲れて眠ってしまう。ゲップさせるのもうまくいかない。オムツは頻繁に濡れる。産着に汚れがついたり。
そうこうしているうちに、次の授乳の時間に。「え?私、いつ眠ればいいの?」状態。睡眠欠乏がはなはだしく、肉体的にも精神的にもヘトヘトになる。しかし赤ちゃんが息をしているか心配。泣いていたら寝てよ、と思い、寝ると「息してる?」と心配になり、呼吸を確認し。眠ることができなくなる。
従来、出産するとホルモンバランスが大きく崩れるから、という説明がされていたけれど、どうやら、新生児期の3時間おきの授乳で、極端な睡眠欠乏に陥る母親が少なくない。しかも孤独、孤立しているために、自分の育児に自信が持てず、精神的に追い詰められやすい。
育児サークルは、コーヒーを出してお母さんたちがおしゃべりしている間、父が赤ちゃんや幼児の注意を引きつけ、遊んでやる、母がお母さんたちの愚痴や話を聞いて「だいじょうぶ」という、ただそれだけ。けれど、それが孤独を癒し、不安を和らげる重要なきっかけになっていたらしい。
厚木市で、また痛ましいことが起きた。母親を責める意見が非常に多い様子。詳しいことは私にはわからない。しかし、その母親は孤独、孤立していなかったのだろうか。
母親は、子どもに無償の愛、無限の愛を注げる存在であることを求められる、そんな世間からの風圧を、男である私も感じる。しかし、母親だって人間。休まなければ体力も気力も失う。孤独にさいなまれたら、精神的に不安定になって当然。休憩だってしたいし、遊びだってしたい。人間は、人間なのだから。
子育てで非常に重要なのは、ゆとり、余裕だと考えている。ゆとりも余裕も一切ない状態で子育てすると、うまくいかなくなる。なぜか。笑顔がなくなるから。笑顔を失ったとき、思考は柔軟性を失い、感情は起伏を失い、鬱状態に陥る。自暴自棄になってしまう。
育児で大切なこと。笑顔をバロメーターにすること。母親が笑顔でいられなくなっているのだとしたら、休んだり、友達と話したり、遊んだりする余裕を失っている。その余裕をすべて遮断すると、人間は笑顔を失い、正常でいられなくなる。人間は、そうした生き物。母親だけ神様になれるわけではない。
もちろん、母親に余裕、ゆとりを確保するには、笑顔を保つには、夫である男性の力が必要。しかし夫婦だけでも余裕を失うことが多い。だから、親族やご近所の力も借りることも大切。いちばんしんどいところを抜ければ、育児は格段に楽になる。
しかし、楽になるまでに心を殺してしまったら、回復には時間がかかる。そこまで追い詰めてはいけない。拷問の中で、「眠らせない」のは最もつらく、どんな痛い拷問に耐えたものでも、これだけは誰も耐えることができないのだという。そんな睡眠欠乏に陥ったら、まともではいられない。
だから、新生児の授乳期は、母親が確実に睡眠をとれるように、体制を組む必要がある。そうした体制を、厚木市の事件では、とることができたのだろうか。どうやったらその母親に、そうした体制を用意することができたのだろうか。
人間は、笑顔でいられないほどのつらい状況に置かれたら、頑張りたくても頑張れない。しかし、少なからずの母親が笑顔でいられないほどの環境で子育てを強いられている。それをなんとかできないか。できないのはなぜなのか。考え続け、行動していきたい。