イスラエルの人たちに考え直してもらう論理

貧富の格差が拡大し、生活が苦しくなっている人が増えていると指摘しても、指導層(あるいは指導層を支持する人たち)からはせせら笑う空気を感じていた。ツイッターでも「生活を改善したいなら努力したらいい」「努力と能力が足りないから貧しい」と笑い、切り捨てる言説が多かった。

指導層がそんな考えである間は、社会政策が変わるはずがない。いったいどうやったら指導層の考えを変えることができるのか?それを考えた末、次の記事を2022年10月9日に書いた。この記事は、官僚や政治家も読むMLにぶち込んだ。

「誰もとりこぼさない覚悟」はなぜ必要なのか
https://note.com/shinshinohara/n/n53d98d4625f5

そこから社会の雰囲気がガラリと変わり出したように思う。岸田氏が首相になったのはその前年の2021年10月だが、当初、貧富の格差を是正しようと「所得倍増」と訴えていたはずなのに、新自由主義派にどうやら押し切られたらしく、「資本所得倍増」へと意味が逆転してしまった。むしろ格差拡大政策。

2022年春になると、ツイッターでも新自由主義派の人たちの勝ち誇ったような書き込みが目立った。私が貧富の格差を問題視しても「悔しければ自分も投資して儲ければいい」「努力と勉強が足りない」と、貧しさに苦しむ人をせせら笑うような声が多かった。

どうやらこうした連中に岸田氏は押し切られたな、と私は感じ取った。この流れをどうにかできないか、と考え、2022年10月に上述の記事を書いた。そしたら奇妙なことに、ツイッターでも「貧乏人は努力が足りぬ」「貧乏人は貧乏人のまま苦しんでろ」みたいな意見が急に下火になった。

政府も、格差是正のために本腰を入れる空気になった。少なくとも、最低賃金を押し上げようという動きが加速した。新自由主義的な発言が多かった新浪氏が、いったいどんな宗旨替えをしたのか、賃金を上げねばならぬ、ということを言い出し、日本社会の雰囲気がガラリと変わった。

私の記事がどこまで効果があったのか分からない。ただ、貧富の格差をこのまま放置すれば、自分たち富裕層の子どもも無事では済まないのだ、ということが、私の記事を読んでビビった感を私は受けている。真剣に是正しなければ自分たちの身も危ういと感じたのではないか。

もし私の推測が正しいのだとすれば、富裕層をはじめとする指導者層は、当初、タカをくくっていたのだろう。貧乏人はカネが欲しくて結局は金持ちの言うことを聞くだろう、治安は警察に守ってもらえばいいし、カネと権力でどうにでもなる、と考えていたフシがある。

しかし、私が記事で示したように、昔にも女中が富裕層の赤ちゃんを床にたたきつけて殺そうとした事件があった。貧富の格差が日本以上のアメリカではベビーシッターによる赤ちゃんへの虐待が問題視されていた。女中やベビーシッターは貧困層出身者が多い。富裕層の蔑む目が、そうした形で報復される。

また、あまりにも貧しく苦しい生活を強いられれば、刑務所での生活の方が楽に思える人が増えてくる。そうした人が犯罪を思いとどまる可能性は低くなる。富裕層はカネの力でいくらでも自分たちの身を守れると考えていたようだが、そうはいかないことを記事で示した。

結局、貧富の格差を放置することは、富裕層の人たちの生命や生活を脅かすことになるよ、自らそんな事態を招いていいの?というメッセージが、富裕層や指導層にもっとも強く響いたようだ。そこから日本社会は格差是正に動き出したように感じている。まあ、物価高の方が収入増よりも早いのが困るが。

私は、このリクツをイスラエルの人たちに使えないか、と考えた。イスラエルの人たちは、自分たちの政治力と資金力があれば、世界の世論をいくらでも操作できると思っているのかもしれない。だからガザ地区にあれだけの攻撃をしても、指導層はためらいを感じないでいるのだろう。

しかし、アメリカやヨーロッパの「現在の」指導層に、イスラエルの政治力と資金力で尻尾を振らせることはできるかもしれないが、庶民はそうはいかない。イスラエルが攻撃を始めるきっかけについては承知していても、ガザへの攻撃はやり過ぎだ、という世論が庶民の中に広がっている。

その世論が静かにしみわたっていった時、欧米のリーダーといえど、その世論を無視できなくなっていく時期が現れるだろう。また、「イスラエスはあまりにもひどい」という意見が世論の大勢を占め始めた時、いくら世論誘導しようとしても、イスラエルのあらさがしをする動きを止められなくなるだろう。

そのとき、イスラエルは知らぬ間に世界から孤立する形になりかねない。第二のホロコーストが起きる条件がそろってしまうかもしれない。ガザへの攻撃は、自らその条件を整えつつあるように思う。イスラエルの人々は、本当にそれでいいのか?

ガザの人々を滅ぼそうとする行為は、翻って「そんな残虐な人たちこそが滅んでもよいのではないか」という世論を醸成する。すでにその空気が強まってきている。このことに、イスラエルの人々はどれだけ気づいているだろうか。自分に危機が迫りつつあることに、それを自ら招いていることに。

ガザへの攻撃を止めることは、ひいてはイスラエルの人々を危険にさらさない道にもなるように思う。落としどころを真剣に考え、ガザの人たちを追い詰めないようにすることが、ひいては自らを追い詰めずに済ませる道にもなるように思う。どうか、そのことをよく考えていただきたい。

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