農家の減少とモータリゼーション

郵便局まで約1キロほどの道のりを歩いていたら、「すっかりクルマに慣れちまってるなあ」と思う。昔、奈良の祖父母の家に逗留すると、3キロほど離れたスーパーにまで歩いて買い物に行っていた。今やモータリゼーションでクルマでの買い物当たり前。それだけ石油が安かったのだろう。しかし。

どうやら石油が、再び安値安定になることは望み薄の様子。地球温暖化対策にどの国も本腰を入れ出し、石油をはじめとする化石燃料に投資しなくなってる。将来性の薄いエネルギーだとして。このため、新しく油田を掘ったり、古くなった設備を更新するお金が工面しにくくなっている。

石油産出国も、変に掘りすぎて安値になってしまうことを考えると、下手に設備更新にお金がかけられない。すでに老朽化している油田は、無理やり吸い出す(あるいは二酸化炭素や水を注入して無理やり押し出す)ことをしない限り、石油が取れなくなってきている様子。設備更新しなければ、採れなくなる。

投資家が、あるいは石油産出国が石油採掘にお金を投資しなくなった。このことが石油産出量を増やすことを難しくしている。あれだけもてはやされたはずのアメリカのシェールオイルも、将来性が不安として投資されなくなり、規模が縮小しているという。今、石油の値段が高くても将来が不安だという。

結果、石油の需要はますます高まっているのに、石油採掘は盛り上がらない。それどころか、石油をはじめとする化石燃料は温暖化対策で嫌われるエネルギーだということで縮小が見込まれ、産出量が増やされるメドが立たない。これにウクライナ危機も被さり、どうしようもない。

モータリゼーション(自家用車を乗り回す社会)を前提にして作り上げれてきた流通小売のシステムは、やがて大きく姿を変えざるを得ないかも。クルマで買い物するのを諦め、徒歩や自転車、バスで買い物しようとする人が増えてくるかもしれない。高齢化で体力を失いつつある世代交代のこの時期に。

田舎では、ついに高齢者も高齢になりすぎ、次々に姿を消している。田舎の人口を維持してきた高齢者がいなくなったとき、田舎は人がいなくなる。人がいない地域では、病院も学校もスーパーもガソリンスタンドも経営が成り立たなくなり、撤退する。田舎の生活インフラが絶滅する恐れ。

生活インフラが絶滅すれば、田舎の農業も維持が困難になる恐れ。住民のいないところで寂しく農業を続けざるを得ない。スーパーも病院も学校もないのでは生活ができない。やむなく農家(農業従事者)も都会に住み、農地へ「通勤」するスタイルになるのかもしれない。

しかしそうなると、ど田舎の道を通るのはわずかばかりの人数の農業従事者だけ、ということになる。利用者の少ない道路を維持することは、行政としても困難。農業は大して稼ぎのない産業。それを維持するために道路の整備費をかける動機が働きにくい。しかも。

ごくわずかしかいない農業従事者では、選挙になっても大した票数にならない。政治家は農家の声に耳を傾けにくくなるだろう。非農家の市民も、わずかな人数の農家のために高い道路整備費を負担するのを渋りかねない。となると、どんどん薮だらけ、落石だらけの道になり、農地にたどり着けなくなるかも。

しかも農業用の水路は長大で、細心の注意を払って維持管理する必要がある。しかし都会に住んでる農家では、通勤の時間しか農地にいないから、滞在時間内に水路で何が進行しているのか感じ取ることが難しくなる。自分の農地の世話だけで精一杯だろう。わずかな人数の農業従事者しかしないのだから。

すると、水路の故障に気づきにくくなる恐れがある。気づいたときには修理が難しく、大規模補修が必要になるかもしれない。その予算を、わずかばかりしかいない農家のために都会の市民が許すかどうか、わからない。うっかりすると修復不可能となり、結果的に広大な農地が事実上放棄となるかも。

いま、農業は人口がますます減り、わずかな人数で大規模に経営せざるを得ない状況になっている。しかし人数が減ったからこそ、政治的発言力が低下し、ますます農業が顧みられなくなり、忘れ去られ、広大な農地を放棄せざるを得なくなる時代が来るかもしれない。そんな兆候がすでに見え隠れ。

農家の人口減少とモータリゼーションの行方は、日本の食料安全保障に深くリンクすることになりかねない。食料安全保障は、様々な要素が絡まり合い、影響し合う。そのことを忘れるわけにいかないだろう。

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