挨拶はセキュリティ問題

日本はかつて礼儀正しい国、と言われてきたけど、礼儀を重荷に感じ、面倒くさがる人が増えたな、と思う。多分、礼儀を「正義」と押しつけられることに反発しているのだろう。しかし一つ忘れている視点があるように思う。礼儀は一種のセキュリティ、安全保障なのだということを。
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アメリカでは、同じエレベーターに乗ると必ず挨拶し、何なら軽く会話をするという。日本より礼儀正しいやん!
ではなぜそこまでするかというと、後ろからズドンとやられないため。そんなセキュリティ面もある、と、留学経験者談。自分は敵ではない、あなたもそうですよね?という確認が挨拶。

犬を連れて散歩すると、同種である犬を見かけたら、必ずと言ってよいほど反応する。にらみ合ったりうなりあったり、あるいはシッポ振って近づこうとしたり。なんらかの反応をせずにはいられない。これはネコもそう。同種同士だと相手を気にせずにはいられない。これは本能的なもの。

なのにそうした本能を押し殺して、挨拶せずに相手を無視するとすれば、それは所を変えると「宣戦布告」ととられかねない。無視したのだから、お前を生き物として認めることも無視していいよね?という報復を受けたとしても、不思議ではない。

挨拶を面倒くさがれるのは、日本の治安のよさに依存している面があるように思う。また、日本は人口が密集していて、知り合いじゃない人間の方が大多数。そんな生活空間に身を置いていると、存在を無視することに慣れっこになってしまうのかもしれない。しかし。

人間はやはり生物であり、同種の存在を気にしないでいられない生き物だと思う。そして治安が崩れれば、「無視」という恐るべき行為は、冷酷さで報いられるリスクがあることを忘れてはいけないだろう。

マザー・テレサは、愛情の逆の意味の言葉は、憎しみではなく「無関心」だと言ったという。人間は、無関心を最も冷酷な罰と受けとめる生き物。葬式と火事以外は関係しようとしない「村八分」が最も重い罰とされたのには、理由がある。しかし。

挨拶をしない、完全無視というのは、村八分どころか村十部とも言える態度。その冷酷さに対して残忍さで報いられるリスクを、日本人は忘れている。とりあえず、海外の長期滞在ででそれをやったら危険極まりない。

私は、挨拶とは、生物学的冷酷さ、残忍さが牙をむかないようにするためのセキュリティなのだと考えている。しかし、こんな本能的な攻撃性の出現まで考えねばならないほど、日本が礼儀を失っているとしたら、危ないなあ、と思う。

動画の若者の言う通り、常識は変わるもの。しかし、人間が生物であることからは逃れられない。本能を逆なでする行為をすればどんな報いを受けるかわからない。そうした生物学的条件まで変えられると思ったら、大間違いだと思う。

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