創造性は凡人でも発揮できる

3冊目の本(ひらめかない人のためのイノベーションの技法)を書くことにしたのは、当時、いけ好かん記事が横行してたから。創造的な仕事ができるのは一部の天才に限られる、だから天才にだけたっぷりと報酬を与え、そうでない人間は低賃金にあえぐがいい、みたいな記事。x.gd/G6TT0

そうした記事には一つの倒錯があった。天才を高く評価しているフリして、「金持ちは創造性豊かな天才だからお金持ちになったのだ」という倒錯した論理を植え付けようとしてる裏の意図がミエミエだった。金持ちを天才になぞらえ、貧乏人を愚か者と決めつけていた。私はそれがどうしても許せなかった。

その論理を打破するには、まず、凡人であっても創造性を発揮できることを示さねばならない。創造性とは何なのか?それを凡人が発揮するにはどんなコツがあるのか?それを実現する環境とはどんなものか?を明らかにする必要があった。

この本は、他ならぬ凡人である私が、なんとかして創造性を発揮できるようになりたい、と四苦八苦して見つけてきたノウハウをかき集めて書いたもの。天才でなくても、この内の1つでも実践できれば、天才に肉薄する創造性を発揮できると考えている。そうしたコツを30以上挙げた。

時期を同じくして、創造性を引き出す職場環境の研究が進んできて、創造性は天才だけがなしうるもの、というスカポンタンな記事は影を潜めてきた。ようやく、人々の創造性を引き出す技術について、認知が広がってきたのだとすると、嬉しい。

私は、能力は生まれ持って決まっているのだ、とする考え方が大キライ。もしそんな考え方で指導されていたら、凡人以下だった子どもの頃の私は見捨てられ、能力を開発できずに終わっただろう。可能性を見捨てずに接してくれた大人たちがいたから、私は少しずつ能力を広げられたのだと思う。

子どもにどんな能力が潜んでいるかを診断する技術はまだ存在していない。しかも、どうしたら潜在的な能力を引き出せるのかという知見もまだ十分に把握できていない。ようやく、コーチングという可能性のある指導法が広がりつつあるという未熟な段階。

育てる技術も、素質を見極める技術も知らないくせに「人の能力は生まれつき決まっている」と決めつけ、育てることを放棄する怠慢を私は許せない。素質を見極める技術を人類はまだ持ち合わせてなどいないが、能力が育つ技術は少しずつ明らかになり始めている。それを忘れてはならない。

あえて「育てる」と書いたが、本当は「育つ」と表現するのが適切。人間は苗一つ育てることはできない。育つ力は苗そのものが持つ力。人間は、苗に適切な光や水、肥料、土のフカフカさなど、環境を用意できるだけ。あとは育つのを祈ることができるのみ。

そう、そもそも苗は自ら育つ力をもつ。これは人間も同じ。創造性はそもそも備わっている。しかしそれを発揮することを邪魔する何かがある。それは案外、良かれと思って「育てる」努力をするから育たなくなるという矛盾だったりする。

「助長」というエピソードかある。隣の畑より育ちの悪い苗を見て、男は自分の畑の苗を上に引っ張り、育つのを助けようとした。しかしそのために根が切れ、翌日には全部しおれたという話。私達はしばしば、「助長」して意欲の根を切っている。育てようとして育たなくしている。

育てるのではなく育つ。育つ力は苗が、子どもが備える力。周囲ができるのは、育つのに適した環境を整えること。その後は祈るのみ。
でも、面白いことに、苗は育つ力を備えている。人間は成長する力を備えている。適切な環境さえ整えれば、人は育つ。

その「仮説」に基づき、凡人でも創造性を発揮できる事例、コツをかき集め、列挙したのが冒頭の「ひらめかない人のためのイノベーションの技法」。創造性は天才でなくても発揮できる。そうした事例を1つでも多く日本で増やし、この国を豊かにしていただきたいと祈っている。

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