ユマニチュードと「間合い」

日本ユマニチュード学会、1日目終了。今年はなんだか「人に会いに行く」年だなあ。以前から会いたくて仕方なかったのが本田美和子さんとイヴ・ジネストさん。クローズアップ現代でユマニチュード特集を見てから、ある意味虜になった。

私の最大の関心事は子育てなんだけど、子育て本を読んでもしっくりこない本がほとんど。親はこうすべき、教師はああすべき、指導者はこうあらねば・・・「べき・ねば」で凝り固まり、その通りにしてもうまくいかないことがほとんど(うまくいくときもあるけど)。なんでだろう?と思っていた。

テレビでユマニチュードを知って、もしや?と思い、本を読んでみたらドンピシャ!これは関係性の技術体系だ!子育てに通じるというか、子育てそのものやないか!
と思っていたら、ユマニチュードが理想とする接し方は「かわいい赤ちゃんに対して本能的にとってしまう行動」だと。私も理想と考えてた!

ただ、高齢者ならではの問題がある。認知症になった高齢者は、トイレットペーパーの芯を両目に当てた感じなくらいに視野が狭いという。両手を筒にして目に当て、擬似的に体験してみたけど、隣の人に声を掛けられても全然見えない。体全体をぐるりと回さない限り、相手を視認できない。こりゃ大変。

隣の人と一分間、黒目を黙って見続けるという体験。やってみて思ったけど、こんな体験生まれて初めて。「目を見て話せ」というけど、見てないもんなんだなあ。すごく照れくさい。目を逸らしたくなる。照れ隠しになんか話したくなる。一分間の間、ものすごくいろんなことを考え、感じた。

私の隣は、当然ながら見知らぬ方。私と同じ年頃の女性なんだけど、最初の30秒は、私が見知らぬ男性であることへの不安、恐怖、戸惑いが目の色に現れているのを感じた。それが過ぎてようやく、慣れてきたのか、心を開き始めた感じを受けた。

講師によると、認知機能の落ちた高齢者は、それと同じくらいに相手を認識し、心を許せるようになるのに時間がかかるのだという。まだ警戒心が解けないうちに「体拭きますねー」なんてやられたら、「こっちの了承も得ずに何すんねん!」って思いを抱くだろう、と想像できた。

ユマニチュードは、ケアする側が何をするか、という技術ではない。相手がどういう状態なのか、観察から察知する。その情報を勘案して接し方を変え、関係性を楽しいものに変えていく技術。中心は自分ではない。相手を主人にすることでもない。

相手と私の関係性を、ダンスを踊るがごとく良好なものに変えていく共同作業。こちらのダンスの技術が高いからといって相手にまるで合わせなければ、ダンスはうまく踊れない。相手に合わせてダンスの技術なんかまるでないフリをするのも踊りとして成立しない。相手の踏みだせるステップに合わせ、

こちらもステップを踏む。すると相手はもう少し踏み込んで前に出ようとする。それに合わせてこちらもステップを踏む。そうした共同作業の中で、息のあったダンスが踊れる。ユマニチュードは、互いの間にある関係性を、相手とともに構築していこうという技術なのだろう。

ところで、ユマニチュードは多くの人達から大きな反応をもらう割に、なかなか普及していかないという悩みも吐露される発表も。そこで私は質問した。「中国や韓国の人と仲良くなると、それまで距離があったのが、肩を組まんばかりに距離がなくなる。でも、

日本人は、どれだけ親しくなってもこの距離に入ってはいけないというパーソナルスペースがある。その距離を詰めようとするのはためらわれるし、照れも出る。恐らく認知症の高齢者に対しても、その遠慮が働くことが、ユマニチュードに踏み込む勇気を挫けさせるのではないか」と聞いてみた。

発表者の方は、それはあると認めた上で、どうやってその照れというか、踏み込めない距離を解消できるのか、悩んでおられるらしい。
ユマニチュード学会の職員の方が、興味深い話を聞かせてくれた。その方は外国人相手の仕事を長らくやられて、笑顔で相手の目を見つめるのが習い性になっていた。

で、同じように日本人男性に相手の目を見てニコッと笑うと、「オレにほれてるな」と勘違いする人が多いのだという。わー・・・ありそう。
欧米人男性に同じように接しても、オレにほれてるななんて勘違いする人は現れないという。看護師の方も、変に優しくすると恋愛感情持たれるのが困るという。

どうも、日本人は家族であってもスキンシップをとることがなく、一定の距離をとるのがあまりに普通だし、相手の目を見てニコッと笑うということさえ他人同士だとまずやらないものだから、こうした「トラブル」が起きやすいのかもしれない。日本人の間合い、パーソナルスペースはなかなか厄介な問題。

でもなんでだろう?ジネストさん相手だと、みんな嬉しそうにハグする。ジネストさんは「愛してます」とまで言うのだけど、女性の側も、恋愛ではないとキチンとわかった上で、心開き、楽しそうにハグする。これは一体なんだろう?

ナイチンゲールは患者に献身的に接し、恐らくユマニチュードに近いアプローチをしていたと思われる。兵士の多くが「ランプの貴婦人」と呼んで敬慕の念を抱いたけど、どうも「オレにほれてるやろ」と勘違いする兵士は現れていないらしい。なぜなのだろう?欧米と日本の違い?いや、そうではなさそう。

この点は、まだ私には言語化が難しそう。ユマニチュード的アプローチをしても惚れてると勘違いされずに済む、少なくともそうした無遠慮な反応をさせずに済む、しかし心を開かせるアプローチは、ジネストさんを見てると、可能なのだろう。それが何なのか、今後注視しておきたい。

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