大店法廃止が地域社会の維持を困難にし、少子化を招き、食料安全保障を危うくする?
近年、日本ではPTAや子ども会、あるいは自治会なども成立しづらくなっていると言われる。保護司だとか民生委員などもなり手がないという。みんな忙しく、とてもじゃないけれど地域のそうしたボランティア的なものはやっていられなくなった。その原因は、「大店法」にあるように思う。
昔、どこの地域にも元気な商店街があったころは、自営業の人が多かった。自営業の人は地域経済と密接にかかわっているので、PTAや子ども会、あるいは自治会にも積極的に関わった。地域への貢献はそのまま店の売り上げに直結するのだから。
ところが大店法の規制が失われ、超巨大な商業施設が全国で生まれるようになると、小規模な店舗が軒を連ねる商店街は、どこの地域でも潰れてしまうことになった。商店街の商品は定価で売られていることが多かったし、品ぞろえも貧弱だったし、駐車場もなく、不便だった。
これに対して大規模店舗は大型の駐車場を備え、モータリゼーションの波にも乗って、たくさんのお客さんが集まるようになった。品ぞろえも豊富、大量仕入れできるから値段も安い。多くの人が商店街で買い物をするのをやめ、大型店舗に通うように。
すると、多くの自営業が成り立たなくなってしまった。「3年B組金八先生」の第二シリーズぐらいまで商店街も元気だったし、親の跡を継いで店を切り盛りする子どもの話もあったように思う。サラリーマンになる以外の生きる道があったのに、大店法が失われてからサラリーマンになるしか道がなくなった。
自営業で生きていきたくてもお客さんの来る商店街はもうない。跡を継ぎたくても店はない。このため、国民総サラリーマン化が進んでしまった。大店法の廃止が、それを加速させてしまったように思う。こうして国民総サラリーマン化が進むと、「どうせなら都会の大企業に働きたい」という願望が強まる。
若者が地方から大都会へと吸い込まれていったその原因の一つに、大店法があるように思う。自営業の店がたくさんあった商店街が成り立たなくなったのは、大規模店舗ができたから。自営業が難しくなり、国民総サラリーマン化が進んだから、都市に若者が集まり、地域が余計に枯れるようになったのでは。
イタリアに新婚旅行に行ったときのこと。ローマ最大のスーパーマーケットというのに行ってみた。そしたら、大阪の小さな片田舎のスーパーくらいのサイズしかなくて、その小規模さに驚いた。フィレンツェでは、2畳分くらいしかないような小さな酒屋など、自営業が多いことに驚いた。
日本ではすでに、安く大量に商品を仕入れ、安売りが可能な大規模店舗によって駆逐済みだった小規模店舗が、イタリアではここかしこにたくさんあった。ある一定の距離を置かないと酒屋も営業してはダメというルールがあるらしかった。
昔、日本にもそういったルールがあった。酒屋やタバコ屋は、一定の商圏内に一つだけ、というルールがあり、それによって自営業が成り立つようになっていた。日本では「競争を阻害する」とされ、否定されたその制度が、イタリアではまだ息づいていると知って、驚いた。
日本はなるほど、競争を導入することで大規模店舗が支配的になり、消費者は安く商品を買えるようになった。効率的な社会となった。しかしその効率性を求めたがために、地域社会を支えてきた小規模店舗が失われ、自営業が失われた。地域の祭りや行事を守ってくれる存在が失われた。
全国の地方で大規模店舗が林立し、若者は自営業の道をほぼ諦め、サラリーマンになる道しか選べず、「どうせサラリーマンになるなら都会で好きな職業を」になってしまった。地方から人がいなくなった原因の一つは、やはり大店法にあるのだろう。
地方から人がいなくなり、自営業が減り、地域社会を維持するために必要だった自治会だとかPTAとか子ども会も維持しようという人がいなくなってしまった。自営業がないから地方経済はますます低迷し、人がいなくなる悪循環。
これを放置したら、日本の食料安全保障が危うくなる恐れがある。農業は大きな土地が必要なため、地方であるほど農業が盛ん。しかし地方からあまりにも人がいなくなってしまったために、地域から病院がなくなり、学校がなくなり、ガソリンスタンドがなくなり…と、住むに住めない地域になりつつある。
こうなると、トラクターを動かす燃料を入手するにも農家が苦労することになってしまう。しかしガソリンスタンドや病院、学校なども、人が大勢住んでいなければ経営が成り立たない。なのにその人がいない。だから、生活するのに必要な社会的インフラまで失われていく。
こうした状況が続けば、農業をやろうという人もいなくなってしまう。近隣に娯楽施設もなく、買い物するにもかなり遠出をせねばならず、ガソリンを入れることもできず、親を病院に行かせたくても病院がなく、子どもを通わせる学校もないのでは、農業したくてもできなくなってしまう。
大店法の撤廃で確かに効率的な大規模店舗が増えたが、それは地域を殺すことにもつながってしまったのではないか。ひいては、地域社会を壊すことにもつながってしまったのではないか。効率追求が、別の問題を深刻化させた形。
しかも、地方から人がいなくなり、大都市に人が集まることは、人口減少を加速させる。人口問題の研究者である鬼頭宏氏によると、江戸時代の頃から、そして世界共通して、大都市は人口のブラックホールなのだという。大都市はどうしたわけか、地方の人口を食いつぶすのみで、人口が増えないのだという。
だとすると、大店法の撤廃が日本の少子化、人口減少の一因になっているということも言えるかもしれない。地方から大都市への人口移動を、自営業の崩壊と大店舗の発達が、加速させてしまった観がある。
地域の活性化には、商店街のような小規模店舗が成り立つような仕組みの導入が必要なのではないか。大店法をもう一度見直すことも必要かもしれない。少子化の問題も、サラリーマンになるしか道はない、という社会システムに問題があるのかもしれない。
大規模店舗はなるほど競争力が強く、効率的だ。しかしその効率性を求めると、日本の地方は全部枯れてしまうのだとしたら、食料安全保障まで脅かされるのだとしたら、ちょっと考え直したほうがよいのではないか。
サラリーマンは、地域社会のことに関心を持てない。なぜか。我が家は、単に寝る場所でしかないから。会社は、電車を乗り継いでいかなければならない遠い場所。そこで日中のほとんどの時間を過ごし、家に帰ると寝るだけ。単なる寝る場所でしかない地域のために頑張る義理が感じられない。
経済的なつながりも、遠く離れた会社にこそあれ、地域で活動しても何のメリットもないのでは、PTAや子ども会、自治会は億劫なものでしかなくなる。サラリーマンにとって、地域社会を支えるそうした活動はメリットがない。
しかし自営業は違う。その地域の活性化が、そのまま自分の店の経営に直結するから、地域問題に真剣に取り組む。PTAも子ども会も自治会も、自分の利害に直結する。だが、サラリーマンは、地域に利害を持っていない。だから関心が持てない。
このように考えていくと、大店法を撤廃し、大規模店舗だらけの国にし、自営業を成り立ちにくい地域社会にしたことが、日本の抱える多くの問題と直結しているように思う。自営業をいかに増やすのか、という視点も、今後は重要になるだろう。