気分の沈む日 2023.1.23
今日は月曜日で予定が潰れて低気圧で気分が重い。体も頭もずっしり重い。老舗の和菓子屋のあんこくらい重い。
働いていない私に月曜日なんて関係ないと思っていたら大間違い。一週間で唯一夫と過ごせる日曜日ははしゃぎにはしゃいでしまうので、月曜日は毎週ぐったりしている。昨日は二人で4時間カラオケをした。
潰れた予定といってもたいしたことではなく、ただ携帯ショップで必要な手続きをして、ついでにジムに行こうと思っていただけだ。携帯ショップは自転車でないときつい距離なのだが、朝起きたら雨が降っていたのでキャンセルした。体もしんどいし。
私の気分は日々浮き沈みが激しい。なにをしても楽しくて万能感に満ち、自分の未来も明るく輝いているように思える日もあれば、なにもかもうまくいかなくてどんより沈み込んでいる日もある。今日はもちろん、後者。
絵を描いて、ゲームをして、映画を観始めて、どれもすぐに疲れてしまった。
気分が沈むときは、文章を書きたくなる。
音声投稿アプリに一人喋りを投稿するのが趣味なのだけど、体が重いときは口を開くのも億劫になる。代わりに、馴染んだノーパソの薄いキーボードを叩きたくなる。私の世界はこれだけだという気持ちになる。私と、5年使っている薄っぺらなPCと。
どこにも出かけたくないときに限って、カフェが恋しくなるのはどういうわけだろう。
いま考えているのは、大好きな台湾カフェのこと。白玉の入った温かいぜんざいや、滋養のありそうな優しい味の麺類が、ひどくなつかしい。
ひとりで買い物をしたついでに、よく寄っていた店。最近はなるべくお金を使わないようにしているから、めったに買い物に行かないし、行ってもカフェには寄らずまっすぐ帰る。
自分で稼げたらいいのにと思う。
バイトをしていたときは、ひとりのときの飲食に千円使ってもなんの抵抗もなかった。洋服の買い物が大好きだったし、人にプレゼントを選ぶのが楽しかった。
いまは夫のお金と、自分の貯金で暮らしているから、なにを買うにも気が咎める。これは無駄じゃないだろうかと過度に恐れている。無駄遣いこそが楽しいのに。
寂しくて、苦しくて、みじめで、恥ずかしい。早くこんな自分を捨てたい。
健康に生んであげた娘が20代で障害者になるなんて、両親も思っていなかっただろう。
私の病気は基本的に治らないもので、たとえ発症しなくなっても薬だけは一生飲み続けるらしい。
私が何か悪いことをしただろうか。死ぬまで治らない病気になるような。日に7種類も薬を飲むような。体は健康なのに働けなくなるような。
なんの役にも立たなくてごめんと言うと、夫は「役に立つ必要なんかない」と言うけれど、私はやっぱり、無益な自分に存在価値を見出せないのだった。
生きていても仕方がないと思うのだけど、死ぬ踏ん切りがつかないので今日も息をしているだけ。
今日はおそろしく時間の進みが遅い。
夫が帰ってきたら。帰ってきたら、ずっと楽に息ができるのに。
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