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ジントニックとラムコーク

2023.4.25
朝から頭が痛い。ここ一週間は毎日そうだが、今日は特にひどいように感じた。気圧が低いらしい。バファリンを飲んだ。

なにもする気が起きなくて、朝は夫が買ってきてくれたパンを、昼はレトルトのハヤシライスを食べた。ちっともお腹が膨れないけれど、それ以上に鍋を出すのが面倒だった。
気圧が低いから体調が悪いのか、体調の悪さを気圧のせいにしているのか、因果関係は定かではない。とにかく、今日はとみに調子が悪い。

もう昼過ぎなのに、母に「おはよう」とLINEをした。「どうしたの?」「なんでもない」
母は出先で、帰ったら電話する、と言ってくれた。
なぜ心細いのか、なぜ誰かと話したいのか、その理由は母に言えないけれど、用事もなく電話ができる相手は、私には母しかいないのだった。

母との電話は相変わらず他愛なく、一時間も話したのに、ほとんど内容を覚えていない。
父が私も誘ってぼたん園に行きたがっている、と言われた。
ぼたんという花は特別好きではないし、どちらかというとバラの方が見たいけれど、いいじゃん、と言った。いつでもいいよ、暇だし。
そういえば小さい頃も、家族で鎌倉のぼたん園に行った気がする。父はぼたんが好きなのだろうか。

電話を切り、近所の八百屋にでかけた。調子が出ないからといって、一日中家にいるのは不健康だと思ったからだ。
キャベツが一玉158円。悩んだ末、カゴに入れた。毎日夕飯を作るのは苦手だとこぼすと、母がミネストローネを作りなさいと言ったからだ。ミネストローネは母の得意料理で、私も元気なときは作る。難しい料理ではないが、野菜をすべて細かく刻まなくてはいけないので、根気がいる。
今日は作れないけれど、いずれ作ろう。人参とマッシュルームも買った。

八百屋から家までは、歩いて15分くらいかかる。
歩きながら、私はかなしかった。母に言えない悩みは、ネットの人間関係という、世にもくだらないものだった。
「ネットの人間関係で悩むなんてばかばかしい、嫌ならSNSやめればいいのに」
他人事なら簡単にそう切り捨てていた私は、自分のことになるとてんで駄目だった。振り回され、傷つき、そしておそらく傷つけ、終わった後も喪失感と自責の念に苛まれている。


2023.4.27
空は真っ青に冴え渡っている。しかし私は元気ではない。気圧のせいではなかったようだ。

最近凝っているアプリで小一時間配信をした。やや厄介なリスナーが現れたので9時に無理やり終わりにし、疲れたのでラムコークを飲んだ。
私はコーラは好きではないが、ラムコークは好きだ。コーラの駄菓子めいた安っぽい味と、ラムの深みのある味が合わさるところがいい、気がする。
お代わりはジントニックにした。が、母と電話をしたら、これから実家に行くことになったので、慌てて麦茶に切り替えた。鏡で見る顔が赤い。うちでは飲酒は不良のすることである。バレませんように。

17時。実家から帰り、冷蔵庫にグラスごと突っ込んだ飲みかけを飲んでいる。気の抜けたジントニックは甘く、グレープフルーツジュースのような味がする。

父が作ってくれたスナップえんどうのパスタを食べている間も、母と喋っている間も、紅茶を淹れてお菓子をつまんでいる間も、私の内側は重たく沈んでいた。失った人間関係のことを考えていた。会いたい人がいた。もう会えないのだろうか。

わけのわからない気取った文章をネットに晒して、痛々しいしみっともない、恥ずかしい、と思うのに、この痛みを紛らわす手段が私には他にない。

苦しいとか寂しいとか辛いとかしにたいとか、直截的な言葉を口に出すのは抵抗があった。言おうと思えば言えるけれど、それは私のやり方ではない、と思う。自分が外に出したいと思える言葉で発言しようとすると、どうしても迂遠な言い回しになり、それはときどき周りの人を苛立たせてきた。でも私にはどうしようもないのだ。それが私なのだから。

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