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結婚直前に読み返す、江國香織の結婚エッセイ『いくつもの週末』


私たちは、いくつもの週末を一緒に過ごして結婚した。いつも週末みたいな人生ならいいのに、と、心から思う。でもほんとうは知っているのだ。いつも週末だったら、私たちはまちがいなく木端微塵だ。

『いくつもの週末』(集英社文庫)は、江國香織が結婚して2~3年の頃に書かれたエッセイ集。会社員の夫との生活、そのときどきの心模様が鮮やかに描かれている。

作家である彼女にはそれまで存在しなかった、「週末」という概念。
「全部の神経をそばだてて夫と向かいあおうとしてしまう」彼女にとって、夫と過ごす週末はまるでバカンス(たとえスーパーマーケットにしかいかなくても)。終わってほしくないと思うのに、でも、平日がくると心の底からほっとする。

9日後に結婚したら、私もそんなふうになるのかな。というか、もうなってるかも。と思った。
授業の少ない大学3,4年を経て、諸事情あり仕事に就いていないいまの私に、曜日の概念はない。さらに、両親ともに年金生活で毎日家にいる。いつも同じ時間に一緒にご飯を食べ、お茶を飲む。現在のわが家はいわば、毎日が週末である。

けれど、恋人に会えるのは日曜日だけなのだ。
週に一度だけちゃんとした服を着て、髪を整えて出かける。外食もする。買い物をすることもあるし、ただ一日家でごろごろすることもある。

ごろごろするだけでも、平日とはぜんぜん違う。だって一人じゃないから。くっついて眠ったり、寝息を聞きながらスマホをいじったり、起きだして一緒にアイスを食べたりする相手がいるから。

そういう休日を過ごしているとき、恋人はよく、夫婦みたいだね、と言って笑う。嬉しそうに。だから私もなんだか嬉しくなってしまう。


最後に、私がこの本で一番好きな一節。

少し距離のある関係の方が”comfortable“で素敵だ、というふうにしか考えられなかったのに、いいえ結婚をするのだ、わずらわしいことをひきうけるのだ、ともに現実に塗れて戦うのだ、と無謀にも思えてしまったあの不思議な歪(ひずみ)を、私はいまでも美しいものだったと思っている。美しくてばかげていて幸福ななにかだった、と。

この本の中に「隣同士に住んでいる恋人同士でなにがいけない?」という一文もある。
結婚は面倒だ。それは親への挨拶や役所の手続きの煩雑さだけじゃない。他人同士が一緒に住むということ。家族になろうとするということ。

私たちは5年付き合っているが、大きなけんかはしたことがない。小さなけんかはときどきあるけれど、相手が怒ったことは一度もなく、私がちょっと怒ったり泣いたりしただけだ。

あとほんの一週間と少しで同じ籍に入り、同じ家に住み始めたら、いままでにないようなけんかをするかもしれない。こんなに好きで、一生一緒にいたいと思う人のことを、一瞬だけでも大嫌いになるかもしれない。いつも穏やかな相手だって、私に大きい声を出すかもしれない。それでも。

それでも私は、この人と一緒に生きていきたいと思うのだ。どんなに歪んでいたとしても、この美しくてばかげていて幸福ななにかを握りしめて、歩きだすのだ。



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