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【エッセイ】ローカルな遊園地【夏の終わり】

先日、10年以上ぶりに
地元の遊園地へ行った。
通常であれば17時までの営業なのだが
イベントで20時まで延長し
花火も打ち上げるようだった。

子供の頃は、親父の車に揺られながら
ひたすらワクワクしていたのを覚えている。
今、自分が運転していくと
ああ、こんなに近かったっけと思う。

到着し、まず駐車料金で1000円取られた。
ああ、結構高かったんだ。。とも思った。

そして遊園地へ足を踏み入れたのだが
当時から恐ろしいほどに変わっていない。
まるで時代がそこで止まっているような…

と、私もベタで前時代的な表現をしてみた。

とりあえず一休みしたいなと思い
遊園地中央にそびえ立つ
大観覧車へと乗り込んだ。
景色も変わらない。
大好きだったゴーカートが
今も子供達を乗せて風を切っている。

ゴーカートを運転している時の
男子の顔は違う。


私は自分の父親のことを男として尊敬している。
私の幼い頃は父子家庭であり、父と暮らしていた時期があったが
母が居なくて寂しいと思った事は一度も無かった。
何不自由なく楽しく過ごしていた。
それは父が目一杯、私と遊んでいてくれて
色々なところへ連れて行ってくれたからだろう。

そんな、偉大な父のようになりたい。

私も、ゴーカートに乗った時の顔つきは違ったはずだ。

それは普段から見ている父と同じ行為を
擬似的に体験しているからだろう。

車でどこへ行く時も帰る時も
父が運転する姿を見てきた。

父親が車を運転する姿は
いつ見てもカッコいい。

それはそうだ
どんなに楽しいところへ遊びに行く運転でも
大切な家族の命を背負って運転している。

どんなに笑って
おちゃらけていても
内では常に360度しっかり確認して
安全を第一に考えている。

男らしさに磨きがかかるはずだ。

子供は面白いもので
小さいうちから「大人っぽく見られたい」と
幻想を抱く。

そのなりたい大人のモデルが
自分の親だろう。

しかし、大人が出来る事と
子供が出来る事はまるで違う

お酒も飲めないし
煙草も吸えないし
車を運転することも出来ない

でもここなら、
お父さんの真似ができる。

自分の尊敬する父の姿と
自分の姿が重なる瞬間である

いざ独りでハンドルを握り
右足を奥に倒すと同時に
エンジンは唸りを上げる

「これが、加速アクセル。」

そして、格好つける。



さて、観覧車も1周を終え
再び地に足を付ける。
露店で買ったくまさんカステラを頬張りながら
次のアトラクションへと向かう。

これも変わらない味。
いつも焼きたての温かいものを提供してくれる
くまさんカステラは、妻も息子も美味しいと
笑顔で頬張って、私の心も温かくなる。





そんなこんなで1周したところで
気付いてしまった。



思っていたより、狭い。





ああ、そうか。


当時、小さい私にとっては
相当に広く感じていたのだが

私も大人になり、大きくなったのだ。
急に寂しさが込み上げる

子供の心を持ち続けていても
いずれ大人になった時には
思い出と現状の乖離かいりが襲う。

俗に言う、大人になるということなのだろうか。


そんな感慨にふける傍で
わちゃわちゃとせわしなさそうに
動き回っている、自分と同じ顔の息子。

きっと私のこの思い出が
良い思い出なのは、連れてきてくれた
父を始めとした、家族のおかげなのだろう。

この素晴らしい感覚を
これからどんどんと大きくなる
私の息子にも伝わればいいなと

切に願っている。

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