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家出娘と、頑固父と、ジョン・コルトレーン

父と私は小さい頃から仲が悪かった。
「俺の言うことを聞かないやつは、出て行け!」が口癖で、短気で頑固な父のことが全然好きでなかった。
ときどき本気で蹴飛ばされ、私は泣きながらそれに応戦し、その間に入った病弱の母は「お願いだからやめてください」と哀願するのだった。

そんな感じでいつものように喧嘩をして、それがこじれて勘当同然に家を出、私は一人暮らしを始めた。

でも何だか気分が悪かったので、しばらく経ってから、恥ずかしいけれど「ごめんなさい」と父に言った。
父が許してくれたかはわからない。ただ黙って聞いていただけだったから。

父は高校生のときからジャズが好きだった。
小さい頃から自営業の酒屋を手伝い、お金はそんなになかったはずなのに、貯めたお金で輸入版のジャズレコードを何枚も買ったらしい。
母が父と結婚を決めた最大の理由は、
「貧乏ったらしくて、みすぼらしくて、私がいないと、この人はだめなような気がしたから」
まるで映画「クレイマー・クレイマー」の“妻に見捨てられたあとのダスティン・ホフマン”のような風貌だったそうだ。

父はいまだにそのレコードを大切にしており、
毎日夜中まで仕事をし、それが終わるとお酒を飲みながら数年前に大枚をはたいて買ったステレオで、ゆっくりとジャズを聴くのだった。

家を出てしばらくたった頃、私は結婚したいと思う人に出会った。生粋のニューヨーカー、アフリカ系アメリカ人のショーンだ。父もショーンのことが気に入ったらしく、「あいつはいいやつだ」と何度も言う。日本で結婚披露宴を行うことになり、当時スペインに住んでいた私たちは日本へ一時帰国をした。ショーンのお父さんとおばさんもアメリカから来てくれた。

父は披露宴が楽しみで仕方なかったらしく、毎晩、夕食の席でショーンと、ショーンのお父さんとおばさんをつかまえては、下手くそな英語で「披露宴当日の予定」を一生懸命説明するのだった。「えーと、会場には何時集合です。だいたい何人くらい来ます。ここでおばさんのスピーチ、」と毎日毎日同じことを話し続ける父。

そして披露宴の音楽を色々と決めているショーンと私のところにやってきて、「おっと、大事なことを忘れてた。俺のスピーチは一番最後なんだけど、BGMはもう、自分で決めてるから!かっこいいナンバーを流しちゃうぞ。最後に俺がびしっと決めてやるんだ」
父が自信満々のときは、あまりろくなことは起こらない。

披露宴の当日、無事に式が終わりに近づき、残されたのは父のスピーチだけとなった。私は、どうか父がへんなことを言い出しませんように、と内心どきどきしながら父を横目で見た。そのとき、ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマンの「My One And Only Love」が流れてきた。

父は、どれだけ私が親やまわりに心配をかけたか、皆様方には大変お世話になった、という感謝を長々としたあと、いきなり、「レディース・アンド・ジェントルマン!」と英語でスピーチをはじめた。会場にいたすべての人が驚いた顔で一斉に父へと視線を向け、すぐ横にいる母は恥ずかしそうに下を向いて「もういいでしょ、終わりにしましょうよ」と合図を送っている。

いつの間にか父は、大粒の涙をぽろぽろと流していた。

目を真っ赤にして鼻水をたらしながら、「これからの二人を、どうかみなさん応援してやってください、サンキュー!」とまた下手くそな英語でスピーチを締めくくり、深くお辞儀をした。

コルトレーンのサクソフォンが、ゆるやかに流れ、それを破るようにみんなが一斉に父へ拍手を送った。割れんばかりの拍手の中、「びしっと決めてやるんだ」と言っていた父は満足そうに、ショーンと固い握手を結んでいた。


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