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後日談:ジャンヌ火刑から19年後、シャルル七世の手紙【小説:Tristan le Roux/赤髪のトリスタン】

アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の未邦訳小説「Tristan le Roux/赤髪のトリスタン」を底本にしています。

あらすじ:
若く美しいカルナック城主オリヴィエは、従者トリスタンとともに狼に襲われている騎士を助けた。彼はフランス王シャルル七世に仕えるリッシュモン大元帥の使者で、二人に「オルレアン包囲戦への参戦」を求める。オリヴィエは二つ返事で快諾するが、トリスタンには出生の秘密と大いなる野望があった。
ジル・ド・レ伯爵と悪霊サラセンに導かれ、トリスタンはジャンヌ・ダルクを破滅させる陰謀に巻き込まれていく——。

【完結】神がかりのジャンヌ・ダルクと悪魔憑きのトリスタン・ル・ルー | 歴史・時代小説 | 小説投稿サイトのアルファポリス

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神がかりのジャンヌ・ダルクと悪魔憑きのトリスタン・ル・ルー(Tristan le Roux/赤髪のトリスタン)

訳者あとがき:後日談

 翻訳者だって「ひとりの読者」としてネタバレ感想書きたい!
 そんな主旨で、好き勝手に語ります。

ジャンヌ火刑後、正史の後日談

 1431年5月末、イングランド支配下のノルマンディー地方ルーアンでジャンヌは火刑に処された。

 その後、トリスタンの後日談は本編で書かれた通り。
 このページでは、史料に基づく正史の「後日談」を紹介する。

 火刑の一報を聞いたシャルル七世は大層困惑したが、その後、ジャンヌについて何も語らなかったため、一部の人は「王は本心ではジャンヌを嫌っていた」と邪推し、「恩人を見捨てた暗愚」だと陰口を広めた。
 だが、イングランドの努力にもかかわらず、もはや時代の趨勢を変えることはできなかった。

 1435年9月、シャルル七世とブルゴーニュ公はアラスの和約を結んだ。
 父王シャルル六世時代からフランス王国を二分していた内乱が終結し、イングランドは最大の支援者を失った。

 1436年4月、パリを奪還。
 シャルル七世とリッシュモン大元帥が率いるフランス王国軍は、着実に仕事を遂行した。

 1449年3月、イングランドのブルターニュ侵攻をきっかけに、英仏百年戦争は最終局面に突入。フランス軍は報復としてノルマンディーへの攻勢を強める。

 12月10日、シャルル七世はノルマンディーの州都ルーアンに入城。
 言わずと知れた「ジャンヌ火刑の地」にようやく辿り着いた。


シャルル七世の手紙「余は強く望み、命ずる」

 1450年2月15日、シャルル七世は側近のひとりで、元パリ大学総代でノワイヨン司教教会参事会員のギヨーム・ブイエに宛てて、次の書簡を送った。

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ジャンヌ・ラ・ピュセルは、我らの仇敵イングランド人に捕らえられ、ここルーアンの町に連行された。

彼らはジャンヌを、自分たちが任命し、自分たちの意のままになる人々の手によって裁きにかけた。

こうした審理の経緯と、彼らがジャンヌに抱いていた憎悪を考えれば当然のことながら、彼らはいくつもの過ちを犯し、不正にも、理性に背いて、ジャンヌをきわめて残虐な刑に処した。

このゆえに、余は当該裁判の事実と審理の運用の実態を明らかにしたいと考え、貴下に対し、以上の件について慎重な調査を尽くし、報告することを、強く望み、命ずるものである。

貴下がこの調査を果たした暁には、速やかに余および余の部下たちに報告すること。
余は本書状によって、貴下に、本件に関する全権限を付与する。

1450年2月15日、ルーアンにて。
====================

 ジャンヌの火刑から19年。
 ルーアンに入城したとはいえ、イングランドとの戦いはまだ続いている。
 にも関わらず、ノルマンディー攻略作戦の遂行中にこの書簡が書かれたことは特筆に値する。

 戦争と流血が嫌いで、内気で涙もろく、ジャンヌに「優しい王太子さま」と呼ばれていたシャルル七世の強さの秘訣は「異端裁判の真相を調査して、ジャンヌの汚名をすすぐこと」だったのかもしれない。
 ルーアンがイングランドの支配下にある限り、フランス王には何もできないのだ。

 この書簡は、公文書らしい抑制的な筆致でありながら、「強く望み……」という文言からはシャルル七世の強い意志が滲み出ている。

 なお、この頃のフランス軍はほとんど無敵と呼べる強さで、ノルマンディー全土をたった一年で征服してしまう。当時は、城をひとつ落とすのに数ヶ月かかるのが常識で、ノルマンディーには60以上の城があったにも関わらず、である。

 シャルル七世は「神の声」を聞く能力を持たなかったが、ジャンヌに宿っていた「勝利を導く強さ」を受け継いでいたのだろうか。

 この書簡の宛先、ギヨーム・ブイエは有能な人物で、いまだに存命中の関係者を聴取して有益な証言を集めてきた。シャルル七世と側近はジャンヌの無罪を確信したが、王命で判決をひっくり返すことはできない。
 なぜなら、王が管轄するのは世俗の裁判のみで、異端審問を管轄するのは教会——すなわち教皇庁だったからだ。

 ローマ教皇庁という絶対的な権威(聖域)を相手に、再審請求することの難しさは想像に難くない。

 そんな訳で、シャルル七世の晩年は「戦争」と「政略」——、英仏百年戦争の終結と並行して、教皇庁との駆け引きに費やされ、いつしか勝利王と呼ばれるようになる。


謝辞

 ジャンヌの復権裁判、筆者好みに言い換えると「シャルル七世の逆転裁判」の物語は、別の機会にあらためてお話したいですね。

 本作「神がかりのジャンヌ・ダルクと、悪魔憑きのトリスタン・ル・ルー」はこれで終わりです。最後までお読みいただきありがとうございました。

 Web小説向きの作風ではないにも関わらず、何人かのフォロワーさんから「公募にチャレンジしたら?」または「Kindleなどの電子書籍にしてみたら?」という指針をいただき、本当に嬉しく思います。初めてのことですが、検討してみますね!
 今後ともよろしくお願い申し上げます。



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小説後半について

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【URL:神がかりのジャンヌ・ダルクと悪魔憑きのトリスタン・ル・ルー


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