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第一章〈カルナックの善良な伯爵〉編:#1 リッシュモンの使者【小説:Tristan le Roux/赤髪のトリスタン】

アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の未邦訳小説「Tristan le Roux/赤髪のトリスタン」を底本にしています。

あらすじ:
若く美しいカルナック城主オリヴィエは、従者トリスタンとともに狼に襲われている騎士を助けた。彼はフランス王シャルル七世に仕えるリッシュモン大元帥の使者で、二人に「オルレアン包囲戦への参戦」を求める。オリヴィエは二つ返事で快諾するが、トリスタンには出生の秘密と大いなる野望があった。
ジル・ド・レ伯爵と悪霊に導かれ、トリスタンはジャンヌ・ダルクを破滅させる陰謀に巻き込まれていく——。

【完結】神がかりのジャンヌ・ダルクと悪魔憑きのトリスタン・ル・ルー | 歴史・時代小説 | 小説投稿サイトのアルファポリス

総合目次:


神がかりのジャンヌ・ダルクと悪魔憑きのトリスタン・ル・ルー(Tristan le Roux/赤髪のトリスタン)

第一章〈カルナックの善良な伯爵〉編

#1 リッシュモンの使者

 1429年の初め頃、フランス王国の西海岸——ブルターニュ地方キブロン半島にあるパンティエーブル砦で小船から降ろされたばかりの軍馬と騎手が、カルナックに続く道を足早に進んでいた。

 この辺りは春や夏の晴れた日でも難所だというのに、二日間降り続いた雪の下にすっかり道筋ルートが消えていて、午後二時になってもまだ雪は降り続いていた。
 もし、道の両岸に黒くうねる海が打ち寄せていなければ、騎手は正確なルートから外れていただろう。馬上から見下ろすと二つの深淵があり、騎手はそこから落ちてしまわないように慎重に歩みを進めた。

 地平線上には地面と同じ色の空が見える。地平線からブルターニュの海岸まで障害物はひとつも見えず、「次の分かれ道で一休みしよう」と張り切る旅人をうんざりさせる光景だった。

 そこは、現実世界というより幻想のように見えた。

 それでも、旅人が海岸に近づくにつれて現実らしい景色になってきた。
 幻想は現実になったが、幻想よりもずっと悲しい現実だった。
 目にしみるような白さの荒れ果てた平原のあちこちに、黒っぽい塊が染みついている。それは冬に荒廃した「ほうき草」で、絶え間なく吹きすさぶ風がほうき草の上に雪をとどめることを許さなかったのだ。ときどき、数本の忍び木が乾いた枝を打ち、その音で数羽のカラスの群れの飛翔を早め、黒い羽で白いじゅうたんや天井をひっかく。
 静かに飛ぶカモメは、海からの息吹——目に見えない女性や動物の悲鳴のような——に悲しげな鳴き声で応えると、すぐに見かけなくなった。

 ——カモメよ、カモメ!
 ——私たちの夫を返して、子供たちを返して!

 悲鳴のような風音に惑わされず、秋雨を思わせる細雪ささめゆきの中を、騎手はまだ進んでいた。
 大きなマントに身を包み、頭には青いウールのフードをかぶり、風を切るように前かがみになって、ときどき馬に話しかけた。おそらく、口の中で舌が凍るのを防ぐために声を出したのだろう。
 しかし、町も家も茅葺き小屋さえ見えない。どこまで行っても同じ白い境界線が、絶望的なほど一様に更新されるばかりだ。

 新たな分かれ道を確認するたびに、旅人は勇気を奮い立たせ、馬は二度ほど拍車で叩かれた。

 そして、午後三時頃、二十回目くらいに見上げたとき、空と大地——二枚の灰色の景色の間に、村の輪郭が見えたような気がした。
 馬が見たのか、あるいは騎手が見たものを馬が感じ取ったのか。普通の小走りから伸びやかな小走りになり、やがて騎手は家々の窓が黒く浮かび上がり、煙突の煙が白い雪の中で青みを帯びて立ち昇っているのを見分けることができるようになった。

 小船から降ろされた場所から二リーグ(約8キロメートル)を走り、騎手はようやくカルナックの村に到着した。

 もしこの騎手に自尊心があったとしたら、村を通り過ぎるときの村人の反応の薄さのせいで傷ついたに違いない。
 上は目まで、下は槍まで届くマントに包まれた見知らぬ男は——たとえ貴族でも悪党でも、船長でも商人でも——ほとんど好奇心を刺激しなかった。

 誰からも注目されないまま、騎手は村の中心にある広場にたどり着くと、ようやく立ち止まった。

 まず、頭を上げてフードのひだについた雪を振り払った。
 この最初の動きで、村の中心でちょうど止まった騎手を見ようとドアを開けるかカーテンを引いた数人の女性たちは、唇と顎に少し陰があり、美しい碧眼と、丸みのある若々しい頬——ケルト人の末裔「ブルターニュ人」が同胞として認めるあの金髪を持つ22〜23歳の美青年を目撃することができた。

 青年の身体検査はさらに押し進められた。
 最初にマントのひだから頭を解放した騎手は、マント自体を剥ぎ取り、彼の世話をする名誉を得たカルナックの少数の住民の目に、彼が身につけた衣装の完璧な豪華さを見せつけた。

 青年は紋章官ヘラルド(各地に布告を伝える役職、伝令官、前衛とも)のタバードを身につけていた。羽織っていたマントとフードは青いウールで、下のタバードも同色だったがこちらは鮮やかなベルベットだ。胸の中央にブルターニュの紋章「ダルジェント・セム・デルミン・セーブル(d’argent semé d’hermines de sable)」が輝いている。

d’argent semé d’hermines de sable

 その他の衣装は、オックスブラッド(牛の血色)のブリーチズ、太ももの真ん中まで届く大きな黒革のブーツ、脇にベルトを巻いた大きな剣、首から吊るした銀色の角笛。

 騎手は脱いだマントを鞍の前にかけると、角笛を手に取り、口にあてて「コー(呼びかけ)」と呼ばれる音を吹き鳴らした。

 健やかな息吹を吹き込まれて、角笛の音は村中に響き渡った。
 騎手から見える範囲の家々のドアが一斉に開き、急いで出てきた村人たちが音を鳴らした騎手の周りに輪をつくった。

 最初に駆けつけたのは女性と少女で、次に来たのは男性である。

 しかし、村の住民の距離は同じではなく、村はずれにいる住民には呼びかけが聞こえなかったかもしれない。騎手は再び角笛を口に当て、二度目はロンセスバーリェスでローラン(訳註:フランスの古叙事詩『ローランの歌』の主人公)が羨むほどの勢いで大きな音を鳴らした。

 二度目の呼びかけに、四方八方から男や子供が駆け寄ってきて、騎手の周りに立派な輪ができはじめた。

 その時、良心に従うように角笛が三度目の呼び声を鳴らした。
 村人全員が集まったと判断して、騎手は胸から巻物を取り出した。

「カルナックの城館と村の人々、領民たちよ。我が主君が命じ、従者である私ブリタニーが知らせる『布告おふれ』を聞きたまえ。では、聞け!」

 ブリタニーは巻物を広げると、充分な音量の聞き取りやすい声で読み上げた。

「我が主君の名はアルテュール・ド・リッシュモン伯爵。我らがブルターニュの高貴な王侯の血筋を引くパルトネー領主であり、フランス王国の大元帥コネタブルである。我が国の臣下や領民で、体を張って我々に仕える義務がある者たちに、四十日以内に我が領主の旗のもとに戦列に加わり、我が国の国王シャルル七世陛下のために行われる『フルール・ド・リスの敵』との戦争に我々に従って行かなければならないことを知らしめる布告である」

 このおふれの後、誰がこの伝令官に近づき、質問するかが問題であった。
 ブリタニーと彼の馬は、文字通り「蹂躙」されていた。ベルベットの豪華な衣装に魅了された子供たちは、剣を引っぱったり、角笛まで吹いてみせた。

 しかし、ブリタニーはこういう素朴な好奇心を向けられることに慣れている好青年で、興味を持たれている印として受け取り、自尊心を満足させた。こういった馴れ馴れしいマナーは彼を不快にするどころか、ほとんど面白がっていた。
 ブリタニーは、子供たちの好奇心が馬を不快にさせないように、絶えず手でおだてながら、あらゆる質問に答えなければならなかった。

 女性と少女たちは、ブリタニーの若さと優しい表情に惹きつけられ、勇気を出して前に出てきた。その中には魅力的な女性もいたので、ブリタニーが自分の脚によじ登って拍車をいじる悪ガキたちに我慢したことも、より容易に説明できるだろう。

 二日間降り続いた雪が、少し休んだかのように降り止み、よく見ると雲の隙間から不安げな陽光が一筋、角度の鋭い「切り妻屋根」に射しているのが見えた。

「それでは、騎士さま」

 大柄の農夫が、馬のけぶる首を撫でながら話しかけた。

「我らが敬愛するブルターニュ公ジャン五世の弟であるリッシュモン大元帥は、ブルターニュの勇敢な戦士を集めて『シャルル七世を助けに行く』と言っているのですね」

 農夫の腕に寄りかかった嫁が「助けを必要としているのは誰なのか、あたしにだって分かりますよ」と付け足した。ブリタニーは「ああ、そうだ。美しい娘よ」とうなずいた。

「もし神が我々に助けを貸してくださるなら……。特に我々、善良なブルターニュ人の助けを借りて、サタンが我々に送り込んだイナゴのごとき『悪しきイングランド人の群れ』をすべてフランスから追い出せば、おそらく戦争は終わるだろう」

 のちに百年戦争と呼ばれる英仏の長い戦争が始まって以来、シャルル七世は五代目のフランス王である。即位していると見なすならば。
 そして、戦争が始まって以来、もっとも劣勢に追い込まれていた。

「では、王様は何をしている?」
「今はシノンにいらっしゃる。 そこで陛下は、敵が包囲している善良な都市オルレアンを解放するために必要な兵力を待っておられる。オルレアンはまだ持ちこたえている」

「王妃さまは何を?」
「王妃陛下は、まず人々のために神に祈り、次に夫のために祈っておられる」

「デュノワ、ザントライユ、ラ・イルはどこに?」
「デュノワ伯はオルレアンに、後者の二人は陛下の近くにいる」

 この輪の中で一番賢そうな男が「さあ、さあ、心配するな。すべてうまくいくさ」と人々をなだめた。しかし、言葉の語尾に奇妙なためらいを感じた。

「なんだ?」

 ブリタニーは身を乗り出して、言いたいことがあるなら言うように促した。
 男は、小声でひそやかに話した。

「あのですね、王の善良なる英才は『ラ・トレモイユを追い払う』考えはないのでしょうか? あいつは明らかに害をおよぼしているのに、なぜ王はあいつを手放さないんです? 理由がわからない」

 男は恐縮したように黙り込み、ブリタニーは慎重に返答した。

「それは私の主君であるリッシュモン大元帥の仕事である。ラ・トレモイユを陛下に遣わしたのは彼であり、必要ならば排除するのも彼である。ジアック卿を排除したように」

 ブリタニーはそう答えると、この村は任務の終着点ではなかったので出発する準備を始めた。おそらく彼は王国の内情について、群衆の前で話したくないのだろう。
 リッシュモン大元帥は、ジアックをはじめ王の側近を何人か処刑し、シャルル七世の不興を買っていた。

「もう少し待ってくださいよ、騎士さま」

 あちこちから抗議の声が上がった。

「まだ全部話し終わってないでしょう」
「友よ、何でも聞け。他に知りたいことは?」
「ブルターニュ公はお元気ですか」
「健やかに暮らしておられる」
「まだレンヌにいるのですか」

 ブリタニーはうなずいた。

「公弟のアルテュール・ド・リッシュモン大元帥はどこに?」
「パルトネーにいらっしゃる。大元帥閣下の『参戦要請』に応じる勇気ある騎士が向かうべき場所だ」

 そう言うと、午後四時の鐘を聞いたブリタニーは「それでは善良な人々よ、神があなた方を守ってくださいますように。私はあなた方に別れを告げる」と言って、拍車の先で馬の両脇に軽く触れた。

 この機会を待っていたかのように、馬が首を振りながら足を踏み鳴らしていななくと、子供たちは怖がって逃げ出した。村人たちはブリタニーのために通り道を空けた。
 村の男たちに最後の敬礼をし、女性たちに最後の微笑みを送った後、マントを着直したばかりのブリタニーは、驚いた群衆の中で事故を起こさないようにできるだけ慎重に素早く立ち去った。
 数人はいくつかの嘆願を訴えながら途中までついていき、広場ではブリタニーが去った後もいくつかのグループに分かれて、ブリタニーがもたらした「おふれ」について話し続けた。


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